第五章 あそこで起った本当のこと 2
「あの日、あたしたちは銀行の近くのマンガ喫茶『サボール』で最終作戦会議を開いていた。そしてまず涼子ちゃんが煙幕発生装置を仕掛けに行くといって、外に出たわ。ところが涼子ちゃんは、まっすぐ銀行に寄らずにある人物に会った」
「ど、どういうことよ?」
「あたしたちの知らないところで、木更津から連絡を受けていたのよ。奈緒子ちゃんが人質になっているから、涼子ちゃんは逆らえなかったし、あたしたちにいうこともできなかったの。悩んだ末に、木更津の指示に黙って従うことにしたんだと思うわ」
「そ、それで、その指示っていうのは? 涼子はいったい誰と会ったのよ?」
「なにかで顔を隠した革ジャン姿の奈緒子ちゃんよ。奈緒子ちゃんとどこで会ったかまではわからないけど、銀行近くの人目につかないところね。木更津の指示は、この女と服を交換して煙幕発生装置を取りつける作業をこの女にやらせること。さらにスマホをこの女に渡すこと。たぶん木更津の指示で、一言も女に質問をするなと要求されたのね。もちろん奈緒子ちゃんは一切しゃべらない。だから涼子ちゃんも相手が奈緒子ちゃんだとはわからなかった。このとき、ガメラのマスクと拳銃を奈緒子ちゃんから渡される。さらに木更津からはこのあと、『十二時二十分ジャストにマスクを被って地下鉄の銀行前入り口に行け』という指示を受けていたのよ。涼子ちゃんはわけがわからなかっただろうけど、従うしかなかった」
「え、え、ちょっと飛ばしすぎ」
さくらは頭がパニックになった頭で必死に整理した。
つまり簡単にいうと、木更津に脅迫されて、涼子は相手が奈緒子ちゃんとはわからずに入れ替わることを強要されたってことだ。そして自分は銀行に行くかわりに、マスクと拳銃持って地下鉄出口に行かされる。
つばめは話を続ける。
「そこにはマスクをしたコングとシンジがすでに待機していた。だからゴジラがシンジだったことにも気づかない。逆にシンジもガメラが涼子ちゃんだとは気づかない。涼子ちゃんはなにもいわずに、コングの命令に従うことだけを木更津に強要されていた。もちろん、この時点で銀行を襲うことは知らされてないわ」
「ええ? それは変じゃないの? つまり、コングは直前に誰ともわからないやつを仲間にしたってこと? いくらなんでもそんな馬鹿な……」
「木更津はたぶん、コングにはこんなことをいっておいたのよ。『俺の仲間を見張り役でチームにつける。だが下手にそいつの正体を探られたりしたら困るから、直前に合流させる』とかなんとかね。コングは不満もあっただろうけど、従うしかなかったんだわ」
なんか変だ。もっともらしいけど、……なんか変だ。
さくらは必死で考える。そして穴を見つけた。シンジの心理だ。
「でも、シンジはあたしたちがあの銀行を襲うことを涼子から聞いていて知ってたんでしょう? そこに自分たちが突っ込むことに対してなんの疑問も抱かなかったわけ?」
そんなことになれば、二組の強盗がバッティングすることは馬鹿でもわかる。涼子は直前まで知らされてなくて、知ったときにはどうしようもない状態だったのかもしれないけど、シンジはあらかじめ知っていたのに、文句もいわずに従ったことになる。そんなことがあるわけない。
「たぶん、木更津はシンジにはこんなふうにいってたんでしょうね。『涼子たちの作戦は中止になった。あいつは逃げた。だからおまえがかわりにやるんだ』ってね」
「そうなの? で、でも、やっぱり信じられないよ、そんなこと」
「銀行でのことを思い出してよ。コングはガメラが殺人犯だっていうあたしのでたらめの推理に乗ったわ。それこそ、彼らが直前まではいっしょでなかったなによりの証拠よ。お互い顔見知りで、銀行に入るしばらく前からいっしょだったら、あんな推理を信じるわけないでしょ?」
いわれてみればそうだった。あのコングの行動こそ、その推理を確実に裏付ける。
「だ、だけど、そもそもコングとシンジの計画はどうだったの? なにも考えずに、ひたすら突っ込んで、拳銃で脅して金を奪って逃げる気だったの?」
