20 伝説の男
失態だった。失敗だった。
攻撃部隊の半数が敵となり、俺たちは全滅の危機にさらされた。後は無謀な特攻戦術で活路を開くしか無いかと思われた。
絶対絶命のピンチの中、颯爽と現れた男がいた。生死不明だったすでに第一線は退いたはずの老兵。
「始まりの勇者モトサト、見参」
どこかの世界の一号さんは『遅れてやって来て一番美味しい所だけを持っていく男』と評されていた気がしたが、こいつも同じなのだと俺は悟った。
発煙弾からの煙は地表を低く覆っていた。
おかげで視界は悪い。が、上から見下ろす形のジーオルーンからは視線が通っていた。
「逃げていなかったのだな、モトサト」
「盛大に煙をたいて撹乱し、外への扉を開け放った。そして中枢翼船の中に隠れた。まんまと引っかかってくれたな」
「汝など、今となっては何もできん。だから捨て置いたのみ」
この二人、どうやら知り合いらしい。
老兵と長らく姿を見せなかった魔族の幹部。モトサトが現役だった時期とジーオルーンが前線にいた時期が重なるのか。
「何がしかは出来たぞ。油断と慢心に足を引っ張られるとはお前らしくも無い。総身に知恵が回らなくなったか?」
「汝は老いた。我は進化した。もはや汝など我の敵では無い事を知れ」
近場にいた魔族が数名、モトサトに斬りかかった。
もういい歳のはずの勇者はその攻撃に素手のまま対処した。円を描くような動きで受け流し、魔力のこもったパンチやチョップ一発で『処理』する。
わかっていた事だが、あいつは俺と戦った時にはだいぶ手を抜いていたな。
「うわっ。やるねぇ、ご老体」
声を上げたのは蛇の勇者サクラムだ。
そのまま軽いノリで始まりの勇者めがけて走っていく。
見逃してやる必要はないな。
俺は蛇に横からショーテルで斬りかかる。
「うわっっ、あぶね」
蛇らしいヌルヌルした動きで避けられた。
奴の武器はただの棒状のもの。
打撃武器、メイスか?
そう思ったが、振るわれる棒がわずかにしなっているのを見て考えを改める。あれはたぶん鉄鞭だ。以前ゾイタークが仕掛けてきた粘着榴弾もどきの爆破攻撃のように、衝撃を装甲の内側に浸透させることに特化した武器だ。
魔力切れより肉体のスタミナの消耗を狙う武器と言ってもよい。
「変わり身、かよ。お前には悪いと思ってるんだ。……すまなかったな」
「裏切りの事か? 気持ちはわかる。気にする必要はない」
だからと言って手加減してやるつもりも無いが。
「そうか、わかってくれるか。そうだよな。負けが見えている側に肩入れするなんて馬鹿のやることだよな」
「……死んで詫びろ」
「なんでそうなる?」
こいつに対しては一切の遠慮がいらないようだ。
しかしこの状況は、モトサトが現れた時は『おおっっ』と思ったが、より一層混沌が加速しているだけじゃないのか? 煙幕のおかげで組織だった攻撃を受けないで済むのはありがたいが、煙の中を通ってジーオルーンの懐まで入り込めるだろうか?
「足を止められたのが痛かった。ジーオルーンの前には魔族が壁を作っている。作戦は失敗だ」
接近してきた魔族を片付けたモトサトが野太い声をだした。
「ゴウレント、撤退命令を出せ」
「それが、この部隊の指揮官は我ではないのである」
「何だと? では誰だ?」
「ムサシである」
「誰だ?」
それはモトサトが俺が自分でつけた名前を知っているわけは無いな。
「俺の事だ」
俺は蛇の勇者の鉄鞭をかわしつつ片手を上げた。
「お前が指揮官とは、いったい何がどうなった?」
「それは俺も知りたい」
「しかし634からの命名か? ちょっと安直ではないか」
「ぬかせ。撤退しても先はないぞ。都市結界の中に戻るだけならすぐそこだが」
「魔族の七日縛りは当てにするな。あれは安全基準だ。絶対不変の法則ではない」
「ならばなおの事だ。城壁まで逃げるのは無理だ。それぐらいだったら突撃した方がまだマシだ」
「中枢翼船へ逃げ込む。そこで渡したいものもある」
秘密兵器でもあるのか?
