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◆戦う理由④

皇は母の期待に応えるよう、一年生でありながら暫定勇者の座を獲得する。それは、綿谷華ですら成し遂げられなかった快挙だ。


しかも、対抗馬と言えるような存在もいない。このまま勝ち進めば、すぐに勇者になれるだろう。


そんな風に言われ始めた頃、防衛戦が決まった。


相手は岩豪鉄次。友人とは言え、手を抜くつもりはない。彼の頭の中には、何一つ雑念がないのだから。しかし、皇は対戦中、岩豪の叫びを聞いてしまった。


「俺は負けられない理由があるんだ。父ちゃんと約束したんだよ!」


その瞬間、皇の脳裏に過る。

僕の理由。

なんだっけ?


皇は防衛戦に破れた。

家に帰ると、皇は母に頬を打たれる。そして、母は喚き散らした。


「あの女の子供が、暫定勇者なのよ! どうして、貴方が負けるの! おかしいでしょ!」


崩れるようにうずくまり、嗚咽をこぼす母の背に、皇は手を置いた。


「ごめんね、母さん。でも、すぐに暫定勇者の座は取り戻すよ。大丈夫。二年生の間には、勇者になる。華先輩だって、まだ暫定勇者だ。二年生の間に勇者になったら、僕の方が優秀だって誰もが認めるはずだよ」


僕には理由がある。皇は心の中で自分に言い聞かせた。


「父さんを超える勇者になるんだ。勇者になったら、僕が一番になる。僕がアッシアの脅威を終らせる。僕がアトラ隕石を無害化してみせる。そういう運命なんだ。逃げられないなら、誰よりも早く、その運命を駆け上がってやる。そして、証明するんだ。僕が誰よりも優秀であることを」


再び皇の頭の中から雑念が消える。すぐに暫定勇者の座も取り戻した。あとは、母に宣言した通り、今年中に勇者になるだけ。少しも難しくはないはずだ。


暫くの間、皇の生活は音がなかった。何も考えず、ただ周りの期待に応える。崇高な目的を達成するため。順調だと思っていた。それなのに、雑念が聞こえ始めたのだ。


神崎誠。

お前は誰だ?

なぜ、彼女の隣にいる?


彼女の邪魔をするな。

僕の邪魔をするな。

ただ強くあってくれ。


あいつに……笑顔を見せないでくれ。


すべてが間違っている。

何が?




ある日の木曜日、

彼女を見かけて、思わず手を引いてしまった。


「な、なんだよ、急に」

「華先輩。最近、おかしいよ」


「はぁ? 勇者になったんだぞ、私は。おかしいも何もないだろ」


「勇者になっても、次はアッシアとの戦いが控えている。華先輩は、神崎誠に構っている暇はないはずだ」


「……どうしたんだ?」


皇は考える。

どうしたんだろう。こんなことが、自分の言いたかったことなのだろうか。


「……日曜、誕生日だ。今年も僕が迎えに行くから」


「……お前も大変だな」




彼女の誕生日。

それは去年とほとんど変わらなかった。父が質問して、彼女がそれに短く答える。あと十分もすれば、父は帰り支度を始めるはず。


もう少しの辛抱だ、と皇はテーブルの下で拳を握ったが……。


「お前も姉さんが勇者になって誇らしいだろ?」


父の言葉に、自分の中で積み上げていた何かが崩れてしまった。


「大したことはありません。勇者は通過点でしかない。それなのに、彼女は浮かれているように見える。そんな人と姉弟(きょうだい)なんて、僕は恥ずかしいと感じています」


「……なんだって?」


横に座る彼女が鋭い視線を向けた。きっと父も怒るだろう、と思った。だが――。


「そうか」


と、父はかすかに微笑みを浮かべるだけだった。




「お前、大丈夫か?」


ある日のこと、皇は友人である岩豪に声をかけられた。


「なんのこと?」

「神崎誠のこと……意識し過ぎてはいないか?」


「そんなわけないよ。大した相手じゃない。鉄次に勝ったのも偶然だろうし、僕は絶対に勝つよ」


なぜか含みがある顔で押し黙る友人が、どうも気に障った。


「何か言いたいことがあるなら、言えばいいよ」


「……お前こそ、綿谷先輩に言いたいことあるなら、早目に言ったらどうなんだ?」


足を止める皇。

岩豪も足を止めた途端、見たこともないようなパンチが彼のこめかみをかすった。


「何も知らないくせに、僕とあの人の関係に踏み込むな」


皇は、滴る血を見ても無表情で、口調も平坦だったが、その怒りは十分に岩豪へ伝わっていた。




帰ると、母が泣いていた。恐らく、父がまた別の女との間にできた娘に会ったことを知ったのだろう。


皇の姿に気付くと、母は微笑んだ。


「ごめんなさい。でも、お母さんは大丈夫。だって、もうすぐ貴方が勇者になるんだもの。あの女の子供より、短い期間で勇者になるんだから、大丈夫」


そして、母はいつもの呪文を唱える。


「貴方は絶対、立派な勇者になるの。勇者になったら、貴方が一番になる。勇者になったら、貴方がアッシアの脅威を終らせる。勇者になったら、貴方がアトラ隕石を無害化させる。そして、あの女の子供だけには負けちゃダメ。私の遺伝子が、あの女よりも優れていると、貴方が証明するの」


「分かっているよ、母さん」




僕は間違っていない。

皇は自分に言い聞かせて、最後の防衛戦に臨んだ。


「勇者になったら、僕が一番になる。僕がアッシアの脅威を終らせる。僕がアトラ隕石を無害化する。僕が優秀であることを証明するんだ」


それが、求められていること。

そして、それに応えることが戦う理由。これ以上に、高尚な目的はない。




それなのに、最後の防衛戦の相手は、何一つ背負っていなかった。ただ、女の気を引くために戦っている。


そんなやつが許されるわけがない。勇者を決める、神聖な戦いに参加するべきではないのだ。


いや、あの人の隣にいて、許されるわけがない!


絶対に僕が証明する。お前はあの人に相応しくないと!




証明する、はずだったのに……。


「覚悟しろよ、シスコン野郎!」


皇を見下ろす対戦相手の顔。

そして、立てと手招きする姿は、皇の感情をかき乱した。


理由のない男が、なぜ僕の前に立ち塞がる。


理由のない男が、なぜ僕よりも愛される。


理由のない男が、なぜ僕よりも……


僕よりも幸せになる権利を持っているんだ。


それはたぶん……


僕こそ理由がないからだ。


皇は絶望した。

だが、それは一瞬だった。


絶望の後、彼の中には今までにない闘志が燃え上がる。それは、意地だった。自分の大切なものを、この男だけには渡したくないと言う、人間らしい意地が、再び彼を奮い立たせたのである。


そして、勇者決定戦は最終ラウンドを迎える。


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