パニウムの戦い
パニウム、それはギリシャ神話の「音楽と即興劇の神・パン」に因んで名付けられた地名である。
この地にある泉は、ヨルダン川の支流の一つバニアス川の源泉であり、その周囲に都市が築かれていた。
このパニウムに、セレウコス朝シリアの王アンティオコス3世率いる7万の軍勢が入城している。
プトレマイオス朝エジプトは現在、国としてはボロボロで、内憂外患の最中にある。
一方のセレウコス朝シリアも過去に同じ状態にあった。
アンティオコス3世が即位した時、セレウコス朝もまた、内憂外患の危機的状況であったのだ。
紀元前223年、アンティオコス3世は、兄のセレウコス3世が暗殺された事で即位する。
彼の即位前、既にセレウコス朝の勢力圏からペルガモン、グレコ・バクトリア、そしてパルティアといった国々がセレウコス朝シリアから独立している。
その上アンティオコス3世即位後には、メディア総督モロン、ペルシス総督アレクサンドロスらが反乱を起こし、これまで従っていたアトロパテネ王国のアルタバザネス王も離反する。
即位当時のアンティオコス3世は18歳の若さであり、宮廷内の基盤は脆く、三代の王に仕えた補佐役のヘルメイアスが絶大な権限を持っていた。
属国が背いて領土を狙い、地方官が反乱を起こして首都を脅かす。
アンティオコス3世は危機的状況に陥った自国を維持する為、まずは宮廷を統率して権力闘争を停止させた。
次いで軍を率いて反乱討伐に出動、モロン、アレクサンドロス、そしてアルタバザネス王を相次いで打ち破る。
軍を実力で掌握したアンティオコス3世は、権臣のヘルメイアスを排除して国政を完全に牛耳った。
失脚したヘルメイアスは、後に暗殺される。
その糸を引いていたのは恐らく……。
こうしてシリアを纏め上げると、次は第三次シリア戦争によってプトレマイオス朝エジプトに奪われた領地奪還に動く。
こうして始まった第四次シリア戦争において、アンティオコス3世は大敗を喫した。
ラフィアの戦いで、インド象を使ったセレウコス朝の戦象部隊は、マルミミ象のプトレマイオス朝の戦象部隊を破るも、そのまま追撃に入ってしまい、気づいた時には中央部隊と左翼部隊がプトレマイオス朝軍に撃破され、彼等に包囲されてしまったのだ。
こうして6万8千の軍勢の内、1万を失い、戦象16頭を殺され、残りは鹵獲という大敗北を喫する。
コイレ・シリア地方からは叩き出されたアンティオコス3世だったが、その後はアナトリア半島や東方に軍を向ける。
離反していたアルメニア王クセルクセスを服属させ、パルティアとも戦いその首都を陥落させる。
グレコ・バクトリア王国も打ち破ると、そのままインドまで侵攻。
多数の戦象を確保し、領土もアレクサンドロス大王の時代と同程度に拡大した。
こうして「大王」(Μέγας)と呼ばれるようになったアンティオコス3世だが、ラフィアの戦いの屈辱は忘れていない。
いずれコイレ・シリア地方を奪還しようと、虎視眈々と狙っていたのである。
紀元前200年の夏、パニウムの郊外でセレウコス朝軍とプトレマイオス朝軍は激突する。
陣形は双方同じもの。
ヘレニズム諸国……いや、ギリシャ社会の古典的な陣形である、左右両翼と中央軍によるものだ。
中央には主力である重装歩兵を配し、密集隊形を組む。
左右には騎兵部隊を置いた。
ここまではラフィアの戦いと変わらない。
しかし、両軍の内容は大きく変わっていた。
まずセレウコス朝だが、ここはラフィアの敗戦以降に勢力を拡大していた為、前回よりも動員兵力が増して7万を展開している。
特に奪還した地域には、良質の資源を有する場所があり、それによってセレウコス朝軍の装備は良質なものに更新されていた。
更にアンティオコス3世は、ヘレニズム諸国の3大国の1つ、アンティゴノス朝マケドニアと同盟を結ぶ事に成功。
後背の憂いを無くしたアンティオコス3世は、精鋭を全てこの方面に投入出来ている。
一方のプトレマイオス朝軍は、前回の戦いで勝利に貢献したエジプト人部隊が居ない。
現在大規模な内乱の最中で、エジプト人重装歩兵経験者は反乱軍に加わっている。
新たに集めようにも集まらないし、何より指揮官がエジプト人を信用せず、兵力としては使えない状態であった。
この反乱は、下エジプトにも波及し、首都アレキサンドリア以外では反乱が発生している為、各地に守備隊を多くを残さざるを得ない状況だ。
プトレマイオス朝軍の主力はマケドニア人入植者の部隊であり、前回に比べて2万人程少ない。
兵力・兵の質・戦争前の準備、全てでプトレマイオス朝軍は負けている。
こうした中、パニウムの戦いはまず、セレウコス朝軍重装騎兵の奇襲で始まった。
王子アンティオコス(小アンティオコス)は、夜間に行動を開始し、テルハムラの村を襲ってそこに駐屯していたプトレマイオス朝軍騎兵部隊を壊走させる。
