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不愛想な医者、最前線に左遷される

「宰相トレポレモス殿、貴方を追放する」

 紀元前201年、エジプト・アレキサンドリアの王宮にて、政権交代劇が発生した。

 王宮から追放されるのは暴虐なる宰相……ではなかった。

 腐敗し専横した宰相アガトクレスの後任として、国政の立て直しを目指したトレポレモスである。

挿絵(By みてみん)


 アガトクレスとは、政治に無関心で、贅沢を好んだ前の(ファラオ)・プトレマイオス4世の頃からの宰相だ。

 国民に重税を課し、政治を己の派閥で固め、プトレマイオス4世やソシビオスという貴族と共に贅沢な生活を送った。

 やがてプトレマイオス4世が死んだ時、彼らは王の姉で、王妃であるアルシノエを殺害する。

 彼女が摂政となり、幼い我が子・プトレマイオス5世に代わって政治を行う事を嫌った為だ。

 アルシノエを殺した後、アガトクレスが摂政として君臨する。

 そして共犯転じて政敵となったソシビオスをも暗殺した。

 ソシビオスは、アルシノエ暗殺にも関わっていた同志なのだが、自分に代わり得る存在は不要だったのだろう。

 彼は、何をしても超法規的措置で自身を無罪とした。

 そんなアガトクレスは、民衆暴動によってその座から引き摺り下ろされ、私刑リンチされてこの世を去る。

 その暴動を主導した人物こそ、ペルシウム地方の軍事総督(ストラテゴス)トレポレモスであった。

 混乱したアレキサンドリアに軍を率いて入城した彼は、喝采を浴びて宰相の椅子に座る。

 だが、その栄光は1年と続かなかった。

 なぜなら、彼は政治的に余りに無能であったからだ……。


 混乱の中、多くの貴族や市民をまとめ、多数派を形成してトレポレモスからの政権奪取を行ったのは、アリストメネスという人物である。

 アリストメネスは、暴虐な宰相・アガトクレスの側近でもあった。

 ギリシャのアリゼイア出身の彼は、アガトクレスに接近し、おべっかを使って成り上がった男であるが、どうやらただの腰巾着ではないようで、今この場には「市民を代表し、無能な宰相から国を取り戻す」指導者として来ている。


 そんなアリストメネスに対し、トレポレモスの傍に居た男がぞんざいな口を利いて来た。


「施術の邪魔ですよ。

 終わってからにしてもらっていいですか?」




 この男はコマンオスという、医者見習いだ。

 見習いとされているが、医者としての技術は高い。

 ペルシウム市出身のマケドニア系市民で、ここアレキサンドリア以外にギリシャ本土アテナイでも医者としての修行を積んでいた。

 特に外科技術に優れた男なのだが、残念な事に患者ウケが極めて悪い。


「身体の具合が悪い」

「重病じゃないから、寝たら治る」

「薬を出して欲しい」

「必要ない、寝ていたら治る」

「では神に祈祷したい」

「意味がないどころか、貢ぎ物を損するだけだ。

 黙って寝ろ」

 こんな感じで、患者からしたらありがたみが無い上に、神を冒涜するような人物であった。

 ゆえに、三十歳を過ぎた今でも、独り立ちが出来ずにいる。

 アテナイでストア派に触れたようで、元の性格もあるのだが、ちょっと変な形で不動心アパテイア(感情に動じない、揺るぎない心)を体現している。

 腕は良いので、トレポレモスが取り立てた。

 この2人は同郷人であり、医学留学の際は後見人を頼んだり、引き受けたりした関係だ。

 軍人でもあるトレポレモスは、ぶっきらぼうながら、間違った事は決して言わないコマンオスを大いに気に入り、傍に置いてマッサージや体調管理をさせている。

 医者として独り立ちしていない為、他の医者に気遣ってそういう扱いとしたのだが、コマンオスは大して気にしていない。

 この日、政務で訳が分からなくなって頭痛を覚えたトレポレモスに対し

「肩筋が張っているから、マッサージをしましょうかね。

 頭痛は大体、ここが緊張して起こるものです」

 と言って、もみほぐしている最中であった。




「君は何者だ?」

「見ての通り医者ですが、何か?」

 アリストメネスの問いに、コマンオスはつまらなそうに答える。

「名前は?」

「ペルシウムのコマンオス」

「トレポレモス殿の側仕えの者か?」

「……って言って良いんですかね?

