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プトレマイオス朝の揺らぎ

 エジプト大反乱の指導者ホルウェンネフェルを討ち取った事は、プトレマイオス朝を安心させる。

 反乱勢力は動揺し、暴動は収束しつつあった。

 敗軍の将から一転し、反乱鎮圧の立役者となったスコパス将軍は、一躍王宮の寵児となる。

 宰相アリストメネスは、(ファラオ)プトレマイオス5世の名で、莫大な賞金を彼に下賜した。


 アリストメネスは、この反乱は間もなく収束すると判断した。

 そうすると、宰相である彼の目的は、エジプトの安定化に向かう。

 かつて専横を振るった宰相アガトクレスの友人で、おべっか使いであったアリストメネスだが、ちゃんとした政治をする能力はアガトクレスに勝っているいようだ。

 彼は宮廷の綱紀粛正、税の軽減、一部エジプト人への官職解放を行う。

 そして、アンティオコス3世に使者を送り、和平条約を締結しようと動き出した。


「待て!

 いまだコイレ・シリアに残って戦っている同胞や、キリキア、カリアといった地を守り続けている同胞を切り捨てるような和平は賛成出来ん!」

 スコパス将軍が吠える。

 アリストメネスの和平は、エジプト以外の領土は、キプロス島を除いて完全放棄。

 これは地中海の覇権争いから下りる事を意味する。

 軍人には到底呑めるものではなかった。


「切り捨ても何も、実際に既に手を離れているようなもの。

 これ以上の抵抗は無意味ですよ。

 そこで戦っている兵たちは、和平が成れば交渉して引き上げさせますよ」

 アリストメネスは涼し気にそう答える。

「我々は必死に戦った!

 負けたとはいえ、あの地はプトレマイオス2世陛下以来のエジプトの領地。

 いずれ奪い返すのが筋であろう。

 なのに、宰相ともあろうものが、そのような弱腰でどうする?」

「そうは仰いますがスコパス将軍、貴方は元々エジプトの人ではないでしょう?

