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◆イワン、アッシアの歴史の中で①

イワンは普通の男だ。


争いが好きなわけでも、勝ちに飢えているわけでもない。


ただ少しばかり記憶力と集中力がある、普通の男だ。


「おい、イワン!」


「……」


それは、五十年以上前。イワンがまだ少年だったころから変わっていない。


「そうやってアホみたいに、ぼーっとしているから怒られるんだ。分かっているのか?」


「……」


「おい、イワン! 聞こえているのか?」


「はい、聞こえています。ダロンおじさん」


どこまでも広がるような農地の中、少年イワンの返答に、太った中年の男……ダロンは目を細めた。


「おい、ここの雑草は夜までに片付けておけよ。全部だ。いいな!?」


「はい、おじさん」


広大な農地に点々と生える雑草は、とても子ども一人で片付けきることはできないだろう。しかし、イワンは淡々と作業を開始する。一時間だろうが、二時間だろうが、ひたすら雑草を片付けた。


「不気味な子どもだ……」


ダロンは一人呟く。

それは、イワンの耳に入る距離ではあったが、彼は振り返ることもなく、ただ雑草を片付けるだけだった。


ダロンは個人で農業を営む大柄の男だ。すぐに怒鳴る男ではあるが、イワンは彼を好意的に見ていた。なぜなら、週に二回、草むしりを手伝えば小遣いをくれるからだ。そして、その小遣いを父に渡せば、褒めてもらえる。


だから、イワンにとってダロンは優しい大人の一人だった。


「おい、イワン。今日はもうおしまいだ。送ってやるから車に乗れ」


ダロンの声に顔を上げると、イワンは初めて美しい夕日に気付く。辺りは既に暗くなり始めていたのに、今の今までイワンは顔を上げることなく、ただ地面ばかりを見ていたのだ。


「最近、親父は何している?」


車を運転するダロンに聞かれ、イワンはほとんど間を置かずに答えた。


「通信で勉強をしている。忙しいから、僕の相手はできないって」


「そうか……」


この質問は初めてではないが、何度聞かれてもイワンは同じ答えを返す。ダロンはやや不審に感じているようだが、イワンは「何をしているか聞かれたら、こう答えろと」と父に言われた通りの答えを返すだけなのだ。


実際、イワンの父はずっと家にいるだけで、特に何もしていない。なぜなら、彼はアッシア全土に広がる大恐慌によって、職を失ったからだ。


大恐慌の原因は、アッシア政府の一部が、オクトから強行的に手に入れたアトラ隕石の影響、と言われているが……それは定かではない。


「もしも、だけどな」


ダロンはやや遠慮がちに言う。


「もし、親父に殴られるようなことがあれば、真っ先に俺に言えよ。お前は別に、あの家で暮らす以外の人生もあるんだ」


「大丈夫だよ、ダロンおじさん。父さんは愛のない暴力は振るわない。暴力があっても、そこに愛はあるし、僕が本当に悪いことをしたときだけだ」


「……本当か?」


「本当だよ」


ダロンの畑から少し離れ、湖の畔にある屋敷に車が止まる。イワンの家だ。父親と二人で暮らすには、やや広い屋敷。彼はここで暮らし続けている。


「親父にたまには家から出るように言っておけ。外の空気を吸わないと、健康に悪い。じゃあな、イワン。明日も頼むぞ。七時には迎えに来るから、準備しておけよ」


「ありがとう、ダロンおじさん。また明日」


イワンは車を降りて、屋敷の中に入る。自分と父親しか入らないこの家は、いつも荒れていて、アルコールの匂いが充満していた。


「父さん、ただいま」


「おう、イワン。帰ったか。今日の小遣いは?」


「ここに置いておくよ」


テレビの前で横になっていた父親が起き上がり、キッチンのカウンターに置かれた慎ましい小遣いを確認する。イワンは自室に戻ろうと、階段の方へ向かったが……父親に首根っこを掴まれた。


「おい、イワン! 先週より少ないぞ。まさか、自分の懐に入れてないだろうな」


大人の強い力で引っ張られ、ポケットの中を調べられる。そのとき、イワンは転んで強く腕を打ったが、顔色一つ変えることなく、落ち付いた声で、ただ事実を伝えるのだった。


「父さん、先週は二日分を一度にもらったんだ。だから、今日は少なく感じるだけだよ」


「……そうか」


父親はイワンを立たせると、襟を正してから、優しく頭を叩いた。


「よくやった、イワン。明日も頼むぞ。ダロンおじさんには何か聞かれなかったか?」


「父さんが何をしているか聞かれた」


「何と答えた?」


「通信で勉強している、って」


「そうだ。その通りだ。父さんはこの通り、毎日テレビの前で通信しながら勉強をしている。また、おじさんに聞かれても、同じように答えるんだぞ」


「分かっているよ、父さん。……行っていい?」


「ああ、早く寝ろ」


「あと、たまには家から出ろって。ずっと家の中にいると健康に悪いらしいよ」


「大きなお世話だ、あのクソデブ!」


階段を上るイワンの耳にわずかに聞こえる父の声。


「おい、イワン! 今のはおじさんに言っちゃダメだぞ。分かったな!」


「分かっているよ、父さん」


この後、イワンは体を洗い、すぐにベッドで眠った。


これまで、ずっと繰り返していた日常。イワンにとって、これが幸福だとも不幸だとも思わなかった。ただ、父親の機嫌が良ければ、自分も痛い目に合わず夜を眠れる。それに、母親がこの家を去ってしまう前に、教えてくれた。


「イワン、どうしようもないときは女神様に祈りさない。きっと、貴方の願いを叶えてくれるから」


彼にとって祈る願いはないが、困ったときはそうすれば良いだけのこと。だから、何もない日常がずっと続くと思っていた。


しかし、イワンは出会う。日常を……この世界を壊してしまう魔王に。

少し長くなるのでしばらく毎日更新します。


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