16 破滅への序曲
今日の昼過ぎにも多少の出来事はあったが、すべてどうでもいい。すべからく些細な事だ。
重要なのは夜に俺のベッドにやって来たアリアちゃんの事であり、そこから先の展開を邪魔したブレイクダンス野郎の事だ。
あの野郎、許さない!
とは言え、俺は大ピンチだった。
変身の暇もなく至近距離で交戦開始。腹にナイフが突き刺さる。
回避する余裕がないのを感じて、俺は腹筋を思いっきり引き締めた。
ダンス男の顔が驚愕にゆがむ。
血は流れた。ナイフは刺さった。だが、深くはない。この勇者の肉体は生身のままでも呆れるほど優秀だった。強靭な腹筋の鎧が内臓に到達する前に凶刃を喰いとめていた。
ま、腹膜まで傷ついていてもこの部位なら大きな問題は無い。別に即死はしない。傷口を縛っておけば明日の昼過ぎまでなら十分に持つ。
肉体のパワーは俺の方が上のようだ。
俺はダンス男を捕まえようと手を伸ばす。
奴はナイフから手を離してそれを回避する。
「僕の勝ちだ。それ、毒ナイフ」
男の言葉を俺は黙殺する。二度三度と釣られてたまるか。
が、男が三本目のナイフを取り出したのを見て俺も自分の腹からナイフを引き抜く。
あながち嘘でもなかったようだ。刀身には故意に汚した跡があった。適切な手当てを受けなければ数日中に死ぬことになりそうだ。
即死でなければ問題ない。こんな物より、明日死ぬ可能性の方がよっぽど高い。
疑問がある。こいつ、何者だ?
見た所は人間のようだ。だが、町の人間なら俺を殺そうとする目的が分からない。どんな馬鹿でも俺の事は明日までは生かしておこうとするだろう。自殺願望でもあるのか?
そしてもう一つ不可解な点。
俺の後ろのアリアちゃんが変身しようというそぶりを見せない。ナイフ投げを警戒しているだけかも知れないが、ひょっとしたら変身出来ないのかもと思い当たる。
二人そろっていないと変身出来ないというのもありそうだが、それ以上に戦巫女の力は魔族と戦うために与えられた物だと聞く。つまり使用目的限定の力。対人戦闘は禁止なのかも知れない。
アリアちゃんが戦力外になるのは痛いが、女の子を守って戦うのは男の本懐。こっちも問題ない。
「ヘイ、ヘイ、ヘェェーイ!」
ダンス野郎はナイフを弄びながら軽快なステップを踏む。
隙だらけに見える動作だが隙はない。隙に見えるのは全部誘いだ。
俺の筋肉の鎧を貫けない事が確定した奴のナイフだが、首とか手首とか大きな血管が皮膚のすぐ下に来ている部分はある。そうでなくても明日の決戦の前にこんな前座の前座で大きなダメージを負うのは避けたい。
変身さえ出来ればすべては解決する。
しかしポーズを取ろうとしたらその動作がこちらの大きな隙となる。変身途中はバリアが発生するようなシステムが欲しかった。
いっそ、変身ポーズで奴の攻撃を誘ってみるか?
奴が手を出してきたら迎撃、警戒して近づいて来なければそのまま変身してしまえば良い。
「あ、援軍」
ダンス野郎が窓を見た。
俺は釣られてそちらを見たりはしなかったが、注意がいくらか逸れた事は否定出来ない。
ダンス野郎の真面目な攻撃。俺は防戦一方となる。
こちらはパンツを下ろしていないのが幸いってレベルの軽装だ。致命傷には程遠いが俺の肌に幾つも傷がつく。
こいつ、プロの殺し屋か?
