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死の予言のかわし方  作者: 海野宵人
本編(シーニュ王国編)

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身代わり作戦 (2)

 身代わりの人形だけでなく、逃亡経路の確認や、馬車の準備も着々と進んでいた。

 何しろ、馬車の乗客を「誰の目にも明らかに死亡した」ように見せなければいけないのだ。それでいて、御者は安全に逃げ切らなくてはならない。


 驚いたことに、ヨゼフは自分で御者役をする気でいた。馬になど乗ったこともないのに、「馬車の扱い方を習いたい」とロベールに申し出たのだ。

 自分の出した案だから、一番危険な役を自分で負う責任があると考えている様子だったが、それはロベールが一蹴した。


「何ごとも適材適所が肝心だよ。きみは船の仕事に集中してくれたまえ」


 そしてヨゼフには、マルセルという従者を専属でつけた。

 マルセルはヨゼフより三歳上で、おっとりとした雰囲気を持つ青年だ。しかしそんな彼は、もとは王宮の銃士隊に所属していたという、従者としては異色の経歴を持つ。


 マルセルは銃士時代に、財務大臣を務めるロベールの警護についたことがある。そのときに細やかな気遣いのできる彼の仕事ぶりに感心したロベールが、侯爵家に引き抜いた。


「銃士より給料を弾むから、うちに来ないかね」

「いいですよ」


 半分冗談のように声をかけてみたら、あっさり本当に引き抜けてしまったというわけだ。マルセルはその穏やかで優しげな風貌とはうらはらに、どこか図太くひょうひょうとしたところがある。

 銃士としても優秀だっただけあり、護衛としては非の打ち所がない。銃火器の扱いに手慣れているのはもちろん、馬の扱いにも長けている。


 そのマルセルをヨゼフにつけたのは、御者役をまかせるためだ。言うまでもなく、本人の意思は確認済みである。


 マルセルはヨゼフ付きになると、まずヨゼフに銃器の扱い方を指導した。

 火薬式だけでなく、空気圧式の銃を含めて、銃器全般の扱い方を教えたのだ。

 ヨゼフはこれまでも船乗りとして海賊対策に銃を持たされることはあったが、扱った経験があるのは、軍でも主流の火薬式の銃のみだ。しかし海上という湿気の多い場所で使うことを考えると、火薬式の銃は難点が多い。その点、空気圧式の銃であれば湿気の影響を受けない。火薬式に比べて威力がやや劣るという欠点こそあるものの、その差は一割ほどでしかない。保管の安全面まで含めて総合的に考えると、海上では空気圧式の銃のほうが利点が大きい、というのがマルセルの考えだった。


 次にマルセルは、ヨゼフに剣術を指南した。

 戦闘では銃が大きな役割を占めるとはいえ、銃弾の装填にはそれなりに時間がかかる。完全に銃頼みだと、弾切れの最中に近接戦を仕掛けられたときにひとたまりもない。だから戦闘では、銃に剣を装着した銃剣というものがよく使われる。

 つまり、剣術はいまだ現役の戦闘術なのだ。

 戦闘となれば我流でただ振り回すだけよりも、いろいろな型を知っているほうが強いに決まっている。マルセルは伝統的な剣術にとらわれず、体術を絡めた実践的な剣の使い方をヨゼフに伝授した。


 そしてさらにマルセルは、ヨゼフに乗馬を教えた。

 船主となったからには、船乗り時代とは違って陸で過ごす時間のほうが圧倒的に長い。その陸での移動における最速の手段は、馬である。普段は馬車で移動するにしても、非常時に自分で馬に乗れるかどうかで命運が分かれることもあるだろう。乗れるようになっておくに超したことはない。


 なかなかのスパルタ指導だったようで、ヨゼフは夕食後に居間のテーブルの上に地図や図面を広げたまま、ソファーでうたた寝をしていることがよくあった。


 そんな場面を目撃すると、アンヌマリーは膝掛け用の毛布をとってきてそっとヨゼフの腹の上に掛けてやる。

 しかし目撃するのがノアだと、そうはいかない。彼は姉と違って容赦がなかった。「お兄さまはお疲れだから、そうっとしておいて差し上げましょう」と声をかけても、聞きやしない。


