パチモンのお姫さま (3)
アンヌマリーが自室に戻って宿題を片付け終わった頃に、夕食の時間になった。
メイドに呼ばれて食堂ホールに向かうと、すでに両親とヨゼフが席につき、食前酒の入ったグラスを傾けている。マグダレーナはアンヌマリーとほとんど一緒くらいに席についた。
全員そろったところで給仕が始まる。
執事が料理を運ぶのを見て、ヨゼフは首をかしげた。
「あれ。ちびは?」
「ああ、ノアはまだ一緒に食事ができる年齢ではないからね。子ども部屋で乳母が食べさせているよ」
「へえ」
ヨゼフの疑問に、父ロベールが答える。
そのやり取りを聞いて、今度はアンヌマリーが不思議に思った。
「孤児院では違うの?」
「孤児院には乳母なんていないからな。赤ん坊以外は全員一緒だよ」
ヨゼフの答えに、アンヌマリーは目を丸くした。
「まあ。そんなに小さい子が、ひとりできちんとお食事できるの?」
「できるわけがない。だから年長の子が面倒を見てやるんだ。活きのいいちびが多いときには、毎日食事が戦場のようになる」
「あなたも小さい子の面倒を見ていたの?」
「もちろん。何しろ最古参だからな」
アンヌマリーは、ヨゼフが「活きのいいちびたち」に翻弄されているところを想像しようとしてみた。が、どうにも想像できない。代わりに頭の中に浮かんできたのは、騒いでいる幼児たちが、ヨゼフにひとにらみされて急におとなしくなる姿だった。あながち妄想とも言えない気がする。
そして、ふと気になってヨゼフが食事する姿を眺めた。
平民の食事は、貴族の食事とは内容が違うし、当然ながら作法も違うと聞く。ヨゼフは貴族の家での食事に戸惑っていたりはしないだろうか。そう心配になってのことだったが、ヨゼフは特に困った顔を見せることなく、慣れた様子で食事を進めていた。
給仕の合間、執事はヨゼフの少し後ろに控えている。
ヨゼフに困った様子が見られればすぐに助言できるように、との配慮と思われたが、執事の出番はとんとなかった。
それが不思議で、アンヌマリーはヨゼフに尋ねてみた。
「ねえ、食器の使い方に慣れておいでだけど、普段からこういうお食事をしてらっしゃるの?」
「まさか。俺はランベルトの家で何度かごちそうになって、そのとき簡単に教えてもらったから知ってるだけ。ちゃんとした作法は知らないよ」
アンヌマリーの質問に、ヨゼフは声を上げて笑った。
そして少し考えてから言葉を続けた。
「ああ、でもランベルトに教えてもらったのとちょこちょこ違うから、戸惑ってはいる。何となく合わせてるだけだから、間違ってたら教えて」
「たとえば、どんなところが違うの?」
「そうだな、まずスプーンやフォークの置き方が違う。ひっくり返して置いてあるから、それに合わせてるけど」
「ああ、なるほど。確かにそういうところは国ごとに少し違うものね」
シーニュから出たことのないアンヌマリーも、国によって作法が多少異なることは知識として知っている。残念ながら実践した経験はないけれども。
二人の会話を聞いていたロベールが、横から補足した。
「ひっくり返してあるというか、紋章が見えるように置いているんだよ」
ロベールはまだ使っていないフォークを手に取り、ヨゼフに見せながら紋章の位置を指し示した。
食器にはその家の紋章が刻印されているものだが、刻印する位置が国によって異なる。しかしスプーンやフォークの紋章が見えるように置くという習慣だけは、どの国にも共通しているため、結果的に国によって置き方が変わることになるのだ。
オスタリアでは腹の側に刻印する。だからフォークやスプーンは腹を上にして置くし、食べ終わった後もそのように置く。
シーニュでは背の側に刻印するので、伏せた形で配置する。もちろん食べ終わった後も同様だ。
ロベールの説明を聞いて、アンヌマリーの横でマグダレーナがしげしげと手にしたフォークを眺めていた。
「そうだったのね。作法に違いがあることは知っていたけど、理由までは知らなかったわ。大変勉強になりました」
「これで行儀見習いにちゃんと実績がともなったわね」
「ほんとだわ」
少女たちは顔を見合わせて笑った。
細かな違いは他にもある。
食べ終わりの合図にナイフとフォークをそろえて皿の上に置くのは各国共通なのだが、置くときの方向が国によって異なる。
オスタリアでは六時の方向にそろえる。これは左右どちらからでも給仕をしやすくするためだ。
シーニュでは三時の方向にそろえる。これも給仕のためだ。シーニュの給仕は原則的に左側から行うので、最も邪魔にならない、反対方向にそろえることになっている。
なぜシーニュでは給仕が左側に限られるのかというと、これは食習慣の違いによる。
オスタリアでは食前と食後に飲み物が供され、食事中にはあまり飲み物を口にする習慣がない。したがって食事が終わってしまうとテーブルの上で手を動かすことが少ないので、左右どちらから給仕をしても問題が起きない。
一方、シーニュでは食事中にも料理に合わせて飲み物を供するのが一般的だ。したがって食事が終わっても、飲み物の入ったグラスのほうへ手を伸ばすことがままあり、その邪魔にならないよう給仕は必ず左側から行う。
こうした説明は、アンヌマリーとマグダレーナにとっても興味深いものだった。
二人とも作法自体は知っていても、その由来や理由までは知らなかったからだ。おそらくロベールはヨゼフのために解説したのであろうが、はからずも娘たちの教育にもなっていた。
作法の説明が終わると、ロベールは思い出したように話題を変えた。
「そうそう、きみの恩人の子どもたちのところへやった遣いが、さっき帰ってきたんだ。この屋敷に移ってくるのは明後日、ということで話をまとめて来たそうだ。明日は片付けと荷造りをして、明後日の午前中に受け入れだね」
「ありがとうございます」
ヨゼフが頭を下げると、オリアンヌが話の続きを引き取った。
「上の子の嫁ぎ先は、ラロシュ商会長の長男なのですってね。うちからお嫁に出すことになると、商会長に一報入れておいたわ」
貴族の後ろ盾があるとなれば、中小の商会にとっては大きなコネだ。きっと嫁ぎ先でも大事にしてもらえるだろう。ヨゼフは養父母となったロベールとオリアンヌに、深々と頭を下げた。




