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【自分の居場所】

ゴングが鳴るなり、三枝木さんがケージに飛び込んできた。


「よく頑張りました、神崎くん。流れを掴んでますよ!」


「僕の顎、外れてません? 横腹、穴とか空いてません?」


「たぶん大丈夫です。まだやれそうですか?」


「もちろんです。四ラウンドも、このまま行きます」


「分かっていると思いますが、意識していない角度からパンチをもらうと、効いてしまいます。最悪、意識を失って病院送りですよ。同じ戦い方を続けるなら、一瞬でも目を逸らしてはいけません」


頷く僕に三枝木さんは続けた。


「これ以上は無理だと、と感じたら必ず作戦を切り替えてください。いいですね?」


僕は何も答えなかったが、それに対して三枝木さんが言及することはなかった。




第三ラウンドのスコアが発表される。


「十対九。赤、皇! 十対九。赤、皇!」


続けて、皇に点が入る。

ここでもポイントは取られてしまった……と思ったが。


「十対九! 青、神崎!」


え?


「十対九! 青、神崎!」


さらに続けて、僕の名前が呼ばれ、体育館中でどよめきが起こる。もう一人のジャッジは……


どっちに点を付けたんだ……?


「九体九……ドロー!」


ど、ドロー?

ってことは、二対二で、このラウンド自体、ドローってことか?




スコアを聞き終えたとき、セレッソが飛び跳ねた。言葉通り、飛び跳ねたのだ。


「誠、お前の作戦通りじゃないか。さすがは英雄になる男! 私は最初から信じてたぞ。このまま行け! そして勝て!」


さっきと言っていることが違うじゃないか……なんてツッコミを入れている余裕はない。


「気持ちを切らすなよ、誠。約束は守ってやるから」


そう言って僕の頭をワシワシするハナちゃん。こんなの、ハナちゃんの方が女神だろ。絶対。


「絶対に勝つ」


こんな大言、自分の人生の中、口にすることがあるとは思わなかった。だけど、自然と出てきた、自分の言葉だ。


そうだ、僕は勝ちたいと思っている。そのためにも、一歩も退いてやるもんか。




セコンドアウト!と指示が。


「行ってこい、誠!」


「勝てよ、誠!」


二人の美少女が僕の背中を押す。こりゃ勝つしかないぜ。




「ファイ!」


さっきと同じ。

僕も皇も同時にケージの中央へ飛び出す。


最初から、拳と拳が交差し、同時にキックを放った。


皇のパンチは速いし、直前までどこから飛んでくるか分からない。それでも、僕は喰い付いて行った。殴られたら殴り返すし、蹴られる前に蹴った。


そんな至近距離の戦いを一分も続けると、皇が距離を取った。


それを見て、思わず叫ぶ。


「逃げるな!」


そんな僕を皇が睨み付けた。


「誰も逃げてなんかない!」


「だったら、かかってこいよ。まさか、寝技に持ち込んで、有利に進めてやろうなんて思ってないよな?」


そんなことをされたら、たぶん一瞬で終わるんだろうけど。でも、僕は確信していた。皇は逃げない。逃げるようなことは、絶対にできない男だ。


だって、あいつは勇者だから。

血筋も、生き方も、その魂も。隅々まで勇者の男は、退くようなことができない。


再び距離を詰める皇。

その後ろで彼のセコンドであろう大人たちが叫んでいる。


「颯斗くん、無理に付き合わなくていい! 総合力で戦えば、負けるような相手じゃないんだから!」


ランキング戦において、セコンドの声を聞きながら戦える戦士は強い。三枝木さんもそう言っていた。しかし、今の皇はそんな戦士像から離れている。


皇が距離を詰めた瞬間、

繰り出した右のパンチを、僕は確かに目で捉えていた。スローで見えるとか、そういうわけじゃないけれど、どういう軌道で、どこを狙っているのか、それを視覚的ではなく、感覚的に理解したのだ。


