第五次シリア戦争終結
王の親政が始まったとはいえ、実質的なアリストメネス政権は続いている。
アリストメネスの考えは、良くも悪くも「現状維持」「現状の受け入れ」であった。
エジプトがコイレ・シリア地方を失い、小アジアの領土の失いつつある、これは現実である。
パニウムの戦いで入植マケドニア人重装歩兵部隊の大半を失った、これも現実である。
兵力不足の現在、反乱を起こした上ナイル地方を討つ事は出来るが維持出来ない、これも現実である。
自分の友人でもあった亡きアガトクレスの贅沢では、最早やっていけない、これだって現実だ。
国王プトレマイオス5世はまだ14歳の少年に過ぎない、しかし親政を求められている、それも現実。
アリストメネスはこれらの現実を受け止めて、
「アレキサンドリア周辺を領土とし、食糧輸出等の交易で栄える国に体制を変える。
反乱などあえて鎮圧せず、好きにさせておこう。
国を縮小すれば、十分やっていける。
肥沃なナイルのデルタ地帯さえあれば、プトレマイオス王朝は成立する」
という方針で政治を行っていた。
この方針は、マケドニア貴族たちにも都合が良い。
土着して長い彼らは、保守的になっていた。
富貴な生活と特権さえ維持出来るなら、上ナイルもコイレ・シリアも不要である。
誇り高さは残っていた為、失地回復を口では唱えていたが、実際はどうでも良いと言うか……。
貴重なマケドニア人入植者から成る重装歩兵を、これ以上国外で潰されたら溜まったものではないし。
勝てる戦いならともかく、難儀な戦争に、重装騎兵として従軍するのも避けたい。
彼らは、引き続きアリストメネスを支持する。
他方、アリストメネスはエジプト人の不満を抑える為、限定的ながらも官吏登用を開始した。
自分の過去はさておき、賄賂政治も正した。
そうして清廉かつ有能な地方官を任命した。
こうした善政は、アレキサンドリア周辺に限定されたものである。
「万物流転」を考えの根に置くアリストメネスは、現実のプトレマイオス朝に合った最適と思う政治を行い続ける。
そのアリストメネスが見向きもしない上ナイル地方、テーベにて。
「民の様子はどうじゃ?」
神官の一人がアンクマキスに尋ねる。
「落ち着きを取り戻しています。
ホルウェンネフェル様の戦死を受け、一時は浮足立ちました。
しかし、アメン神のご加護を得て、テーベに攻め入ったギリシャ人を撃退したとして、今ではすっかり以前と同じように反ギリシャで盛り上がっております」
アンクマキスの回答に、神官たちは頷く。
「民の間では、ホルウェンネフェル様は死んでおらず、その神威にて勝利を得たと噂されています。
士気が高いのは結構ですが、ホルウェンネフェル様が亡くなったのは事実。
新しいファラオを立てねばなりますまい。
アメン神官団の中から、良きお方をお選び下さい」
アンクマキスがそう提言するも、神官団の老人たちはくぐもった笑いで返す。
「何を申しておる?
ホルウェンネフェル殿は死んでなどおらんよ」
「は?
