結婚式後の鬼ごっこ (2)
遅くなるとは聞いていなかったのに、ヨゼフは夕食の時間に少し遅れた。
食事が始まってから帰宅し、席についたヨゼフは遅れたことを詫びた。
「遅くなってすみません」
「それはかまわないが、何かあったのかい?」
ロベールの問いに、ヨゼフは眉間にしわを寄せて曖昧にうなずいた。
「変なのに絡まれたんで、撒いてきました」
「絡まれた?」
ロベールがオウム返しに尋ねると、ヨゼフはうなずいてから説明した。
事務所に行くとき、ヨゼフは途中までしか侯爵家の馬車を使わないよう気をつけている。侯爵家の馬車は広場で待たせ、そこから事務所までは辻馬車を使ったり歩いたりして行く。この日は運悪く辻馬車がつかまらなかったので、広場から歩いて事務所へ向かった。
そこまではいつもどおりなのだが、そのとき後ろから声をかけられた。
「ジョゼさま!」
最初は自分のことだと思わなかったので、振り返りもせず歩き続けた。
すると、すぐそばまで豪華な馬車が近づいてきて、若い女性が窓から顔を出して再び「ジョゼさま!」と声をかけた。ヨゼフに向かって話しかけているのは明らかなので、わけがわからないながらも、振り返って否定しておいた。
「人違いですよ」
「わあ、本物のジョゼさまだ! やっと会えたのね!」
彼女の乗っている馬車が妙に豪華なことが薄気味悪く、それ以上に全く話が通じないことに空恐ろしさを感じたので、ヨゼフは逃げることにした。間違っても事務所に入るところを見られて、場所を特定されてはたまらない。事務所を特定されたが最後、しつこくつきまとわれそうな嫌な予感があった。ヨゼフは瞬時にそう判断すると、事務所とは違う方向に走り出す。
「待って!」
ところが困ったことに、なんと馬車はヨゼフを追ってくるではないか。
馬車に乗った若い女性だけでなく、馬車に随行している騎馬の男たちまでヨゼフを追おうとしているようだ。仕方ないのでヨゼフは大型の馬車が入り込めない裏路地に逃げ込み、壁を乗り越えて、猫しか通らないような壁や屋根づたいの細い道を抜け、馬車をやり過ごすことにした。
それほど俊敏な連中ではなかったので、撒くのは簡単だった。
集合住宅の屋根の陰から様子をうかがっていると、やがて彼らは諦めて去って行った。ヨゼフは追っ手の馬車が完全に視界から消えるのを確認してから壁を降り、事務所に寄って用事を済ませてきたというわけだった。
「それはまた、災難だったね。その豪華な馬車に紋章はついていただろうか?」
「ついてましたね」
「どんな紋章だったのかな」
「盾の形をしていて、青地の中に白い模様が四個あったと思います」
「そうか……」
ロベールは深くため息をついた。
アンヌマリーは隣に座っているマグダレーナと顔を見合わせた。その紋章をつけた「妙に豪華な馬車」の所有者として彼女に思い当たるものは、ひとつしかない。王家だ。マグダレーナも同じことに思い当たったようだ。
しかし所有者がわかっても、理由がわからない。ロベールは首をひねった。
「いったい、なんだって王家の馬車に追われたりしたんだろうな」
「うへ。あれ、王家なんですか」
ヨゼフは見るからに迷惑そうに、露骨に顔をしかめた。
ヨゼフにしてみると、予言の件を真っ向から否定して協力的な姿勢を見せない王家は、自分にとっては敵だと認識している。いかなる形でも関わりたくない、という気持ちがその表情にはっきり出ていた。
王家の馬車らしいとわかると、今度はヨゼフに声をかけた女性が誰なのかが気になる。
「その馬車に乗っていた女性は、どなたなんでしょうね」
「使用人が仕事で使う馬車のようには聞こえないから、第二王女殿下かしらねえ」
アンヌマリーがぽろりとこぼした疑問には、母オリアンヌが答えた。
王家の紋章をつけた馬車に乗る若い女性、という条件に当てはまるのは第二王女だけだ。第一王女はすでに結婚して王室から離れているから、通常は婚家の紋章をつけた馬車に乗るだろう。
けれども、ヨゼフに声をかけたのが第二王女だとすると、アンヌマリーには腑に落ちない点がある。
「馬車の窓から顔を出して、大きな声を張り上げて名を呼ぶようなはしたないことを、本当に王女殿下がなさるものかしら」
「とても考えられないわね」
「そうよね……」
今度のアンヌマリーの疑問には、マグダレーナが答えた。
幼い子どもの頃ならいざ知らず、ある程度以上の年齢になって貴族の娘がそのような振る舞いをするとはとても思えない。
アンヌマリーはヨゼフに女性の容姿を確認してみた。
「ねえ、あなたに声をかけてきたかたは金髪だった?」
「金髪と言えば金髪、かな」
「何だか歯切れが悪いわね」
第二王女であれば明るい金髪のはずなのだが、ヨゼフの返事は今ひとつ煮え切らなかった。しかし、声をかけられてすぐに逃げ出したと言っていたし、姿を見たのは一瞬のことだろうからあまり印象に残っていないのかもしれない。
そう思ったアンヌマリーが諦めようとしたところ、ヨゼフは言葉を続けた。
「あれも金髪なんだろうけど、金髪寄りの赤毛というか、赤みがかった金髪というか、そんな感じ」
「つまり、ストロベリーブロンドってこと?」
「ああ、そう呼ぶのか。じゃあ、たぶんそれだ」
アンヌマリーは、いぶかしげに眉をひそめた。
ヨゼフの言葉を信じるなら、それは第二王女ではない。第二王女の髪ならば、透き通るような透明感のある明るい金色なのだ。赤みがかった金色という髪色を持つ若い女性で、アンヌマリーの知っているのは──。
彼女の頭の中に浮かんだ名前を口にしたのは、ロベールだった。
「ニナか」
「ニナ?」
ニナのことを知らないヨゼフに、ロベールが簡単に事情を説明すると、ヨゼフは嫌そうに顔をしかめてうなずいた。
「ああ、例の男好きな嘘つき予言者か」
身も蓋もない酷評に、アンヌマリーは思わず「ひどい」とつぶやいて吹き出してしまった。
「どこがひどいんだ。ひどいのはあっちだろ」
確かにそのとおりなのだが、憮然としているヨゼフがおかしくて笑いがとまらない。