「コングたちはきっと木更津からこう聞かされていたのよ。『仲間が銀行内に煙幕を仕掛けておく。金を奪ったら、煙幕が発生するようにしておくから、それに乗じて地下鉄から逃げろ』と。使い捨てにする駒にも希望を与えておかないと動かないからね」
それが突っ込んだときにはすでに煙りまみれだったのだから、さぞかし焦ったことだろう。話が違うと。
「そしてコングは木更津のスマホから合図を受けて銀行に突撃。涼子ちゃんはわけもわからず、あとに続く。入るところが銀行だってわかっても、もうどうしようもない。逃げれば奈緒子ちゃんを殺すって脅されてたんでしょう」
かなり複雑な状況だが、さくらの頭でもなんとか理解できた。
「そこまではいいわね?」
「うん」
「一方、奈緒子ちゃんはどうしたか? あらかじめ、煙幕装置を仕掛けたあと、トイレに行って木更津と合流する計画だったんだわ。たぶん、最終的な確認をするためにね。そしてそれを実行した」
それは監視カメラが証明している。まず奈緒子……あの時点では、さくらは涼子だと信じ切っていたけど……、その次に木更津がトイレに入る映像が残っていた。
「え、え、ちょっと待ってよ。それじゃあ、奈緒子ちゃんは木更津と合流するやいやな、木更津を殺したってこと?」
信じがたかった。あの奈緒子ちゃんが人を殺すなんて。しかしつばめは非情にいう。
「そういうことになるわ」
「でも変だよ。それじゃあ、密室の謎が解けない。っていうか、密室にする意味がない。むしろ……密室にしたらいけないんじゃないの?」
「そう、さくらのいう通り。奈緒子ちゃんは木更津を殺して、その罪をコングや涼子ちゃんに着せたかったんだわ。煙幕で視界が奪われたどさくさに殺したことにしてね。だから密室にするつもりなんかなかった。これっぽっちもね」
「じゃあ、どうして?」
「まあ、悪いことはできないってことなんでしょうね。奈緒子ちゃんは、ただ殺しただけ。たぶん不意をうって喉を潰し、肩を外した。ズボンはたんに暴れた拍子にずり落ちたんだと思うわ。そしてそのまま便器で溺れさす。そのあと、たぶん外に出ようとしたときに、木更津の足がドアにつかえて開かなかったのよ。あのドアは内開きだったから。しょうがないから、その足を引っ張りあげてむりやりドアを開け、外に出た。ドアを閉めたとき、木更津の足が偶然つっかえぼうのような役割を果たしたんだと思うわ。だから開かなかったのよ。シンジは中を開けようとしたとき、勝手に鍵が掛かっていると勘違いして鍵を拳銃で撃った。そのあと、思い切り押したら開いたんで、てっきり鍵を壊したから開くようになったと思いこんだのよ。まあ、思いこみによる勘違いね」
「で、でも、川口さんがノックをしたときの返事は?」
奈緒子がトイレから出たあとに、川口がトイレに入っていることをビデオカメラが証明している。そしてそのときの証言が、「ノックをしたら、ノックが返ってきた」ということだ。つばめの推理どおり、奈緒子が殺したんだとすると、いったい誰がノックをしたっていうんだ?
「やっぱりゴジラ、いえシンジが共犯者で、ノック音を録音したボイスレコーダーを……」
「違うと思うわ。そんなことする必要なんかないし」
いわれてみればそうだ。意味がない。むしろそんなことはしちゃいけない。
「じつはそれに関しては、あたしも明確な答えを持ってないの」
「え?」
「あくまで仮説だけど、ひょっとしてそのとき木更津は、まだかすかに息があったんじゃないのかな? 両腕が使えなかったから自力で起き上がることはできなかったけど、生きていた。そんな状況でドアをノックする音が聞こえたから、木更津は助けを求めようと、最後の力を振り絞って足でドアを蹴った。でもそれは川口さんにはノックの返事にしか聞こえなかった。どう?」
どうって、そんなことあり得るんかい?
「あるいはもう意識がなかったけど、足が痙攣してドアを蹴ったのかも」
それがたまたま川口さんがノックしたあとだっていうのか?
