横領容疑 (1)
冬休みが終わり、春が深まってきたある日、ロベールはマグダレーナに帰国を勧めた。
「厚意に甘えて長いこと居てもらったが、そろそろきみは国に帰ったほうがいい」
「いいえ、最後までおります」
「いや、それはダメだ」
残ろうとするマグダレーナに、ロベールはきっぱりと首を横に振った。
「うちに何らかの嫌疑がかかる前に、この家を離れるべきだ。本当はもっと早くそうすべきだったんだが、つい甘えてしまってね。でも、そろそろ限界だ。これ以上、ここにいてはいけないよ」
時期も内容もわからないけれども、ニナの予言によればロベールは「何か大きな罪に問われる」ことになっている。そのような嫌疑をかけられたときに屋敷内に滞在していれば、当然いらぬ疑いをかけられることにもなるだろう。
しかもそれが他国の貴族の娘とあらば、国際問題にもなりかねない。
ロベールの説得に、マグダレーナは不承不承ながらもうなずいた。
アンヌマリーは彼女に心からの感謝を伝えた。
「マギー、わざわざシーニュまで来てくださってありがとう。とても心強かったわ。今度は、わたくしがオスタリアへ行く番よ。待っていてね」
「ええ、楽しみに待っているわ」
その二日後、マグダレーナはオスタリアに向けて屋敷を発った。
マグダレーナが屋敷から去った翌日、アンヌマリーはリヒャルトとランベルトにも距離を置こうと提案した。
「ご迷惑になってはいけませんから、今後は授業で声をかけてくださったり、お食事をご一緒するのも控えたほうがよいように思います」
しかしリヒャルトは、彼女の提案には首を横に振った。
「逆だよ。今までずっと親しくしてきたのに、今になって急に離れたらむしろ疑惑を呼びかねない。ことが起きるまでは、今までどおりでいよう」
「よいのでしょうか」
「もちろんだよ」
リヒャルトの申し出は、アンヌマリーにはとてもありがたかった。
自分から距離を置こうと提案しておきながら、実はとても心細く思っていたのだ。何しろ状況は少しずつではあるが悪化するばかりで、この頃はもう学校で親しく話ができるのはリヒャルトとランベルトしかいなくなってしまっていた。
婚約者のシャルルとは全く接点がないし、遠くから見かけるときには常に傍らにニナがいるようだった。ランベルトから聞いた話だと、ニナとシャルルは選択授業がほぼ一緒らしい。
もっともアンヌマリーにとって、この二人のことはもはやどうでもいい。
あれほどロベールがきちんと説明して言い聞かせたにもかかわらず、ニナは自分をアントノワ家の直系の娘だとほのめかしている。それを知ったときに、身寄りを亡くしたという彼女の身の上に同情する気持ちは薄れてしまった。
しかも血縁を詐称するのみならず、予言に強制力があり王太子やアンヌマリーたちが死ぬ運命となることを知りながら、自分の欲望を優先しているとリヒャルトから聞いた。これを聞いたときに、ニナの境遇を気の毒に思う気持ちはきれいさっぱり消えてしまったのだ。
シャルルに対しても同じだ。
アンヌマリーは、婚約者に失望していた。シャルルのほうも、政略で結ばれたというだけのアンヌマリーには特に魅力を感じずに、がっかりしていたのかもしれない。しかしそれはお互いさまだ。今まで彼女はずっと、彼の期待に添えないことに対して申し訳なく、悲しい気持ちを抱いていた。けれども今はもう、そんな気持ちはどこにも残っていない。
今の彼女は、自分たちの一家が無事にこの予言の運命を乗り越え、生き延びることだけを望んでいる。
* * *
ついに事態が動いたのは、学年末を一週間後に控えた初夏の日だった。
学年末の定期試験が終わってアンヌマリーが学校から帰宅すると、屋敷はものものしい空気に包まれていた。門の外には、大勢の憲兵が等間隔に壁沿いに並んで仁王立ちしている。
不安を感じつつ馬車を降りると、玄関の両脇にも憲兵がひとりずつ仁王立ちしていた。
いったい何が起きているのだろう。
玄関から屋敷に入り、自室に向かうため階段を上りかけたところで、応接室からいかつい男が出てきた。身なりから判断するに、憲兵の士官のようだ。男は玄関口の外にいる憲兵たちに何か声をかけた後、憲兵たちが敬礼する中を去って行った。
アンヌマリーは、部屋で着替えを手伝ってくれるメイドに尋ねてみた。
「何があったの?」
「私どもは、まだ何も伺っておりません」
「そう」
ちょうど着替え終わったところに、扉を叩く音がした。
メイドが応対に出ると、伝言だったようだ。
「旦那さまがお呼びとのことです。居間にお越しくださいませ」
「わかったわ。ありがとう」
居間にはすでに両親とヨゼフが集まっていた。いずれも厳しい表情を浮かべている。何も聞かずとも、何かしらよからぬことが起きたのだということだけは、十分に察せられた。
「ただいま戻りました」
「ああ、おかえり。まずはそこにお座り」
「はい」
父にうながされて、ヨゼフの隣に腰を下ろす。
「私に公費を横領したとの嫌疑がかけられたそうだ」
「え? 横領?」
金に潔癖なロベールにはおよそ似つかわしくない罪状に、アンヌマリーは目をまたたいた。その様子に、父は「うん」とうなずいて苦笑する。
「何を横領したと言われてるんですか?」
「王族に支給される年金を十年近くに渡って横領してきたと言われたよ」
「えええ……。そんなに長い間、バレずに横領し続けるなんてありえないでしょう?」
「それがどうやら、本当に横領されてたらしいんだよねえ」
王族費などという重要かつ金額の大きい予算が、何年もの間ずっと横領され続けて誰も気づかなかったなんてことがあり得るのだろうか。そもそもの王族が、真っ先に抗議しそうなものだ。
それ以前に、ロベールが横領なんぞに手を染めるというのが考えられないのだが。後ろ暗いことを平気でやるような恥知らずな性格なら、財務大臣という職を利用してもっとずっと羽振りのよい暮らしをしているだろう。だが実際には、大臣の給与と領地収入だけを頼みにして生活している。それは、経理の帳簿を見れば明らかだ。
なのに、どうしてそのような疑いをかけられたのだろうか。