 何故そのように忠義面なさいます?」

 とある貴族がそう言って嘲る。

 アリストメネスはそれには与しなかった。

 彼はスコパスを見て、こう言って議論を終える。

「勝敗は時の運、領土は行ったり来たりするもの。

 帰属などその時その時で変わるものです。

 貴方とて、アイトリア同盟で将軍を勤め、乞われて我がエジプトでも将軍を勤めていなさる。

 私もギリシャ本土のアリゼイアの出ですし、亡くなったソシビオス殿はクレタ島の者。

 それがこうしてエジプトで政治をしている。

 物事は万事流動的なものですよ。

 あるがままを受け入れなされ」


 更にアリストメネスは、セレウコス朝との和平においてローマ共和国に仲介を依頼している。

 当事国同士ではない、第三国を介入させた。

 ローマはそれ程に、地中海世界では無視出来ない強国になっている。

 後の歴史から逆算すれば、エジプトの運命に大きく関わるローマの介入はこの時期から始まってと言えよう。

 これを歴史の必然と見るか、アリストメネスが招き入れてしまったと見るか……。


 アリストメネスもまたギリシャ系、哲学的な事を喋る。

 彼は万物流転(パンタレイ)という考えで、国家や領土、人材を見ているようだ。

 ある意味、あらゆるものは交流し、集合離散したヘレニズム時代らしい思想とも言える。

 ところで、「万物流転」という思想は、その裏に変わらざる「真理(ロゴス)」もあるとする。

 ヘラクレイトスは流転する自然界にあって、真理を「火」に求めた。

 アリストメネスにとっての「真理」は、プトレマイオス王朝であろうか。

 これさえ確かなものであれば、他の些事はどう動いても、その時その時で最適な形に収まるだけだ。


 こういう考えに、軍人たちは納得が出来ない。

 アリストメネスは、その場で最適な形になるような政治をする。

 実はスコパス将軍によるホルウェンネフェル撃破の後、違う将軍ディカイアルコスが一軍を率いて上ナイル地方まで遠征、一時はテーベを制圧する活躍を見せた。

 スコパス将軍は、制圧を完全なものとすべく、自身の派遣も要請。

 しかしアリストメネスは、パニウムの戦いの後遺症を引き合いに出し

「今の我々に上ナイル地方を維持する力は無い」

 と言って、軍勢の撤退を命じたのである。


 ホルウェンネフェルを補佐したアンクマキスが看破した通り、プトレマイオス朝にテーベを抑えるだけの国力は残っていなかったのだ。

 逆に、テーベの反乱軍にもアレキサンドリアを落とすだけの力は無いと見る。

 ならば、手に余る上ナイルでは時代がかったファラオや神官に任せ、商業都市アレキサンドリアと「ナイルの賜物」たる肥沃な下エジプトだけで十分。

 金食い虫なコイレ・シリアや小アジア同様、むしろ切り捨てた方が、プトレマイオス朝は栄えるのではないだろうか。


 だがこんな考えは、軍人には納得いかない事この上ない。

 いつしかスコパスとディカイアルコスは、共に酒を飲んで政権への不満を零す間柄となっていた。




 本国でそうなっている事は露知らず、小アジアに上陸したコマンオスは、その地の城塞都市と連携しながらセレウコス朝と戦っていた。

「城塞に籠って戦えば、精強な兵でも撃退出来る」

 ごく当たり前の事をコマンオスは口にする。

 そして

「城塞は精強な兵は撃退出来るが、攻城兵器には対抗出来ない」

 これまた当然の事を話した。

 ヘレニズム諸国には、巨大な投石機(カタパルト)や攻城塔、破城槌をとりつけた亀甲車といった攻城兵器が存在している。

 城の防御戦は、如何にこれらの兵器を近づけないかが肝なのだ。


「あの巨大な兵器群は、敵を目の前にして組み立てるものではない。

 どこかで組み立てて、それを運んで来る。

 余りにも遠くでは、移動が大変だ。

 城の目の前では、城からの攻撃を防ぎながらと作業となって効率が悪い。

 だから、そう遠くない場所、城からの弓矢や投石が届かず、城を出撃した兵に攻撃されない、見つかりにくい場所で組み立てられるだろう」

 これも、その通りとしか言いようがない話である。


「故に、城に籠っているだけでは敗北する。

 一軍は外に置き、攻城兵器を作らせないように、常に包囲軍を攪乱する必要がある」

 これは正しいのだが、実際にやれるかどうかは別、という戦術論であった。

 誰もが考えつく。

 敵でさえ理解している。

 洋の東西問わず「援軍無き城はもたない」と言われる。

 だから、外に在る部隊などは、真っ先に狙われて潰されるものだ。

 城を救う援軍(後詰め)こそ狙いだったりもする。

 城を攻めるより、外に居る軍を野戦で破る方が易しいのだ。


「外を担当する部隊は、俺が指揮をする。

 俺は死ぬ事は嫌いだから、生き続けて、可能な限り敵に嫌がらせを続けるだろう。

 コイレ・シリアでは散々批判されたが、それでも俺は正々堂々とは戦わないからな。

 勝てればそれで良い。

 いや、死ななければそれで良い」

 都市の指揮官はその意見を認めた。

 自薦した以上はやって貰おう。

 だが、軍医上がりの彼を馬鹿にする者はまだいる。

軽歩兵(ペルタスタイ)でどれ程の事が出来るって言うんだ?」

 嘲るようなその声に、コマンオスは

「歩兵?

 いや、自分が使うのは軽装騎兵(タラントイ)だが?」

 等と答える。

「待て、お前は騎兵を扱えるのか?」

 訝しむ問いに

「馬には乗れるが」

 と言って、更に揉め始めた。

「違う!

