パチモンのお姫さま (2)
「きれいなお姫さま」と言われたことは素直にとてもうれしかったけれども、アンヌマリーはヨゼフにひとつ注意しておくことにした。
「褒めてくださってありがとう。でもね、わたくしはお姫さまではないの」
「いや、誰が見たって本物のお姫さまだろ」
あまりにも流暢に話すからついうっかり忘れてしまいそうになるものの、ヨゼフはオスタリアの人なのだ。きっと「お姫さま」を何か別の言葉と間違えて覚えてしまったのに違いない。
だからアンヌマリーは「お姫さま」の正しい意味を説明してあげようとした。
「お姫さまっていうのはね、王家に生まれた女の子のことよ。我が家はただの貴族だから、お姫さまではないの」
「じゃあ、パチモンってこと?」
ヨゼフの口調がからかうものなのには気づいたが、彼女はそのことよりも彼の口から出てきた知らない言葉に戸惑った。
「パチモンって、なあに?」
「やべ」
ヨゼフは見るからに「しまった」という顔をした。
「お上品なお姫さまの前で使う言葉じゃなかったか。今のは忘れてくれ」
「えええ、気になるじゃないの。教えてよ。別に悪い言葉じゃないんでしょう?」
意味がわからないから質問したのに、とぼけようだなんて許さない。急に歯切れが悪くなったヨゼフに、アンヌマリーは食い下がった。しかしヨゼフは、のらりくらりとしらばっくれようとする。
「さあ。でも今まで知らなかったなら、知らなくていい言葉ってことだ」
「聞いちゃったから、もう遅いわ。ねえ、パチモンってなあに?」
一歩も引かないアンヌマリーの圧に負け、ヨゼフは渋々ながら説明した。
「ニセモノとか、まがい物って意味」
「そうなのね。初めて聞いたわ」
「だろうな……」
どういうわけか疲れた表情のヨゼフに、アンヌマリーは高らかに宣言した。
「そうよ、わたくしはパチモンのお姫さまなの」
「いや、なんでそこで得意顔なんだ」
彼女の宣言に、ヨゼフは吹き出した。
「平民にとっちゃ、貴族のお嬢さまってのは全部『本物のお姫さま』なんだよ。細かい違いなんて知らん」
ヨゼフのやけくそじみた言い訳に、アンヌマリーも笑ってしまった。
王女さまとそれ以外、という区別は彼女にしてみたら細かいどころかざっくりしすぎなくらいの分類だ。でも、何となくヨゼフの言わんとするところは想像できた。たとえば船乗りの階級なんて、彼女にはさっぱり違いがわからない。
一応、船長とそれ以外の乗組員がいるくらいのことは知っているけれども、言ってしまえば船長まで含めて彼女にとっては「船乗り」なのだ。きっとヨゼフにとっての「お姫さま」もそんな感じなのだろう。彼にとって富裕層の娘は、すべてみな「お姫さま」なのだ。
そしてヨゼフは、話を戻して雑に結論づけた。
「パチモンでも何でもいいけど、とにかく自分がきれいなお姫さまだってことは自覚しとけってこと」
しかし、ここでもアンヌマリーには差し挟むべき異論があった。
「自覚のしようがないわ。わたくしは特に美人でも何でもないもの」
「鏡を見たことないのか」
ヨゼフの呆れたような声に、アンヌマリーはムッとする。
毎日のように見ているに決まっている。だから自分の容姿はよくわかっているのだ。決して不美人ではないと思っているけれども、かといってマグダレーナのような人目を引く美人でもない。そもそもほっそりとした小柄な体格のせいで、かわいいと言われることはあれど、美人と言われたことは残念ながら一度もない。
「自分じゃわからないもんなのかな。だったらよけいに自覚しとけ」
「マギーなら確かに誰に聞いても美人だと言われるでしょうけど、わたくしは普通ですもの」
