第五十三話 警戒と合流
「お兄ちゃん、逃さないわぁ。お兄ちゃん、逃さないわ。お兄ちゃん、逃さ───………」
ソファー用の枕として愛用していた歩美ちゃん抱き枕がバイブでブルブルと振動しながら喋り出し、俺は身体を起こして先程まで頭にあったそれを持ち上げると、腹を捻って音声を止めた。
歩美ちゃんとは、『うちの妹がヤンデレだと最近発覚して、それは別に大した問題ではないんだけど、俺を軟禁(?)するのはいかがなものかと思うんだが……。』というアニメに出てくるヤンデレ妹の歩美ちゃんのことだ。
これが動いたってことは、兄貴が帰ってきたってことか。
俺は歩美ちゃんをソファーに置いた後、テレビ横に置いた監視カメラモニターで、ベランダに誰もいないこと、見ていないことを確認する。
そして、しゃがんで腰を低くしベランダへ出るガラス戸の前まで移動する。リビングの直ぐ側にベランダがあるので距離は元いたソファーから僅か二メートル程だ。
ガラス戸の一番右下部分に親指のみをグッと力を入れて押し付ける。すると、スーっとガラス戸の下部分のみが自動ドアのように下がって通行が可能になる。
これは、指紋認証システムだ。登録者以外の開閉は不可だ。さらにこれには、人感知センサーが搭載されており、人が一人通り抜けたことを確認すると自動で閉まるようになっている。
そのまま低い姿勢を持続し、ベランダへ出る。
目の前は手すり壁なので、道路沿いから俺の姿を捉えることは出来ない。しかも、周囲に特に大きな建物もないので、向かいの建物からこちらをうっかり覗かれる危険性もない。
気をつけるべきは左隣と、上の階だけだ。
カモフラージュに、左隣から見られてしまわないようにトリネコ、バンブー、オリーブ等の大きな観葉植物をベランダを仕切る隔板の近くに設置しておいた。正直、植物に興味はないし、隣の人への迷惑になってしまうので、これらは全て偽物の造木だ。日に焼けてボロボロになってくると、買いなおさないといけないのが面倒だが、本物を管理するよりはマシだ。
俺は右隣の隔板まで移動し、ガラス戸の時と同様に一番右下部分に親指のみをグッと力を入れて押し付ければ、プラスチックの板が下へ下がり、そこを通り抜ける。
右隣の隔板は通る時のために何も設置していないが、上の階の人物に通行しているところを目撃されてしまわないように、隔板ギリギリの所に人工ツタをぶら下げている。天井の物干金物に引っ掛けて上手く固定し、緑のカーテンを作ったのだ。
右隣の部屋──ここは、兄貴の部屋だ。
兄貴のベランダには、人工ツタではなくマジックネットが掛かっている。マジックネットとは、内側から外は見えるが、外側から内を見ることが出来ないネットのことで、ネット上で普通に販売されている。
兄貴のベランダの隣には誰もおらず、ここが一番端になっているため、カモフラージュの必要性がなく、何も置かれていない。
最後の指紋認証を済ませて中へ侵入し、リビングの真ん中まで歩く。
寝室から戻ってきたであろう人物は俺の兄貴だ。
「おかえり、兄貴」
「ただいま」
兄貴は眉を下げて心配そうな顔をして力強く俺を抱きしめてきた。
いつもなら、「気色悪いな」とでも言って、軽く蹴ったり叩いたりするのに、そんな気は一切、起きなかった。
兄貴の身体が小さく震えていたことに気がついたからだ。
心配したのは、兄貴だけじゃねぇっての……ったく。
俺は柄にもなく、兄貴の背に手を回し抱きしめていた。
"もう、二度と失うわけにはいかねぇ……"
兄貴も今、俺と同じことを思ってるんじゃないだろうか。でも、何も知らないまま死んでいくのは御免だ。
テロを起こし、父さんを殺し、そして実行犯を父さんに仕立て上げたその犯人と真相を知るまで俺たちは─────
"絶対に死なねぇ‼︎"
危険なことは百も承知だ。これからもきっと死にかけることがあるだろう。
でも、俺たちは双子───二人で一つ。
二人ならなんだって出来る。
いや、なんだってしてみせるさ。
全てを暴く為に────。