いやらしい戦い方が板についてやがる。
「ホレ、来た」
ガシャンと音を立てて窓ガラスが割られた。
割れた窓から男がもう一人飛び込んでくる。昨日も散々見たこの町の標準装備のアーマーを身に付けた男だ。援軍の到来をフェイクに使い、時間差で本当に援軍が来る。いやらしいにも程がある。
二人目はニタリと嗤った。ダンス野郎は優男風だったがこいつはいかにもな三下風味。あのヘルメットの下はモヒカンになっているんじゃないかと思う。
俺はダンスの相手に忙しい。モヒカン(仮)はフリーだ。こっちに来るかアリアちゃんを襲うか、どちらにしてもヤバい。
モヒカンは小物悪役らしい選択をした。
女の子を人質に取るべく動き出す。
その顔面を白い大きなものが襲った。修学旅行ご用達の武器、枕だ。直撃するが当然、殺傷力はない。煩わしそうに投げ捨てられる。
しかし、枕が顔を覆った瞬間、彼の視界はゼロになった。そしてアリアちゃんは変身していなくても実戦経験者であり、おそらく俺よりもずっと経験豊富だった(性的な意味でなく)。
彼女の手にも武器があった。俺と同じダンス野郎が投げたナイフだ。
弾丸のような勢いで飛び出してモヒカンの腹を容赦なくえぐる。
先刻の俺の再現のような出来事。
結果も似たようなものだった。変身抜きのアリアちゃんの細腕ではモヒカンのボディアーマーを貫ききれない。これが健康優良元気少女ミュリエラちゃんの方なら違う結果になったかもしれないが。
ともあれ、刺されたショックでモヒカンの動きが止まった。
秒単位で再起動してアリアちゃんを捕まえるだろうが、このチャンスは逃さない。
俺はダンスの相手を放棄。動きの止まったモヒカンの腕をひっつかむ。
変身せずとも俺の肉体性能は相当な物らしい。生物としての人間の限界を超えているとは思わないが、オリンピック級ぐらい? モヒカンなチンピラなどとはパワーが違う。
力任せにぶん投げた。
ダンス野郎に向かって。
ちょうど俺に追撃をかけようとした出鼻に命中した。転倒こそしなかったが両者が重なってよろける。
好機到来。
モヒカンの背中に向かって、ダンスも巻き込むようにドロップキックを叩きつける。
見かけ優先の綺麗に足を延ばしたドロップキックじゃない。俺の全体重を込めた相手を吹き飛ばすような両足蹴りだ。
二人は重なったまま吹っ飛んだ。倒れる前に向こう側の壁に激突。頭を打って人体が立ててはいけない音を立てた。
ダブルのノックアウト。
俺の勝ちだ。いや、俺たちの勝ちだ。
俺はアリアちゃんに笑みを向ける。パンとお互いの手を打ち合わせるぐらいは許されるはず。
「ムサシさん!」
緊迫の返答。
まさか、あのダメージですぐに立てるはずがない。
立ってはいなかった。
立っては。
モヒカンがかぶっていた兜が外れて実はパーマ頭であることが明らかになったが、それはどうでもいい。
二人の姿が『崩れて』いた。
つい今しがたまで人間にしか見えなかった相手、その彼ら手足が短くなっていた。代わりに首と胴体が伸び、波うちくねる。
頭部の形状も変貌。平べったく変形し牙が突き出る。
トカゲ男、そう表現できるような怪物と化した。
「魔族だったのか」
破滅願望を持った人間に襲われたと思うよりある意味では気が楽。この町の治安の崩壊はそこまで加速はしていない。
だが、これは別の意味でとってもマズイ。
俺って、明日の決戦について箝口令を出していたっけ?
特に宣伝するように指示を出してはいなかったけれど、こちらから決戦に赴くという話はモラル維持の立場からむしろ広まるのを歓迎していた。
これは人間とはかけ離れた外見の相手がまともな諜報活動を出来ないと思っていたからこその対応だ。大失敗だった。考えてみれば俺がヒーロー姿に変身できるのに魔族にその逆が出来ないと思う方がおかしかった。崩れた城壁と大規模侵攻を想定した監視体制なら侵入するのも容易かっただろう。
明日の反攻作戦は魔族側に漏れていると思った方が良さそうだ。
「ムサシさん!」
おっと、考えている暇は無かった。
トカゲ男たちが這いよって来る。混沌でもないくせに足元からくるんじゃない!