異な事を申されまするな。
ホルウェンネフェル様が敵の手に掛かったのは、私がこの目で見届けたのですぞ」
「アンクマキスよ、そなたは神への信仰が足りぬな。
人は死して、その魂は冥界のオシリス神の元に参る。
而して、悪しき者は怪物アミメットによって魂を滅せられる。
ホルウェンネフェル殿は善なる者だ。
それゆえ魂は不滅、再び現世に舞い戻るものと決まっておるわ」
「『死者の書』の事は存じております。
しかし、ホルウェンネフェル様の戻るべき肉体は敵の手中にあります。
復活されても、どうする事も出来ませんぞ」
アンクマキスは軍閥の長だけあって、現実主義者ではあるのだが、「エジプト再興」を掲げる反乱においてエジプトの宗教を否定する事も出来ず、そのような回答となる。
そんなアンクマキスに対し、神官の一人が指を差した。
「ホルウェンネフェル殿の魂は、そなたの中に宿っておる」
「は?」
「鈍い男よのお。
その方が、ホルウェンネフェル殿の意志を継ぐのだ」
「それはなりません。
私は世俗の者。
ファラオは、どうか皆さま神官の中からお選び下さい。
そして我々を導いて下さい。
私は補佐するだけです」
「案じるな。
ホルウェンネフェル殿の魂を宿す者よ。
そなたを我々が助けよう。
ホルウェンネフェル殿の魂を受け継いだそなたでなくては、この聖なる戦いは乗り越えられんぞ」
「しかし、私はヌビアの血を引く者。
エジプトのファラオにはなれますまい」
アンクマキスは、南方クシュ王国にもルーツを持つ。
純粋なエジプト人よりも肌の色が黒く、戦車よりも騎乗を好む。
自分がクシュ王国のヌビア人の血筋だからと卑下するつもりは無いが、彼はそれを理由に断ろうとしていた。
だが、神官団は老獪である。
「ピイ王を始め、ヌビア人のファラオは過去にも居ったぞ」
「要は誰がアメン神のご加護を受けるかなのじゃ。
今はそなたが神の加護を受けておる。
これこそ自分神託なり」
「神託は既に降りておる。
よもや、断る事などせぬであろうな?」
「そなたが断れば、ホルウェンネフェルは悲しむであろうな」
「民の願いも虚しく、ギリシャ人による支配が続こう。
それでも良いと、そなたは申されるか?」
数を頼りに畳みかけて来る。
「…………分かりました。
神官様が左様仰せなら、仕方ありません。
神託も受けられぬ、世俗の者です。
どうか皆様方のお力添えを」
「うむ、世俗のファラオを支えるのは、我等神官の勤め。
安堵するが良いぞ」
こうしてアンクマキスは、「オシリス神が生き長らるように」という意味の「アンクウェネフェル」という聖名を得て、テーベにおいてファラオとして即位した。
遡ってアンクマキスは、ホルウェンネフェルの養子であったという事にもされる。
(ジジイどもめ、食えない連中だ。
ホルウェンネフェル様といい、私といい、矢面に誰かを立たせて自分たちは黒幕でいるつもりだな)
アンクマキスは、心の中で毒づいた。
神官たちも
「ファラオを引き受けて貰わねば、我々が困ったところじゃった」
「我々が表舞台でギリシャ人に反抗すれば、神殿を破壊されかねん」
「ファラオなどは、如何に強くても、所詮は我等の神託で動く人形に過ぎぬからな」
「左様左様、我等は動かす者であり、動かされる者は他に居ないとならぬ」
と、身内の会話で腹黒い本音を曝け出しているのだが。
兎も角も、アンクマキスをリーダーとし、ホルウェンネフェルは生死を定かにしない状態で、反乱軍はエジプト全土で再蜂起した。
小アジアでは、コマンオスが軽騎兵を使ったゲリラ戦を繰り返している。
彼は守りの固い攻城兵器部隊や、その製作をする工兵部隊への襲撃を断念し、ただ補給部隊の攻撃と、流言によってセレウコス朝軍の士気を衰えさせる事に専念する。
「コスパス将軍率いるアイトリア同盟傭兵団が上陸、こちらに進撃している」
「アンティオキアで暴動発生、王宮が暴徒に荒されている」
「アレキサンドリアからエジプト海軍が出動した」
という噂を流したのだが、効果は全く無かった。
既にアンティオコス3世に対し、アリストメネスは和平条約交渉を行っている。
その中で、コスパスは反乱の容疑で処刑されたと伝えられていた。
アイトリア同盟も、第二次マケドニア戦争の結果、ローマに服属している。
