コマンオスのプロフィール
降伏したコマンオスを見たアンティオコス3世は
(我々を苦しめたのは、このような男であったのか……)
と、少し拍子抜けした感じで眺めていた。
ヘレニズム諸国を創り出したマケドニアの英雄・アレクサンドロス大王は非常に魅力的な美男子と言われている。
肩までの長さのブロンドの巻き毛で、「溶けるような、魅惑的な眼差し」または「鋭い眼光」と記録される目が特徴的な色白の青年王であった。
身長は平均よりもやや低いが、筋肉質で頑丈な体格で、その体からは非常に良い香りを放っていたとされる。
英雄は、見た目から他人と違っていた。
それに対し、コマンオスは見た目は平凡である。
大柄なのは目立つ部分だが、他は黒のややくせ毛、濃い茶色の瞳、日焼けした肌色。
気になるのは、目つきである。
少し眠そうに瞼が垂れているが、そこから覗く目には光がある。
野心とは違うが、何か強い意思の力を感じるものだ。
アンティオコス3世は見た目だけで人を判断しない。
確かに、見た目が平凡だったから拍子抜けはしたが、それでもこの男は自分たちを苦しめた事に変わりはない。
アレクサンドロス大王のような「いかにも英雄」という見た目でない事を確認すると、それはそれで納得して普通に話しかける。
「余がアンティオコスである。
将軍の仕事っぷりは実に見事であった。
余は将軍を賓客として迎える事とする。
まあ、捕虜という立場なので、少し不自由をかけるが、我慢してくれたまえ」
「自分はコマンオスです。
まず部下たちを帰国させてくれ、感謝します。
自分の身は、陛下のお好きにして下さい」
「うむ、ではそのように遇しよう。
まずは将軍の事を聞きたい。
余はエジプトと戦うにあたり、プトレマイオス家の将軍たちはあらかた調べたつもりだった。
だが、将軍の事は知らなかった。
君はどこの生まれで、どうやって将軍になったのか。
君の今までの事を話してくれないかな」
顔を覗き込みながら、興味深そうに微笑む王。
コマンオスはちょっと困り顔で
「はあ……、それは構いません。
大した人生は送っていないので、そこは先に言っておきましょう」
と断りを入れる。
こうしてコマンオスは、自身の前半生を語り始める。
コマンオスは、エジプトのナイル・デルタの東端にあるペルシウム市で産まれた。
人種的には、マケドニア人とペルシャ人の混血である。
曽祖父がアレクサンドロス大王の遠征に従い、ペルシャ征服後に大王主催の集団結婚でペルシャ貴族の娘を娶った。
その後、アレクサンドロス大王の死に伴い、マケドニアへの帰国を願うが、叶わず。
熾烈な後継者戦争に巻き込まれ、曾祖父は戦死し、一族は没落する。
祖父は、母の出自であるペルシャ貴族に世話になり、そのままアジアに土着した。
その後、父の代でセレウコス朝の領内から、より裕福なエジプトに入植する。
後継者戦争がひと段落し、三大国が鼎立した今、ギリシャ語圏であるヘレニズム諸国間で、より良い生活環境を求めたり、学問や軍人としての職の為に国家間を渡り歩き、移住するのは当たり前の事であった。
ペルシウムで農地を買った父だったが、マケドニア系は所詮はエジプトでは余所者。
地元民には受け入れられない。
一家はギリシャ人コミュニティに属して暮らす。
ギリシャ人コミュニティでの礼儀は哲学を語る事であった。
一端のギリシャ・マケドニア系であれば、何らかの哲学を語れるのが、文明人としての嗜みとされた。
そんな環境で育ったコマンオスだったが、彼は観念的な哲学論議を嫌ってしまう。
精神性や真理について語るよりも、原因があって、そこに法則が働き、一意の結果が出る学問を好む。
一方でギリシャ人コミュニティは、抽象的な哲学だけを語るわけではない。
そこには科学といえる学問も存在していた。
数学、工学、天文学、化学、そして医学。
コマンオスはそちらの学問に興味を示していた。
長じたコマンオス少年は父から
「お前は医者になった方が良いかもしれないなあ。
自分のように小麦を作りながら、気分転換に哲学を語り合う生き方は合っていない。
ペルシウムに来て蓄えも出来たし、医学を学ぶのなら、アテナイに留学させようと思うが、どうだ?」
そのように提案された。
(そうなのかもしれないな)
やや他人任せながら、医学を勉強する事に興味が無かったわけでもなく、コマンオス少年は父の言葉に従う。
この留学に際し、父はペルシウム市の軍事総督トレポレモスに頼み、保証人となって貰った。
トレポレモスとコマンオスの縁は、この時のものである。
彼はギリシャに渡り、アテナイに留学して医学を本格的に学ぶ。
父が言うには、アテナイこそ医学の本場である。
だが、父の知識は相当に古いものだったようだ。
アテナイは確かに、「四体液説」等ヒポクラテス派の伝統に基づいた医学理論が発達していた。
しかし経験則や推論に基づいた理論でしかなく、科学的な実証に欠けている。
次第に時代遅れなものとなっていた。
それに思い当たったコマンオスは、彼の師匠に相談する。
師匠は医学者であると共に、ストア派の哲学者であった。
無駄を廃し、一途に人生を見つめる禁欲的な人間性を、コマンオスは尊敬し、それを見倣っていたが、医学に関してはどうにも物足りない。
師匠に対し無礼ながら、そう伝えると、師匠も
「確かにそうだ」
とあっさりしたもの。
そして
「最近の医学の中心地はアレキサンドリアじゃ。
だからこそ、学問が出来ない者は学べないのだが、お前なら大丈夫じゃ」
と言って、推薦状を書き、医学を修めた証として医神の杖を渡す。