「何言ってんだ、同じくらいにきれいだろ」
「えええ?」
からかわれているのだろうか、とアンヌマリーは疑わしげな視線をヨゼフに向けた。ヨゼフはヨゼフで、彼女の頑固さに呆れたような苦笑いを浮かべている。
「初めて見たとき、本物のお姫さまってのはこんなにきれいなんだなって思ったよ」
「そうでしょう、マギーはきれいなのよ!」
「いや、だからなんでそこで得意顔なんだ」
どっと脱力しながらも、ヨゼフは言葉を続けた。
「ランベルトのお姫さまは、確かにやつが自慢するだけのことはあってきれいだけど、あんただって少しも負けてないよ」
「まあ。ランベルトさまは自慢してらっしゃるのね!」
「なんでそっちに食いつくかな。聞けよ、人の話を」
「失礼ね。聞いてるでしょ」
ヨゼフは力の抜けた失笑をもらし、あてつけのようにため息をついてみせた。
「まあいいや。百歩譲って普通だとしても、若い娘ってのは男にはそういう目で見られるもんなんだよ。覚えとけ」
「そういうのは、身内の欲目って言うのよ?」
アンヌマリーが言い返すと、ヨゼフはスッと目を細めた。かと思うと、やおら低い声で「いいから聞けよ」と一喝した。ノアを叱りつけたときよりずっと声量は抑えられていたものの、あのときと同じくらいドスが効いていて恐ろしい声だった。
彼女は反射的に硬直し、驚きに目を見開いてヨゼフを見上げた。
しかしヨゼフの表情は穏やかで、不機嫌さはかけらも感じさせない。静かな声でヨゼフは続けた。
「あんたが自分のことをパチモンのお姫さまだと思ってるかどうかは、この際どうでもいい。俺が言ってるのは『若い娘は男に気をつけろ』ってことだ。わかったか?」
「はい」
アンヌマリーが神妙に返事をすると、ヨゼフは表情を和らげた。
「よし。ならいい」
そう言って彼が彼女の頭をなで回すものだから、思わず彼女は抗議の声を上げた。
「やめてください。小さな子じゃないのよ」
「小さい子どもに言って聞かせるやり方でないと大事な話を聞けないんだから、ちびと変わんねーよ」
ヨゼフの言う「ちび」とはノアのことだろう。
四歳児と同列に扱われては、さすがにアンヌマリーも憮然とする。だが、叱られるまでヨゼフの言葉に半分しか耳を傾けていなかったのも事実だった。だからどれほど面白くなくとも、その点に関しては返す言葉がない。
彼女がどこか釈然としない顔でいると、ヨゼフが声もなく吹き出した気配がした。何を笑っているのか問いただそうとアンヌマリーがヨゼフを見上げてみれば、彼は「何か?」とでも問いたげな、とり澄ました笑みを浮かべている。
そして彼は、アンヌマリーに向かってひらひらと手を振って見せた。
「んじゃ、また後で」
「はい」
ていよく追い払われた感じがしないでもなかったが、話が終わった以上、その場に残る理由がない。どことなく納得できない気持ちを持て余しながら、アンヌマリーは自室に戻った。
ヨゼフに叱られた前後のやり取りのことばかり考えていたせいで、ヨゼフの部屋を訪ねた当初の理由については彼女の頭の中から消えていた。つまり、ヨゼフまで予言に巻き込まれて命を落とすのではないかという不安を、きれいさっぱり忘れてしまっていたのだ。
話をそらされたおかげで忘れていた、とアンヌマリーが気づいたのは、しばらくしてからのことだった。子ども扱いされたり叱りつけられたのは不本意だけれど、ヨゼフの言っていたのは正論でしかない。それに少々言葉が乱暴ではあっても、内容は思いやりに満ちていた。
父ロベールの人を見る目は確かだな、と彼女は思い、小さく笑みを浮かべた。
四歳児扱いをヨゼフにやり返されたことには気づいていないアンヌマリー。