夜が明け、アンティオコス3世は主力を率いて前身する。
スコパス将軍率いるプトレマイオス朝軍は、主力であるマケドニア人重装歩兵を前面に立てた。
流石にスコパスは、かつての同盟市戦争の英雄だけあり、その指揮能力は高い。
彼は同盟市戦争を共に戦ったアイトリア同盟の傭兵団も招いており、精強なプトレマイオス朝中央部隊は、逆にセレウコス朝軍中央部隊を押し返していた。
それに対し、アンティオコス3世は冷静である。
じっと何かを待ち続けていた。
伝令がやって来る。
アンティオコス3世は目を見開くと、戦象部隊に合図を送った。
戦象部隊は強力である。
その巨体だけでも脅威だが、更に跨乗兵から撃ち下ろされる矢や投槍も厄介だ。
しかし、象の制御というのは極めて難しい。
一度戦闘に入ると、興奮状態となってしまい、とにかく直進して暴れる性質を持つ。
ラフィアの戦いで、戦象含むセレウコス朝軍右翼部隊が追撃に入り、深追いしてしまったのは、この性質による部分もあった。
それ故、アンティオコス3世は今回の戦いで、戦象部隊の使いどころを計っていた。
息子、小アンティオコス率いる重装騎兵部隊から、挟撃する準備が整ったという連絡を受ける。
これを機に、アンティオコス3世は自軍中央軍後方に待機させていた戦象部隊に突撃を命じた。
セレウコス朝軍中央部隊が、何隊かに分かれて道を開く。
その道から戦象部隊が突出し来た。
重装歩兵の中から戦象が突入して来る事を想定していなかったプトレマイオス朝中央部隊は、まともに戦象部隊の突撃を受け止めてしまう。
精強なマケドニア人歩兵も、アイトリア同盟傭兵団もこれにはたまらない。
陣形を大いに崩してしまった。
そして象の道を閉じて、再度密集隊形に戻ったセレウコス朝軍中央部隊が突撃して来る。
呼応して小アンティオコス率いる重装騎兵が背後から襲い掛かった。
兵力・兵の質・戦争前の準備に加えて、戦術でもセレウコス朝が上をいった。
勝敗は決する。
プトレマイオス朝軍中央部隊は壊滅し、右翼部隊から指揮をしていたスコパスは1万人の兵士を連れて戦場から逃走した。
司令官が逃げたプトレマイオス朝軍は壊滅し、兵力4万6千の内、約2万人が戦死または捕虜となって失われる。
ラフィアの戦いでセレウコス朝が被ったよりも、更に大きな痛手であった。
コスパスはシドン市に逃げ込み、他の敗残兵たちはエルサレム、フェニキア、サマリア、デカポリス等へと逃れ、そこで防戦に入る。
なお、アンティオコス3世はこの地のユダヤ人たちに、自治を認める等の善政を敷いていた。
防戦するプトレマイオス朝は、地元民からの支援がほとんど望めない。
「自分が他人によって運命を決められるのを、こんなにもどかしく思った事はない」
フェニキアに脱出した部隊の負傷者を治療しながら、軍医コマンオスはボヤいていた。
「おいおい、軍医が何を言っている?
俺たちは将軍の指揮で戦う。
将軍が負けたらおしまいだ。
今回は運が悪かったんだよ」
治療の手伝いをしている兵士が、コマンオスを窘めた。
「いや、あの象の突撃だけど、象が来るかはともかく、何かを企んでいた事は察知出来たぞ。
敵の顔色に必死さが無かったというか……。
いや、前線の兵士たちは必死だったけど、敵の後ろが妙に静かだったというか。
なんというか、体は傷だらけになっても、中から生命力が感じられるから、これは助かるなっていう患者に似ていてな」
「そんなのが分かるなら、次はお前が隊長をしろよ。
言うだけなら誰でも出来る。
終わった後なら、何とでも言える。
実際にやってみたら、口ほどには何も出来ないんだからさ」
軽くそう返されたが、コマンオスの中では何かが響いた。
「俺が隊長か。
出来るかどうか、確かに分からない。
大体は出来ないって結果になるだろう。
だが、やってみても良いかもしれないな。
何故なら……」
そう思考しながら、それを途中で打ち切った。
彼は出来る事、出来ない事をはっきりと言う。
「かもしれない」で考えるのは、しないよう戒めている。
これ以上は所詮は妄想だ。
そう思って、考えるのを止めて、目の前の負傷者の治療に専念する。
自分は将軍なんかではなく、一介の軍医に過ぎないのだから。
だが、「やってみても」の結果は、そう遠くない日に分かるのである。
コマンオスの、自覚していなかった才能が示される。
画像作成させてて、なんかいい感じのアンティオコス3世が作れました。
傍にいたらあつ苦しいけど、キャラとしてはこういうオッサン好きです。
パニウムの戦いの画像は雰囲気で。
馬がでかいとか、戦線が狭いとか、サリッサが短いとか不満はありますが、AIが何度言っても直してくれなかったので。
この後、19時も更新します。