アンティオキアには、パニウムの戦いで重装騎兵を率いた小アンティオコス王子が入城し、守りを固めている為、暴動などは起きようはずもない。
流言は、いくら流してもその実態が知られている以上、信憑性が全く無いものだった。
コマンオスも、自国の宰相によって自分の策が潰されている事には対処しようがない。
実際、宰相は援軍要請を握り潰している。
若きプトレマイオス5世が、しきりに「忠実な臣下を助けよ」と叫んでいるが、宰相がそれを遮っていた。
そういった事情は、海を隔てた小アジアまでは伝わって来ず、想像する他はない。
そして、コマンオスは兵力が湧いて出る魔法の壺など持っていない為、無意味かもしれないと自覚しつつも、援軍要請を本国にし続ける他無かった。
そしてついに、アナトリア半島南部のプトレマイオス朝領は力尽きる。
紀元前200年のパニウムの戦いでセレウコス朝が勝利し、そこから始まった攻略戦。
紀元前195年の今まで、よく粘ったと言える。
「カリアが落ちました。
城兵は降伏しました。
もう貴方がたの守るべき城はありません」
落城した都市から使者が来て、コマンオスに戦闘停止を呼びかける。
既にクサントス、テルメッソス、エフェソスといったプトレマイオス朝領も陥落している。
小アジアにおける全ての城が落ちてしまった。
「力及ばず、か……。
まあ、常に勝てるわけではない。
敵がずっと上手だったか。
さて、どうしようかな?」
そう呟くも、コマンオスの次の行動は決まっていた。
『シリア王アンティオコス3世陛下へ
小官コマンオス率いる千騎の軽装騎兵は降伏します。
陛下の兵を損ねた責任は全て、自分コマンオスにあります。
自分の身は陛下に委ねますので、兵士たちには寛大な処分をお願いするものです』
定型文だが、降伏の意思を伝える書状をしたため、セレウコス朝軍に使者を送る。
こうしてコマンオスはアンティオコス3世の捕虜となった。
小アジアの陥落を見届けた、否、そうなるだろうと見捨てて見守っていたアリストメネスは、最早援軍を送る意味も無くなったと少年王に告げ、アンティオコス3世に正式な降伏の使者を送る。
そしてコイレ・シリアと小アジアの領土放棄を明言した和平条約を締結した。
紀元前195年、この年プトレマイオス朝エジプトは、アレクサンドロス大王の後継者国から脱落し、一地方王朝に後退したのである。
おまけ:
プトレマイオス朝とセレウコス朝の「シリア戦争」について。
第一次:紀元前274~271年。
プトレマイオス2世 対 アンティオコス1世。
コイレ・シリア地方をどちらが領有するかで対立。
プトレマイオス2世は外交で成果を挙げ、アンティオコス1世は国内の政治問題で戦争断念。
プトレマイオス朝が勝利し、コイレ・シリア地方の大部分を取得。
第二次:紀元前260~253年。
プトレマイオス2世 対 アンティオコス2世。
アンティオコス2世はアンティゴノス朝マケドニアと同盟し、両国で攻めて来る。
セレウコス朝が勝利し、プトレマイオス朝はシリア、パンフィリア、イオニアを失う。
第三次:紀元前246~241年。
プトレマイオス3世 対 セレウコス2世。
セレウコス朝の王位争いで、エジプトから嫁いだベレニケとその子が殺害された事への報復戦争。
プトレマイオス朝は、セレウコス朝の首都アンティオキアを落とす。
プトレマイオス朝の大勝利で、シリア北岸までを領土とする。
第四次:紀元前219~217年。
プトレマイオス4世 対 アンティオコス3世。
エジプトにおいて王の政治的無関心により、貴族たちが専横、重税が敷かれる。
この状態を見たアンティオコス3世が、コイレ・シリア地方奪取を考えて宣戦。
エジプトでは、ソシビオスがエジプト人部隊を編成。
ラフィアの戦いでの勝利で、戦争全体でもプトレマイオス朝の勝利となる。
第五次:紀元前202~195年。
プトレマイオス4世の死亡、王妃アルシノエ3世が暗殺される。
ソシオビスもアガトクレスに殺され、専横に怒った民衆が蜂起してアガトクレスも殺される。
この混乱を見たアンティオコス3世が、再度宣戦した。
後の推移は作中で描いた通り。
セレウコス朝の勝利だが、ローマの介入がこの時から始まる。
第六次:to be continued....