 政治の事はとんと分かりませんが、この方の頭痛をどうにか出来るのは俺だけなんで、側仕えしてる形です」

「政治の事に口出しはしていないのか?」

「このオッサンですら、政治に苦しみ頭痛を発症しています。

 政治家でもない俺如きが口出しなんか出来るものですか」

「おい、コマンオス、俺を追放しに来た者とはいえ、人前だぞ。

 人前ではオッサン呼ばわりはやめろと言っただろ?」

「でも、もう宰相殿下とも摂政様とも呼べなくなるじゃないですか。

 残念ですがオッサン、あんたもうお終いなんでしょ?」

「そりゃそうだけどさ……」

「あー、お二方、こちらを無視しないで欲しい。

 でもまあ、気にはなる。

 お二方はどういう関係だ?」

「同郷人」

「かつて面倒を見てやったこいつを雇ったまでだ。

 同郷の縁ってやつだが、とにかくぶっきらぼうでなあ。

 まあ、おべんちゃら言われるよりは余程良いから、気に入っている。

 前宰相アガトクレスにおべっか使っていたあんたと違ってな」


 痛い事を言われたが、アリストメネスは黙っている。

 こういう時、ムキになって反論したら、器の小ささを示してしまう。

 おべっか使いの俗人ながら、アリストメネスはこの辺政治家であり、腹芸も出来た。

 実直な軍人ながら、政治家としては無能であったトレポレモスとは真逆である。




「とりあえず、トレポレモス殿、貴方はこの王宮に居場所を失った。

 国外追放だ。

 半月の猶予を与えるから、立ち去るが良い。

 しばらくして、このエジプト国内で貴殿を見かけたら、その時は生命は無いと思われよ」

「処刑ではないのだな、寛大な事で。

 では言葉に甘えて、俺はどこかに亡命させて貰おうか」


 この時期はヘレニズム時代と呼ばれる。

 マケドニアのアレクサンドロス大王がギリシャを統一し、アケメネス朝ペルシャ帝国を打倒し、インドに到る大帝国を築いた後の時代。

 大王の巨大帝国は、エジプト、シリア、マケドニアという3つの大国の他、ペルガモン、グレコ・バクトリア、アイトリア同盟といった国々に分裂している。

挿絵(By みてみん)

 民族は混じり合い、経済交流は盛んで、それぞれの国の人材は往来した。

 このエジプトを追放されても、同じギリシャ語が通じる国が幾つも存在する。

 そのどこかで再起するなり、隠棲するなり出来るだろう。


 こうして一人寂しく宮殿を去ろうとするトレポレモス。

 それに着いて行こうとするコマンオスは、アリストメネスに声を掛けられた。

「お前は留まれ」

 コマンオスはしばし考え、足を止めた。

「オッサンに着いて故郷に帰ろうかと思ったら、行くなって言われましたよ。

 どうやらここでお別れですな」

「全く薄情な奴よ。

 まあ、俺はお前の才能は惜しいと思っている。

 終わってしまった俺に付き合う必要はないな。

 どんな仕事になるか分からないが、達者でやれよ」

「どんな仕事って、俺は患者から嫌われているが医者ですよ。

 医者以外の何になれって言うんですか?」

 トレポレモスは足を止めて振り返る。

「お前、それ本気?」

「本気も本気。

 でなければ、この年齢まで勉強を続けていません」

「ふーむ……」

 首の凝りを自分でほぐしながら、トレポレモスは語りかける。

「お前さん、気づいてないようだけど、医者に向いてないぞ。

 俺だから良かったけど、患者だけでなく他人に対して、あの態度は無いわ。

 俺はおべっか使いは嫌いだけど、医者をするなら、愛想くらいは身につけろよ」

「それで治療の足しになるんですか?」

「ほら、そこ!

 一々論破しにかかるな!

 だから医者に向いてないって言ってるんだ。

 別の天職探した方が、人生にも歴史にも良い事だろうよ。

 プラトンも『各々が自己のものを有し、自己の仕事を行う』と言っていただろう?

 医者がお前に合った仕事とは思えんし、魂の性質に合った職に変えた方が良いのではないか」


 生粋の軍人でも、ヘレニズム文化人は哲学的な事を言う。

 プラトンの著作『国家ポリテイア』とかをサラっと引用する。

 一方のアリストメネスは、政敵の側近……らしきヤブ医者にそんな事は言わない。


「どうやら、ぶっきらぼうなだけで、医者としての腕は一人前のようだな」

「それを判断するのは患者でしょう。

 俺の腕を見た事もない貴方が決めるものではない」

「だったら、患者が多い場所に行ってもらう」

「え?

 いいんですか?

 どこの病院?

 一応、専門は外科施術ですがね」

 彼はこの当時の外科技術である、縫合や圧迫、骨接ぎ等を得意としている。

 痛いと悲鳴を挙げても、

「針を刺せば痛いのは当たり前だ」

 なんて言うから、患者が寄り付かないのだが。

 そんな彼に、アリストメネスは嫌な笑いを浮かべながら伝えた。


「君にはコイレ・シリアに行って貰う。

 そこの軍医だ。

 患者は、今は居ないが、どうせすぐに大量に出来る。

 なにせ、最前線だからな」


 プトレマイオス朝エジプトは、ナイル川流域だけを領土としていたわけではない。

 小アジア(アナトリア半島)南部、キプロス島、さらにシナイ半島の北にも領土があった。

 その地、コイレ・シリアには後に、シリア・アラブ共和国、ヨルダン王国、レバノン、イスラエル、パレスチナといった国々が出来る。

 この地域は現在、「アレクサンドロス大王の後継者(ディアドコイ)」セレウコス朝シリアと、ここプトレマイオス朝エジプトの係争地、即ち最前線であった。

 不愛想な医師、トレポレモスの側近だった男は、新権力者に嫌われてその地に左遷されたのである。

「小説家になろう」の感想企画への応募用です。

「戦記」というか歴史ものなら好きなので。

この後、19時に第2話をアップします。

土日には2話、平日1話で更新します。

全18話です(既に書き終わりました)。

よろしくお願いします。

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