「逃げて、窓から!」
廊下への出入り口はふさがれている。
魔族の本性を現した相手にナイフ程度の軽武装では分が悪い。一旦距離を取らなければ変身する暇もなさそうだ。
アリアちゃんはスリッパを履いて窓に駆け寄る。床にはガラスの破片が散乱しているので裸足では歩けない。俺はサンダル履きなので彼女より少しだけマシだ。
低い位置から威嚇してくるトカゲどもをナイフを低く構えて牽制する。攻撃のリーチはこちらが長い。しかし、奴らの牙が濡れた感じなのがそこはかとなく不安だ。今度こそ本物の毒牙かも知れない。
アリアちゃんが無事に外に出る。
俺もジリジリと後退。窓の縁に足をかける。
パーマ頭のトカゲが飛びかかって来た。ナイフで迎撃するが切れ味が足りない。うろこ状になった皮膚を浅く切り裂くだけに終わる。
窓の外に押し倒された。
襲いかかる毒牙をその頭に手をかけて押しとどめる。
敵は二人いるんだ。このまま押し倒されていたら元ダンサーのトカゲに噛まれて終わりじゃないか。
俺は身体の間に強引に足を突っ込み、巴投げのような形でトカゲを投げ・蹴りとばした。
窓の外は二階のバルコニーだった。パーマトカゲはその手摺に引っかかって止まった。
俺は素早く立ち上がる。
アリアちゃんは……こんな時に服装を気にしているんじゃない!
彼女は俺とちがって変身後の姿がその時の服装に左右されるが、非常事態なんだからそこは変身して欲しい。前衛になっている俺は変身している暇がない。
ダンストカゲも窓から這い出してくる。
パーマトカゲは手摺の上だ。
上下二段に分かれて襲ってこようとする。
どうする?
最初の一瞬でパーマを手摺から蹴り落とし、残るダンスのバックにまわってチョークスリーパーでも仕掛ければなんとかなるだろうか?
手摺の上を四つ足で駆けてくるトカゲ。
俺は身構える。
次の瞬間、パーマトカゲはバルコニーの手摺ごと真っ二つになった。
破壊の音が一拍子遅れて聞こえてくる。
?
バルコニーのすぐ外のひさしの上に鋭角的なシルエットが浮かんでいた。
その手にはバチバチと火花を散らす大太刀が握られている。
「口上も上げず、変身してもいない相手を襲うなど言語道断」
いや、有効な戦術だと思うけど。
「ムサシ、遅くなった」
別に待ってはいなかったぞ。
こいつに助けられるのはこれで二度目、って事になるのかな? 少しは感謝しないと人としてマズイか。
「愛に生き、愛に死す」
おい!
「愛の勇者アルシェイド、見参」
おまえ、いつの間に転職した?
と言うか、キモいからこっち見るな!
「あたりの空間をまとめて凍結するとは。アルシェイドめ、腕を上げたな」
「そういう問題なんですか?」
「これ以外、何を言えと?」
「彼の言う愛って」
「言うな。理解したくないから誤魔化しているんだ」
突如として発生したギャグ時空。俺とアリアちゃんは漫才以外やることがない。
ダンストカゲはアルシェイドが名乗りを上げている間に逃走していた。壁を這い降り、人型ではスムーズに通り抜けられないような隙間をぬっての逃走。その動きはあのレベル100ゴブリンどもより素早い。奴らの進化型なのかもしれない。
ヤツに恨みはあるが、正直言ってアルシェイドのせいで気が抜けた。
『愛の勇者』はないだろう。『愛の勇者』は。
むしろ俺の方が『性愛の勇者』になり損ねたのか。なんか改めて腹が立ってきたぞ。あのダンストカゲ、明日の戦場で顔を合わせたいものだ。ギタギタにしてやる。
「ムサシさん、傷の手当を」
「そうだな。それよりアルシェイド、どうしてここに?」
「フォルテ殿から声をかけられた。町の見回りが必要だと」
「あの人は今のトカゲの侵入を察知していたのか?」
「察知ではなく、心配していたようだった」
あの人は俺より賢いようだ。あるいは経験の差というやつか? この世に俺より経験値が低い者がどれだけいるかはともかく。
ギャグな空気はここらで終わり。続くのはスプラッターなお時間だ。
俺の傷には強い酒をぶっかけて消毒した。映画なんかでよくあるやり方だが、自分で経験してみるとしみるなんてものじゃ無かった。人目が無ければ泣き喚きながら転げ回りたいぐらいだった。
一番深い腹の傷にはアルシェイドにキツく包帯を巻いてもらった。
アリアちゃんでは腕力が足りないので雷鳴の勇者に頼んだが、ちょっと後悔した。舐めるような目で俺を見るんじゃない。そのくせ残念そうな顔をしているあたり、欲望がダダ漏れだぞ。