「そうでないなら、川口さんが嘘をついたのかもね。あのとき川口さんは疑いを晴らすのに必死でパニックになっていた。だから口から出任せをいったって可能性はあるわ。あの証言が自分をさらに不利にするなんて思いもしなかったんじゃない?」
それも強引だ。
「そうでなきゃ幻聴。なにかの音を勘違いした。あるいはただの思い違いよ」
そんなのありかい?
「どれがお好み?」
どれがってあんた? やっぱり最初のやつかぁ?
「とにかくなんのトリックも使われていないのはたしかよ。そんな余裕はなかったし、それ以上に理由がない」
今まで飛び交ったダミー推理の方がよっぽどほんとらしいと思った。
「じゃあ、そのことはまあいいとして、……根本的な疑問なんだけど、奈緒子ちゃんはどうして木更津を殺したのよ?」
さくらはある意味、もっとも納得できないことを聞いた。
「さあ? 木更津を利用したはいいけど、負担になってきたのかもね。木更津はとんでもない悪党のようだし、なにか仲間割れがあったのかもしれないわ。あるいは、たんなる口封じ?」
さくらには、あの奈緒子がそんな理由であんなむごいことをするとはどうしても信じられない。肩を外したりする技は、子供のころから涼子と技を掛け合っていた奈緒子ならできるだろう。しかしそれを使って人を殺す奈緒子は想像できなかった。
「納得いかないようね。だけど、殺人の動機なんて、第三者がいくらもっともらしい理由をつけようと意味はないわ。けっきょくのところ、本人にしかわからないんだもの」
そうかもしれない。というか、じっさいの事件では、本人にすら動機がわからないということさえめずらしくないのだから。
「とにかく奈緒子ちゃんは木更津を殺したあと、あたしたちに準備完了の合図を涼子ちゃんのスマホで送って、あたしたちが中に入ると同時に外に出る。さくら、そのとき彼女の顔をはっきりと見た?」
「いや、見てないよ。ほんの一瞬、確認しただけ」
あのとき、服装と髪形で勝手に涼子だと思い込んでいた。もともと同じような体つきと髪形で、顔立ちだって似ている。ちらって見ただけでは錯覚するかもしれない。おまけに眼鏡で変装していたからなおさらだ。そしてなにより、疑われないように互いに顔を見ないようにするというのが事前の打ち合わせだったはずだ。
「あたしも見てないわ」
つばめはそういって、さらに続ける。
「奈緒子ちゃんは外に出ると、外から中を覗いて、絶妙のタイミングでコングに指令を出した。たぶん木更津のスマホを奪って、それでメールを送ったのよ」
そしてコングはわけもわからない涼子を引き連れ、銀行に突入したわけか?
「ところがコングにしてみれば、逃げるときに発生するはずの煙幕が、入った直後に発生した。しかもすでに警察に囲まれている。おまけに殺人事件。しかもその被害者がなんと、自分たちに強盗を教唆した闇金の男。コングはようやく自分が嵌められたことに気づいたんだわ。何者か知らないが、木更津を殺した犯人は自分たちに罪を着せようと、計画されつくした罠を張った。このままでは間違いなく、自分が殺人犯にされてしまう。警察に包囲された以上、逃げること半分はあきらめたのかもしれない。だけど嵌められて殺人犯になるのだけはごめんだと思ったのね。だから必死で犯人を捜そうとしたのよ。まあ、半分は自分を嵌めた黒幕に対して意地になっていたのかも」
まさか、自分たちを裏で操っていた男が、襲う銀行の行員をしていたなんて思いも寄らなかっただろう。
それにしても死んでいたのが木更津だったとき、コングは相当驚いたはずだが、それをおくびにすら出さなかったのはそうとうな演技力だ。あの時点でははめられてとわかっていたから、極力怪しまれることは避けたかったんだろうけど、ある意味すごい男だ。
「まあ、そう考えれば、あの煙幕の起きる前に、べつの銀行強盗がいたって知った時点で、コングがそいつこそが犯人だと思ったのも無理はないわ」
そういえば、コングはあのとき、必死にもうひとりの強盗、つまりさくらを犯人呼ばわりしていた。