こうしてコマンオスは、ナイル・デルタ東端のペルシウムから、アテナイ経由で、ナイル・デルタ西端のアレキサンドリアに移って学問を続けた。
アレクサンドリアでは人体の解剖が公式に許可されていた為、科学的な思考のコマンオスにとって、どういう理屈でどう治すか、という部分を納得いくまで学ぶ事が出来た。
ここで彼は外科を学び、止血術や縫合術、骨折・脱臼の整復、衛生と消毒を身につけていく。
だが、医者としてコマンオスは大成しなかった。
医学者としては優れている。
理論上正しい事を求めるのだから。
しかし、人との関わりとなると、この理屈っぽさが嫌われる元となった。
医学を学ぶ仲間は論理的でも、患者が論理的ではないのだから。
軽い風邪でも、薬の一つくらい処方してくれる処世術が求められる。
しかしコマンオスには、それは無駄なものにしか見えない。
やがて彼は
「治療の必要無し」
「この薬は効果無し」
「祈祷は意味無し」
とぶっきらぼうに否定するような言い方となり、より一層患者から嫌がられる。
彼はこの時期から、出来る、出来ないをはっきり言うようになっていた。
だから、不治の病や重傷を負った者に対し
「手遅れです。
どこに行っても手の施し様がありません」
と言って、絶望させてしまう。
これは医者としては致命的な欠点であった。
こうしていつまでも「外科処置は出来るけど、患者は任せられない」見習いのまま、気づけば三十歳を超えてしまった。
哲学者なら、老齢無職で理論だけ語りながら暮らす者もいようが、そのようなソクラテス的生き方をコマンオス自身が嫌っている。
幼少期に見た、ギリシャ人コミュニティでの無意味な会話が、彼はこの上なく嫌だったのだ。
そろそろ独り立ちしたい、そう思っていた時、アレキサンドリアで事件が起こる。
専横で憎まれていた宰相アガトクレスが、民衆蜂起によって倒され、リンチを受けて殺されたのだ。
アガトクレス死後、ペルシウム軍事総督のトレポレモスが、軍隊を率いてアレキサンドリア入城、そのまま6歳の王プトレマイオス5世の摂政として政治を行う。
そんな折、コマンオスはトレポレモスに呼び出された。
トレポレモスは、自分が保証人となった若者が、今はアレキサンドリアに居ると何処で知ったようだ。
「医学はきちんと習得したのか?」
呼び出されて少し不貞腐れているコマンオスに問う。
「医学は身につけた。
だが、医者には成れていない」
「腕が悪いのか?」
「いや、もうすぐ死ぬ者に『貴方はもう助からない』と言う医者に、患者を任せられないそうだ。
ハゲた患者に、毛を生やす薬は無いから諦めろと言ったら、大層怒られた。
こんな感じだが」
その答えにトレポレモスは爆笑した。
呼吸困難になるくらい笑うと、
「よし、お前は俺の主治医になれ。
いや、まだ医者として独り立ちしていなかったな。
それだと他の医者の手前、お前が恨まれてしまう。
俺の体調を、すぐ傍で管理する役を与える。
どうだ?」
と言ってくる。
いつまでも師匠の助手のような立場ではいられない。
高給にも釣られ、コマンオスはトレポレモスの主治医のような、マッサージ師のような、何とも言えない地位に就く。
その一年後、アガトクレスの腰巾着であったアリストメネスが政変を起こし、トレポレモスは国外追放、次の宰相に失礼な態度で接したコマンオスはコイレ・シリアの前線送りとされた。
「ペルシウムのトレポレモスなら知っていた。
そうか、君はトレポレモスに仕えていたのか。
しかし、今でも医神の杖を持っているところを見ると、君はまだ医者になりたいと思っているのか?」
「……医者はもう目指していない。
こんなに人を殺した医者は、居てはならない。
これは、単に便利だから使い続けているだけです」
「なるほど、これからは軍事一本でいくのだな」
「さて、どうなりますか。
自分は将軍たる兵学を知りません。
ずっと医学の徒であり、それは学んで来なかったのです」
(この男は、正規の軍事教育を受けていないのか……)
アンティオコス3世は内心唸る。
と同時に、納得もしていた。
正規の軍事教育を受けた者なら、重装騎兵戦術に拘る。
しかし、この男は相当柔軟に、他兵種を使いこなしていた。
(今からでも兵学を学ばせれば、もっと良い将軍になるかもしれない)
アンティオコス3世は、将軍としては若造である37歳のコマンオスを見ながら、そう思うのであった。
おまけ:
今更ですが、コマンオスという人物についての史料は全くと言っていい程ありません。
父親の名前はアゲサルコスで、プトレマイオスという名の弟がいました。
弟は、プトレマイオスだらけでゲシュタルト崩壊を起こさない為、登場させません。
(後で出て来るキプロス総督もプトレマイオスという名前なので、スポット登場とします。
既に登場した、セレウコス朝に寝返ったコイレ・シリア総督もプトレマイオスでした)
一応、実在の人物です。
分からん部分を勝手に創作しましたので、結果以外は史実と思わないで下さいね。
おまけの2:
自分的には、「銀魂」の坂田銀時、「パトレイバー」の後藤隊長、「ヒロアカ」の相澤消太「おっさん剣聖」のベリルを混ぜ合わせて西洋人風味にした感じの顔を想定していましたが、一見やる気なさそうな眠そうな瞼と、眼光には覇気があるってのを、上手い具合に表現出来ませんでした。
要は、地中海沿岸人の平均顔に、上記の目付きを持った感じをイメージしています。
AIに描かせてみましたが……人気出ないな、この顔は、うん。
なお、肖像画を元に漫画チックにしたアレクサンドロス大王がこちら。