拳一個分、頭を移動させて、同時に放つパンチ。


僕が最も得意とするカウンターが、決まった瞬間だった。


多くの人の歓声が、悲鳴が聞こえてきた。勇者として生まれ、勇者になるものとして、常に勝ち続けた男が、いま揺らいでいる。その衝撃は多くの人を驚かせたのかもしれない。


だけど、そんなことは関係ないんだ。




あれは、僕と岩豪が戦う少し前。戦う理由がないのなら、ここからいなくなってほしい。そんな言葉を皇にかけられ、落ち込んでいたときのことだ。


「何があったのか話せ。話を聞いてくれる相手がいるって、割りと幸運なことなんだぞ?」


その言葉に甘えて、落ち込んでいる理由を話した。


「僕は本気で勇者を目指しているか、って言われたら……そうじゃない。セレッソに言われたからやって、ハナちゃんに褒められたいから、三枝木さんを喜ばせたいから頑張っているだけ。何て言うか、強い志を持っているわけじゃないのに、人の夢を踏み台みたいにして、戦っていいのかな?」


聞き終えたセレッソは呆れたように溜め息を吐いた。


「なんだ、そんなことか」


「おい、せっかく心を開いて話したんだから、もっと言葉を選べよ」


だが、次の瞬間、セレッソが僕に向けた視線は、真剣なものだった。


「いいか、誠。お前はなぜこの世界にやってきた? 確かに、現実世界が嫌になってこっちにきたのかもしれない。


だけどな、今のお前は必死に自分の居場所を見付けようとしている。自分が活躍できる場所、認めてもらえる場所、安らげる場所は誰だって必要だ。


そして、お前は既に居場所を見付けつつある。それを守るために、全力を尽くして何が悪いんだ? そんな世界を失おうとしている、そんな世界に危機が迫っているのに、黙って逃げ出すやつがどこにいる?」


「そ、それは……」


言い淀む僕の両頬を、セレッソは手の平で挟みこむ。


「別に逃げるな、とは言っていない。誰だって重圧から逃げ出したいと思うし、自分の平穏を守るためなら、それも大切な選択だ。


要はお前がどうしたいと思うかだ。今の居場所を守りたいのか。それとも別の居場所をもう一度見付けるのか?


私としては、後者を選んで欲しいとは思えないし、手伝うこともできない。だけど、お前の選択だ。否定したりしないよ」


セレッソは一度言葉を区切って、改めて僕に聞いた。


「お前はどうしたいんだ、誠」


「……僕は、この世界が好きだ。皆がここが僕の居場所だと認めてくれるなら、それを守るために、全力を尽くしたい」


「そうだろう? だったら、他人の言うことを気にするな。誰だって、自分の居場所を守るために戦っている」


このとき、僕の言った「世界」とは、あくまでスクールだったり、クラムのみんなだったり、僕が認識している、僕の世界のことだった。


でも、たぶん……セレッソはもっと大きい、この世界すべてのことを言っていたのだろう。だけど、この時の僕は、それを理解していなかった。


「ちなみにだけど、僕が何もかも嫌になって逃げだしたら、お前はどうするんだ?」


何となく、気になって聞いてみたのだが、セレッソは涼しい顔で答えるのだった。


「そんなの決まっているだろ。地の果てまで追いかけて、罵詈雑言を浴びせてから連れ戻す。契約不履行は、絶対に許さん」


……なぁ、女神様よ。

お前の言う「否定はしない」って、どういう意味なんだ?




僕の左ハイキックが、皇を完全に捉える。皇の足が揺らぎ、ついに尻餅を付いた。


僕を見上げた皇の目は、何が起こったのか、理解できない、信じられない、と言っている。そんな皇に僕は言う。


「だからな、皇……お前に否定させねぇ。今から実力を証明して、それを分からせてやるから、覚悟しろよ、――野郎!」


僕の言葉は、部分的に歓声で掻き消されてしまった。


だけど、それは確かに皇の耳へ届いたらしい。一瞬で増悪が膨れ上がったその表情が、何よりもの証拠だった。

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