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紀元前196年のあれこれ

 エジプトの首都アレキサンドリアでは、宰相アリストメネスが一つの宣言をしている。

「これより(ファラオ)プトレマイオス5世陛下が、親政をなされる」


 アリストメネスは、自分に対する評価が悪化しているのを感じていた。

 内政は、客観的に見れば善政の類であろう。

 しかし、既得権益者からすれば、自分の利権を脅かされる政治に他ならない。

 また、外国関係では、コイレ・シリア地方と小アジアの領土を棄てようとしている事に反感が集まっている。

 そして上ナイル地方の反乱を鎮めた……そう思われているだけだが、その功労者であるスコパス将軍とディカイアルコス将軍を粛清した事で人心は乱れてしまった。

 この自身への不評への対策として、少年王の親政を宣言し、自身はその補佐役に収まる事で、事実上何も変わらないままやり過ごそうとしたのである。

 プトレマイオス5世はこの時14歳、まだまだ補佐が必要な年齢である。


 その少年王を交えての政治で、宰相は早速、王から政治姿勢を問われる。

「何故、味方が奮戦しているキリキアやカリアに援軍を送らないのか?」

 食えない政治家アリストメネスは、少年王の未熟を窘めるような形で説明する。

「既にコイレ・シリアは奪われ、我々は陸路で援軍を送る事が出来ません。

 そのコイレ・シリアが失われた原因、それはパニウムでの敗戦に因ります。

 我が国は現在、兵力が枯渇しおります。

 この上、残った兵力を、貴重な海軍を使って輸送するというのは避けるべきでしょう。

 海軍まで失われたら、我が国を守る兵力は消滅します。

 ここは今の形を維持し、その形なりの国家とすべきでしょう」

「しかし、キリキアからは援軍要請が来ていると聞くぞ」

「ははは、勝ち目が無いのに、援軍を送っても、ただ兵を損ねるだけです。

 どうせ勝ち目が無いのなら、いっそすっぱりと棄ててしまいましょう。

 万物は流転します。

 もはや今の我が国は、小アジアやシリアを領し、我らが海ヘ・ヘメテラ・サラッサ(地中海)の覇権を争うような国家ではありません。

 現実を認め、その形なりの生き方をしましょう。

 若い陛下には、逸る気持ちが有りましょうが、ここは先達たる私めに万事お任せあれ」

「領土を放棄するそなたに任せて良いのか!」

 すると貴族たちが口を挟む。

「陛下は即位されたばかり。

 まだ政治の事は学ばねばなりません」

「左様。

 確かに宰相殿のやり様には、我々とて不満はあります。

 されど、政治を知らぬ陛下が宰相に代われば、余計に悪化しかねません」

「ここは、我々大人にお任せあれ」

「貴族はその為に存在するのです。

 国王の器量とは、どれだけ我々を信用されるか、なのですよ」

 多勢に無勢。

 王宮がこのようでは、少年王は黙るしかなかった。




 こうしたアレキサンドリアでの事を、コマンオスもアンティオコス3世も知らない。

 彼らは引き続き小アジアで戦い続けている。

 セレウコス朝シリアの大王は、大軍を率いる者に相応しい作戦で、コマンオスの「嫌がらせ」戦術に対抗していた。

 これまでの全都市に兵を振り分けて攻勢をかけ、早期に全土を制圧する方針を転換する。

 軍を集結し、一城一城地道に陥落させていく方針とした。

 当然、工兵も技官も、その護衛部隊も集中する。

 軍は山林に布陣し、陣の周囲を防禦しながら、石を切り出し、木を伐採して攻城兵器を作り上げる。

 攻城兵器を同時に10基作らせていたなら、コマンオスの妨害作戦で1基を破壊されても、残り9基が完成すればそれで良い。

 分散して1基ずつ作っているなら、各個に妨害されよう。

 しかし、集中して作れば多少妨害されようとも、結果として多数を完成させられる。

 こうしたアンティオコス3世の方針転換を見たコマンオスは、相手を見事だと賞賛していた。


「流石はアレクサンドロス大王時代の領土を復活させた偉大な将だ。

 その方針転換もそうだが、それに兵士たちが従っているのが見事だ。

 人間の身体もそうだが、ちょっと突っつけば反射的に動いたりするものだ。

 それを軍という集団において、完璧に制御している。

 どれだけの統率力があるというのだろう」

 ある意味他人事のように敵を賞賛するコマンオスに、部下が意見する。

「将軍、褒めていても始まりません。

 ここは嫌がらせのような攻撃ではなく、本気で攻めて、多少の犠牲は無視してでも敵の攻城兵器を破壊しましょう。

 さもないと、籠城している我が軍の不利になりますぞ」

「それこそが、敵の王の狙いだ。

 君も敵兵の顔色や、地形、森林の風の音を聞きたまえ。

 我々が本気で攻撃して来るのを、息を凝らして待ち構えている部隊がいるぞ。

 敵からしたら、我々が今までの繰り返しをしても、攻城兵器を完成させられるから良し。

 本気で攻撃して深入りしたら、伏兵を使い包囲して殲滅出来るから、それも良し。

 そう考え、それを出来るだけの兵力を集めたのだ」

「では、このまま手をこまねいているだけですか?」

「当然、次の策に移らねばならない」

「おお、そんな策があるのですか?