「にいさま、あそぼう!」


 ノアはソファーによじ登って、座面でぴょんぴょん飛び跳ね、ヨゼフを揺すって遊びをねだる。ヨゼフはそんなふうにノアにたたき起こされても、決してノアを叱りつけたりすることはなかった。起き抜けの眠い目をこすりながら、片手でさっとノアを捕まえて抱え込み、ちょっとくすぐってやれば小さなノアは「きゃあ!」と大喜びだ。


 アンヌマリーが「お兄さまはお疲れなの。こちらにいらっしゃい」と両手を広げてみせても、ノアはべったりとヨゼフにへばり付いて離れようとしない。


 困った彼女が「ほら、いらっしゃい」と近づくと、ノアは「にいさまとあそぶの」と首を横に振り、ヨゼフの首に抱きついてしまう。ヨゼフが屋敷に来る前は「ねえさま、ねえさま」とアンヌマリーにまとわりついてきたくせに、心変わりも甚だしい。

 アンヌマリーが困り果ててため息をつくと、ヨゼフは「まあいいさ」と笑ってノアを片手で抱え直した。


「にいさま、これなあに?」

『それは海図だ』

『かいず? かいずってなあに? ちずとおなじもの?』

『海図は、船用の地図のことだな』


 ノアがテーブルの上に広げてある紙を指さして尋ねると、ヨゼフはオスタリア語で答えた。それに対してノアは、ごく自然に会話をオスタリア語に切り替える。その様子を見て、アンヌマリーは目を丸くした。いったいいつの間に覚えたのだろう。

 あっけにとられて立ち尽くしている彼女に向かって、ヨゼフは笑顔で手を振り、ノアの面倒を見ておくと身振りで知らせた。


 彼女はヨゼフに申し訳なく思いつつも、会釈してその場を去る。

 ノアはヨゼフにまとわりつきはするけれども、この頃は大人が困るような悪さをあまりしなくなった。テーブルの上に何が置いてあっても、勝手に手に取ったりはしないのだ。それが不思議で仕方がなかったが、どうやらノアは「テーブルや台の上にあるものは、勝手に触ってはいけないもの」とヨゼフに教え込まれているようだった。


 ノアのおもちゃにしてもかまわないものは、直接ノアに手渡しする。そしてテーブルの上では遊ばせない。遊んでよいのは、じゅうたんの上だけ。ノアがきちんとそのルールを守っている限りは、そうそう困ったことにならないのだ。

 ヨゼフは大人たちの間にもこの単純なルールを周知していたから、ヨゼフの目の届かないところでもルールはきちんと守られていた。


 調子に乗ってノアがルールを破れば、たちまちヨゼフから雷を落とされる。ヨゼフがノアに課すルールは、四歳の子どもでも間違いようのないくらいに簡単でわかりやすい代わり、破ったら決して目こぼししない。意外なことに、どれほどヨゼフに厳しく叱られてもノアは大泣きすることはなかった。もちろん叱られると涙目になってしょげ返るけれども、自分が悪いとわかっているからなのか、決して泣きわめいて暴れたりはしないのだ。

 そして何度叱られても、ノアがヨゼフから離れることはなかった。機会さえあれば、ヨゼフにべったりまとわりついている。


 ノアがヨゼフに迷惑をかけすぎていないか心配で、しばらくしてからアンヌマリーが様子を見に戻ると、ヨゼフとノアは折り重なるようにして寝入ってしまっていたりする。ヨゼフの膝の上に抱えられたノアは、ヨゼフの胸に頭を預けてぐっすり眠っている。まるで甘えて寄りかかってそのまま眠ってしまったような、不思議な体勢だ。

 こうして眠りこけているときのヨゼフは、いつもと違ってあまり大人っぽくは見えないばかりか、あどけなくさえある。二人のその様子は、まるで本当の兄弟のようだった。顔は少しも似ていないのに。


 あとから思い返してみれば、この頃は忙しくも穏やかな日々だった。

 しかし間もなく、そんな日々は終わろうとしていた。

※空気圧式の銃=いわゆるエアガンまたは空気銃

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