「涼子ちゃんはさらに悲惨だわ。間違ってもあたしたちに自分の正体を知られたくなかった。だから一言も喋らず、犯人捜しに加わらなかった。きっと死ぬほど動揺していたはずだけど、それを隠そうとして一切の感情表現を無理矢理押し殺したのよ。そう考えると、あたしが涼子ちゃんを犯人扱いしたのはかわいそうだったわね。きっと死ぬほどびっくりしたはずよ」
「つばめ、あんたあのとき、ガメラが涼子だってわかってたの?」
「わかるわけないでしょ、あの段階で。あたしは天才探偵ではあっても超能力者じゃないんだから。あくまでさくらにブラインドを開けさせるため、隙を作りたかっただけ」
たしかにその通りだ。あの段階でわかるわけがない。
「だけど奈緒子ちゃんは、どうして正彦から電話がかかってきたとき、涼子のふりをしたんだろう? さっさと逃げた方がいいと思うんだけど……」
「もう少し現場を見ていたかったんだと思うわ。正彦くんに正体がばれれば逃げなきゃならなくなるから」
「現場を見ていたい? そばに警官がいるってのに、逃げずになにを見たかったわけ?」
「想像だけどやっぱり涼子ちゃんを憎んでたんじゃないの? だから涼子ちゃんが困ったところを見て楽しんでたんじゃない? あたしが掛けたスマホを警部に渡して突入に協力したのもそう。とことん困らせたかったんだと思うわ」
それがわからない。あのふたりは自分の知る限り、とても仲のいい姉妹だった。それがどうして?
「あのふたりには……いったいなにがあったの?」
「それだけはあたしにもさっぱりわからないわ。あたしも興味があるけどね。ただあのふたりの両親って亡くなってて、今は保険金で暮らしてるんでしょう? 両親はなんで死んだの? 事故? そのへんになにかキーがあるんじゃないの?」
「あまり、人にほいほいいうことじゃないけど、一年前に、強盗に押し入られて殺されたらしいよ。涼子もあまりいいたくなかったみたいで、くわしいことはあたしも知らないんだけど」
「ふ~ん? じゃあ、ここで推測しても無意味ね。でもまちがいなく、その事件に絡んでると思うけど」
たぶん、そうなんだろう。さくらの目にはふたりとも立ち直ったように見えていたけど、それは外っつらだけを眺めていたに過ぎないのかも。ふたりの心の奥底まではわからない。たとえどんなに目を懲らそうとも。
そして涼子も、ほんとうに大事なことは、あたしに打ち明けてくれなかったのかもしれない。いや、……きっと、誰にもいえなかったんだ。
「他に聞きたいことは?」
思いつかなかった。涼子と奈緒子の心の中身以外は、すべて納得いった気がする。
物的証拠なんてなにひとつない、つばめの頭の中で組み立てられた推理に過ぎないけど、それが真実なような気がした。
「ま、元気出しなよ、さくら。あたしでよかったら、これからもいろいろ相談に乗ってあげるからさ」
つばめがぱしーんと頭を叩いた。
「う、……うぐっ、えぐっ……。う、ちがう。ちがうよ、泣いてなんか、……えぐっ」
不覚にも泣けてきた。涙があふれて止まらない。
な、なんで。つばめなんかの前で泣きたくなんてないのに……。
「しょうがないわね」
つばめは机の引き出しを開けると、なにやら取りだした。
「もう、泊まっていきなよ、さくら。徹夜でDVDでもいっしょに見よう。元気が出そうなやつをさ」
そういいながら、パソコンにDVDを突っ込んだ。
「なによ、それ? ……映画?」
「まあ、映画っていえば映画だけど、インディーズレーベルのアニメ。タイトルは『名探偵と少年助手 ~怪盗薔薇仮面の陰謀~』よ」
な、なんじゃ、その怪しげなタイトルはぁあああ!
「それってまさか?」
「気にしない、気にしない。ほうら、はじまった。見るのよ。そうすればいやなことなんか忘れちゃうからさ」
ほんとか。ほんとに信じていいの?
画面では、怪しげな音楽とともに、いきなり美青年と美少年が見つめ合った。
かんべんしてくれぇええええ!