 流石はコマンオス将軍ですな。

 それで、どうされるのですか?」

「この地を離脱し、首都アンティオキアを襲う。

 首都が危うくなれば、敵もこの地に構ってはいられなくなる」

「なるほど!

 では、そのように動かねばなりませんな」

 逸る部下たちだが、コマンオスは浮かない顔だ。

「何か心配事でもありますか?」

「うん、今の兵力でそれをやったら、確実に失敗する」

 部下たちは黙った。

 彼等は、このストア派の医者上がりの将軍は、威勢の良い事は一切言わず、出来ると言ったら確実に成功し、出来ないと言ったら絶対に失敗する事を知っていたのだ。

 コマンオスは続ける。

「まず、千騎程ではアンティオキアを脅かすに兵力不足だ。

 そして、城兵は我々が外で戦い続けているのを見て、限界を超えて粘っている。

 今、我々がこの地から去れば、士気が瓦解して一気に降伏してしまうだろう。

 であれば、せめて代わりの部隊を置いておかないと、小アジアの戦い全体が崩壊してしまう」


 冷静で現実主義者、お世辞も言わなければ、過大な自己評価もしない。

 そういう冷徹なストア派の面を見せていたコマンオスだったが、数年指揮官として戦い続けて、成長している。

 士気という目に見えない、数値で計れない得体の知れないものが、戦闘においては極めて重要なのだ。

 人に対して現実を突き付けるより、期待を持っているならそれに応えた方が、良い場合も多々ある。

 現実を見ないとダメな場面もあるが、一事が万事それでは、戦争というものは出来ない。

 それも含めて冷静に判断したら、今の兵力では何も出来ないという残酷な結論が出てしまった。


「アレキサンドリアには既に援軍要請の使者を送っている。

 海路だから、もしかしたら途中で遭難したかもしれないが、既に十回は送ったから、何人かは宰相の元に辿り着いたと思う」

 話したのはそこまでだ。

 コマンオスには、確信こそ無いものの

(辿り着いたものの、宰相が援軍要請を握り潰した可能性がある。

 待っていて欲しいとも、無理だとも、返事が来ない事が何かの思惑を物語っている。

 恐らくは……)

 コマンオスは、アリストメネスが小アジアのプトレマイオス朝領を放棄する可能性を考えていた。

 政治に関わって来なかったとはいえ、コマンオスは宰相で四苦八苦したトレポレモスの側に仕え、王宮での愚痴を聞かされていた過去がある。

 上手く根回しし、利害調整しないと動かない貴族たちの事も。




 一方、カリア近郊のアンティオコス3世の本陣にて。

 王の次男セレウコス(後のセレウコス4世)は、城を一個ずつ確実に落とす父に対し、

「こちらは大軍なのだから、全面攻勢で一気に制圧すべきでしょう!」

 と詰め寄っていた。

 アンティオコス3世は苦笑いし、

「古来、『ゆっくり急げ(Σπεῦδε βραδέως )』と言う。

 セレウコスよ、お前はまだ若い。

 慎重さを身につけねばならない」

 と窘めた。

「しかし父上、あのマケドニアがローマに敗れました。

 我がシリアも、いずれローマと対峙する事になりましょう。

 愚図愚図と時間をかけてはいられませんぞ」

挿絵(By みてみん)

 セレウコスの反論に、父は今度はニッコリと笑う。

「お前にはローマが見えていたか」

「当然です」

「上出来だ。

 なればこそ、この地は確実に抑えねばならない。

 そして、エジプトにも余り恨みを残さないようにしないとな。

 ローマと事を構えている内に、エジプトに背後を襲われたら、たまったものじゃない」

「なればこそ、キリキアもカリアも即座に奪い、その余勢を駆ってエジプトも滅ぼし、アレクサンドロス大王時代のマケドニアを我等の手で再興すれば良いのです」

「中々考えておると思ったが、まだ足りんな。

 国際情勢を把握しておけ。

 ローマはエジプトから食糧を買っておる。

 我々がエジプトに手を出せば、ローマが襲って来る。

 我々は前後に敵を迎える事になる。

 更に、お前が言ったマケドニアの敗戦。

 我々はマケドニアと同盟を結んでいたが、今回それを無視した。

 マケドニアは破れ、ローマの同盟国に成り下がった。

 エジプトとの戦いが長引き、本土に攻め入り等したら、ローマとその同盟国のマケドニアも我等を襲うぞ」


 紀元前197年、第二次マケドニア戦争は、ローマ共和国の勝利に終わる。

 アンティゴノス朝マケドニアはまだ存在しているが、その影響力は著しく縮小した。

 アンティオコス3世もセレウコス王子も、緩衝地帯が減少し、強大なローマがじわじわと迫って来る事を感じ取っている。

 だからセレウコス王子は焦り、アンティオコス3世は間違わないよう手を打つつもりである。

 いずれ戦う事になるにしても、それは今ではない。


(我々の後方で攪乱を行っていた将、あれを捕らえられないかな?

 ローマと戦う事になった時、使えるかもしれない)


 アンティオコス3世はそういう目で、まだその名を知らないコマンオスの動向を注視していた。

 紀元前196年、小アジアでの戦争はまだ終わらない。

おまけ:

おっさん(アンティオキア3世)、マケドニアとは

「プトレマイオス朝の領土分割占領しようぜ」

と約束して同盟しました。

あっさり覆して、エジプト本土侵攻はしないし、アナトリア半島の領土も全部奪いました。

食えないおっさんです。

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