 馬に乗っての戦闘は、お前のような医者上がりでは出来ないだろう、そう言っているのだ」

「何故指揮する者が、戦闘巧者でなければならないのだ?」

「敵陣目掛けて、先頭に立って突撃する。

 それが騎兵の指揮官だ!」

「それは重装騎兵(ヘタイロイ)だろ?

 敵が攻城兵器を工作している所に、火を放ったり、作業員を殺したりするのに、勇敢さなど必要か?」

「それでは盗賊のようなものではないか!」

「まあ、やろうとしているのは、似たようなものだな」

「誇りあるアレクサンドロス大王の御友人だったプトレマイオス陛下の国が、そのような卑怯な戦い方を良しとすると思うのか?」

「おかしな事を言う。

 スキタイの昔から、騎馬民族とは野盗と似たようなものだっただろう?

 騎兵もそうした使い方をするものだ。

 今更何を言っている?」


 軍議はしばし荒れたが、城の外で戦うと言う者はそれだけで勇者であり、余り文句ばかり言っていると、その者の狭量を示すだけとなる。

 卑怯と言った者とて分かってはいた。

 それは有効な戦法だと。

 この医者上がりで、正規の軍事教育を受けていない者がやるのだ。

 卑怯者の汚名は、彼が被るならそれで良かろう。


 こうしてコイレ・シリアでは軽歩兵によるヒット&アウェイ戦法を用いた男は、小アジアでは軽騎兵を使った奇襲に特化して戦う事になった。

 いや、戦いとも言いにくい。

 焼き討ち、補給物資の強奪、作業員の殺害、橋を落とす、道を荒す、とにかく考えられる限りの妨害工作を繰り返す。

 馬は移動と逃走の為の手段。

 重装騎兵のように、その突撃力には一切頼らない。

 嫌な場所に現れては、破壊工作を行い、終了すると疾風の如く逃げ去る。

 セレウコス朝の軍勢は、嫌らしい足止めを食らいまくり、アナトリア半島南部のプトレマイオス朝領土の攻略が遅れ出す。


「面倒な戦いをする奴が現れたようだ。

 だが、非常に効果的だ。

 倅めも、コイレ・シリアで厄介な敵に悩まされたと手紙を書いて寄越したな。

 エジプトは主力を失い、国内では反乱に悩まされているという。

 それでもこんな人材が現れ、そうするしか無いとはいえ、良い戦い方をする。

 エジプトも中々侮れんな」

 アンティオコス3世は、まだ見ぬ敵を褒め称えた。

 アレクサンドロス大王以来の「大王」と呼ばれる、名将でもある王だが、それでも気づいていない事もある。

 息子である小アンティオコスが「ハエのようにまとわりついて、嫌らしい攻撃を仕掛けて来る」と称した敵と、自分の工兵部隊の精神に軽視出来ない損害を与えている敵は、同一人物であるという事。

 そして「侮れない」と呟いたエジプトが、実は現在、想像以上に内情がボロボロである事。




 紀元前196年、コマンオスが後方を荒し、前線では城兵が奮戦している中、アレキサンドリアではまた政変が起こっていた。

 軍の重鎮・スコパスとディカイアルコスが、

「自ら王位を得んとし、反乱を企てた」

 として、アリストメネスによって逮捕、即日処刑されたのである。


 噂が流れる。

……実は逮捕すらされてなく、暗殺され、抗弁の機会すらなく反乱の罪を着せられたと……。

挿絵(By みてみん)


「プトレマイオス王家の為には、強過ぎる軍人というのも不要にして、脅威となるものなのだ。

 王宮のやり方に不満があるなら、尚の事よ」

 そう嘯くアリストメネスは、王妃すら暗殺した悪逆な宰相アガトクレスの友人に相応しい、冷たい目をしていた。

おまけ:

史料では「スコパスとディカイアルコスは王位を狙って行動し、失敗して逮捕され、処刑された」となってます。

そっちが多分正解ですが、それだと宰相へのヘイトが溜まらないので……。

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