ま、包帯はきちんと巻けた。これで間違ってもはらわたが飛び出てくる事は無いだろう。変身したらこの包帯も弾け飛んでしまうが、その時には変身後の外皮が包帯がわりになる事を期待しよう。
ダンストカゲが逃げているのに一人になるのはマズイ。という事で、アリアちゃんの着替えに同行した。
眼福だった。
そして真のスプラッターと遭遇。
一階の玄関口近くだった。
窓ガラスが割れる音とかアルシェイドがバルコニーの手摺を破壊する音とか、結構騒がしかったのに何の反応も無かった。その事で予想はついていた。
執事のアレクサスさんだ。
アレクサスさんだった物だ。
彼は喉をはじめとして身体の数カ所を切り裂かれ、無残な赤いオブジェと化していた。
敵の士気を削ぐためにわざと残虐な行為を行うのは有効な戦術だ。
だが、そう知っていても怒りというものは抑えきれない。こうして憎しみの連鎖が起こるのだと思う。
そして俺も人類側の一員としてその連鎖の中に囚われたのを感じていた。
アリアちゃんは涙を流さなかった。
ただちょっとだけ上を向いて、唇を堅く引き締めていた。
「泣いても良いんだよ」
「できません。私のせいですから」
こんな時、女の子に頼ってもらえないのは寂しい。ここは胸なり背中なりを貸してそこで泣かせるシーンだろう。
俺はアレクサスさんに人としての尊厳を少しでも取り戻させようと、彼の遺体に手を伸ばした。
「いけません」
「?」
「こういう遺体には呪術的なトラップが仕掛けられている事があります。解除の専門家が来るまで近づくべきではありません」
ブービートラップかよ。
敵兵の死体の下に地雷を仕掛けたりは地球の戦場でも前例のある事だ。別に驚くほどの戦術ではない。これも予想しておくべきだった。
俺は甘いな。
日本人の常識から考えれば俺は相当にシビアで殺人鬼的にイカれている自信がある。だが、戦場で生きていくにはまだ足りない。
いや、『戦場で生きる』と考えること自体が日本人的な甘えかも知れない。戦場では人は死ぬものだ。生き残ったらそれの方が偶然という物だ。
「すまなかった」
「いえ、ムサシさんの助けになる事が私の役目です。ムサシさんはこの町にとって必要な人ですから」
俺に寄りかかったりせず、俺を助ける役割を自分に課したのか。
ひょっとすると先刻の事も?
俺のモチベーションを上げようとしたのか? 俺をこの町の為に戦わせ続けるための一種のハニートラップ?
もしそうだとしても実際に身体を捧げようとした以上、文句をつける筋合いでもないか。
少し離れて見張りをしているアルシェイドがイラついている。
二人の世界に浸るのは無理だ。
「わかった。彼はこのままにして置こう。とりあえず、勇者本部に戻る。残念ながらあそこで仮眠をとるぐらいしか休めそうにない」
「はい」
「あのトカゲどもが町にどのぐらい入り込んでいるかも調べる必要がある。一般市民を無差別殺傷するほどの数がいるとは思えないが、変身前の勇者や戦巫女が狙い撃ちされている可能性はある」
耳を澄ませてみると町の中が夜にしてはちょっとだけ騒がしい。
無差別攻撃による阿鼻叫喚、という事はないが何かしらは起きているようだ。
「行きましょう」
アリアちゃんが先に立ち、俺たちは夕方きた道を逆にたどった。
結論から言うと、思ったよりは被害は少なかった。
勇者たちは変身前でも十分に強い。暗殺の標的からはあらかじめ外されていたようだ。
まだ未熟だという戦巫女二人が犠牲になったが、ミュリエラちゃんはフォルテさんに助けられて無事だった。家族も含めて犠牲者はなし。被害といえば秘伝のタレが一壺粉砕された事ぐらいだそうだ。
明日の決戦に向けてこちらの戦力の減少はない。
問題は作戦が完全に漏れていることだ。明日、ジーオルーンはこちらを万全の態勢で待ち構えている事だろう。
だからと言って、作戦の決行をを遅らせたりしたら相手にますます準備期間を与えることになる。
作戦の変更は不可能だ。
「俺のミスだ。敵の諜報部隊が侵入しているとは思わなかった。せめて、作戦の開始時間を少しでも早める。明日の夜明けと同時に各飛空艇を発進させる。そのつもりで準備を続けろ」
「了解!」
甘いひと時はどこか遠くに逃げていった。
俺、この戦いが終わったら、アリアちゃんにパインサラダを作ってもらうんだ。
そのアリアちゃんは再会した相方と抱き合って二人で涙を流していた。
……。
別に、嫉妬なんかしてないからな。




