◆イワン、アッシアの歴史の中で⑭
アッシアに新政府が誕生した。しかし、イワンはテレビの取材や講演会などで忙しい日々が続き、なかなかプロポーズに踏み切れずにいた。
また、新政府は初めてのことだらけで、混乱状態も続き、いつの間にか二年という月日が流れた。忙しい日々が続いたが、それでも落ち着いた時間が確保できるようになったある日の夜……。
「クララ、ちょっと良いかな」
イワンは仕事中のクララを呼び出し、ワクソーム城の夜景が見える場所まで移動した。しかし、何をどう言い出せばいいのか分からず、しばらくは無言の時間が続いてしまう。
「なんだか信じられないわね」
無言の時間を避けるためか、クララが喋りだした。
「私たちが出会って、もう十年になるけど、あのときは国を動かす側の人間になるなんて、少しも思わなかった。しかも、貴方の二人で。こんな奇跡みたいなことってあるのね」
クララはワクソームの夜景を眺め、達成感を味わうかのようだった。イワンはそんな彼女の背に向かって想いを伝える。
「あのときの僕は……十年後も君の傍にいられたら、って考えていた」
クララが振り返り、笑顔を見せる。
「夢が叶ったみたいね」
「君の夢は叶った?」
その問いに、クララは笑顔を消して、夜景の方へ視線を戻してしまった。
「叶った……と思っていた。アッシアを正しい国に変えられたら、私の何かが満たされると思っていたのに」
「不満があるの?」
「分からない。でも、最近は何かが違うって感じている。満足できていない部分があるの。それが何なのか、自分にも分からない」
クララは俯き、夜景すら見ていない。
イワンはどうすれば彼女は幸せになるのか考えた。
それは……幸せな家庭ではないか。
「クララ、君に伝えたいことがあるんだ」
振り返るクララ。
その目じりには涙が。
それでも、イワンは伝えるべきだと思った。
「これを君に」
二年前に購入したまま、ずっと渡せずにいた指輪を差し出す。
「……どういうこと?」
「受け取ってくれないか?」
クララが指輪に手を伸ばす。
あと少しで、その輝きに彼女の美しい指先が触れると思った、そのときだった。
「おお、イワン! こんなところにいたのか!」
突然、マカチェフが顔を出した。クララが手を引っ込め、イワンも指輪を懐に戻す。二人の反応を見て、マカチェフはタイミングを見誤ったことに気付くが……。
「タイミングが悪くて申し訳ないが……緊急事態だ」
まだ、アッシアに平和は訪れてはいなかったのだった。
作戦会議室の大きなモニターに、アッシアの南東にあたる海が映し出された。そして、そこには巨大な船がいくつも並んでいた。
「これは二時間前の映像だ」
マカチェフが説明する。
「アキレム軍の船がイザール港に向かっているようだ。情報によると、アキレム側は宣戦布告の準備をしているらしく、到着と同時に攻撃を仕掛けてくると思われる」
「そ、そんな……。だって、まだ新政府を立てたばかりで、混乱状態が続いているんですよ?」
クララの視線は鋭く、強い怒りを覚えているように見えた。
「アキレムにしてみれば、再びアッシアが力を付ける前に、完膚なきまでに叩きのめしたいようだ。それに、その混乱状態を収め、アッシアの周辺諸国を解放することも、攻撃の理由にしている。アッシアは、まだ世界の敵として認識されているのだろう」
「アッシアは誰も戦争なんて望んでいない! ただ国を立て直したいだけなのに」
「……そう考えているのは、我々だけなんだよ」
誰もが言葉を失ったが、最後は全員の視線がイワンに集まった。
「イワン、どうすればいい?」
イワンは夜風にあたると言って、会議室から出た。イワンは普通の男だ。アキレムと言う大国が責めてきたとき、何をどうするべきなのか、その対応を思い付くわけがなかった。さらに、誰もが自分に期待している。
しかし、イワンにとってそれはどうでもいいことだった。ただ、何よりもクララと共に作った新政府を破壊されたくはなかった。
「願い事、あるんじゃないの?」
どこからか、少女の声が聞こえた。このワクソーム城に、少女が紛れ込むわけがない。不審に思いつつ、イワンは振り返った。
「困っているでしょう? 願い事があるなら、五つまでは叶えている。そういう約束だったよね。覚えているかな、イワン」
ぬるい風が吹き、雲が流れた。すると、月光がイワンの周辺を照らす。すると、見覚えのある少女がイワンの前に現れたのだった。その姿を見て、イワンはわずかに微笑みを浮かべる。
「……覚えているとも。久しぶりだね、タンソール」
どこからか現れた少女……タンソールは微笑みを返すのだった。
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