それならば有り難いが、この混乱しまくった戦局からでは逃げ出すのも一苦労だぞ。古来、撤退戦というものは一番被害が出る戦いと相場が決まっているんだ。ま、特撮番組だと逃げ出した敵味方は大抵逃げ延びるが、あれはストーリー上の都合で逃走が成功するキャラしか逃げ出さないだけだよな。
逃げる敵に背中からとどめを刺すのはヒーローとしてあまり美しい姿ではないし、敗色濃厚になって逃げだしたヒーローがそのまま殺されるなんてもっとあり得ない。ヒーローが死ぬ展開も無くはないが、そんな時は間違いなく逃げずに立ち向かって前のめりに倒れる。
話がそれた。
「このままでは逃げるのも難しい。こんな煙幕だけでは援護が足りない」
「心配いらない。追加の援護はすぐに来る。あの二人は風に流されて中枢翼船まで来たからな」
風に流された二人って……
「仕方ない。現在の作戦行動は失敗と認定。追加の援護攻撃を待って後退を開始」
そこまで指示を出したところで、気を散らしていたつけが回ってきた。俺は蛇の勇者サクラムと格闘戦の最中だったんだ。
俺のショーテルの下をかいくぐって蛇の勇者が肉薄してきた。本来なら肘のブレードを出して迎撃するべき距離。しかし、俺の反応は遅れた。
「グファァッ」
鉄鞭が俺の腹部にジャストミートする。
痛い。
衝撃の浸透具合が半端でない。と思ったら、そこは昨夜トカゲ野郎に刺された場所でもあった。これは傷口がまた開いたな。
俺の身体は空中を舞った。後方へ飛ばされる。
意識まで一緒に飛ばされそうなのを必死でこらえた。
サクラムの追撃を警戒する。空中コンボはくらいたくない。
都合の良いタイミング。
炎の塊が飛んできた。塊は着弾して炸裂、あたり一面を一瞬だけだが火の海にする。サクラムはわずかにひるみ、追撃の機会を失った。
俺は空中で体勢を立て直し、着地しようとする。
その手が引っ張られて補助される。気がつくと、アリアちゃんの笑顔が至近距離にあった。
「白き輩よ。吹きすさび、邪悪なる者どもを覆い尽くせ。氷華乱舞」
炎に続き、氷の嵐も放たれる。こちらはある程度の時間継続し、煙とともに視界をふさぐ。
それだけではなかった。
炎の余熱と出会った氷の嵐は霧を生んだ。濃霧となった。
「今である。皆、中枢翼船に向かって後退するのである!」
「若者たちよ、走れ! 生き延びるのだ!」
俺が声を出せない状態なのを察したのか、ゴウレントとモトサトがそれぞれ叫ぶ。
「皆、下がるのである。しんがりは我が引き受けるのである!」
「待て、それは俺の仕事だ!」
「格闘戦特化の大兄には無理である。ここは城塞の盾を持つ我に任せるである」
「とっくにボロボロの癖に何を言っている!」
ゴウレントが大兄と呼ぶという事はモトサトは『ロクト博士の1番』なのか?
ま、そんな事はどうでも良い。問題はここで殿をつとめるという事は命を捨てるのに等しいという事実だ。
「それにな、大兄。忘れているようだが中枢翼船で何を探したら良いか知っているのは大兄だけである。大兄だけは絶対に生き延びねばならぬのである」
「……死ぬなよ」
「大兄は相変わらず難しい事を要求してくるのである。『見事な死に様を見せよ』と言って貰った方が気が楽なのである」
「見事な死に様など要らん。無様でも良いから生き残れ」
「承知である」
霧の中を後退してくる気配が複数あった。アルシェイドとフォルテさんとモトサト、たぶん全員いると思う。
俺はサクラムの一撃のおかげで一足先に後退している形だ。
ゴウレントはその巨大なハンマーを地面に叩き付けたようだった。足音の代わりに爆音と地響きをまき散らす。
「さあさあ、これから始まるのはこの覇王ゴウレント、一世一代の大舞台である。遠くにある者はこの声を聴け! 近くにあるならば寄って見よ! いづれにしてもこの我を倒さぬ限りこの霧の中を抜けていくことはできぬと心得よ。我は霧を見通す力を持っている。霧に紛れようとしても無駄である!」
言葉の合間にもハンマーが何かを叩き潰す音が響いた。
「私たちも行きましょう」
「そうだな、やつの戦いを無駄にはできない」
アリアちゃんと言葉を交わす。傷は痛むが、動けないほどではない。
俺たちも後退を始める。
地響きが幾度も響いてきた。
その響きの一つ一つが、ゴウレントがまだ生きて戦っていることを教えてくれる。そして、俺も今まで意識していなかった勇者としての強化された聴覚がそれ以上のものを拾った。
「へへへ。やるじゃないか、さすが獅子だ」
「当然である。我の舞台はまだまだ終わりにならないのである」
「へっ、いつまでもでかい顔をさせ続けるわけにもいかないんでな。その胸の顔、俺がぶち砕いてやるぜ」
「やって見るがよい」
「裏切りの蛇サクラム、牙を突き立てる!」
ゴウレントのハンマーとは少し違った打撃音が響いた。それが二度三度と続く。
「まだ、まだまだである!」
「いい加減にあきらめろよ。舞台にはいつか幕を引かなきゃならないんだ。早いか遅いかの違いだけだぜ」
「我は覇王。……覇王は下がらぬ。覇王は斃れぬ」
「じゃあそこで仁王立ちしたまま死にな」
今度はただ一度、ぞっとするような音がした。
そして、それっきり会話は聞こえなくなった。
俺と同じものを聞いていたのだろう、霧の中を走る足音がいくつか乱れた。
この奇妙な異世界に生まれた俺の風変わりな『兄』、獅子の勇者ゴウレントはどうやら最期を遂げたようだ。あくまでも勇者らしく、覚悟を持って前のめりに。
あいつの終わりは伝説として語り継がれるべきだ。
人間側の歴史と伝説を途切れさせないために俺は走った。




