【顕現】
広い室内に、少なくとも三十は超えるだろうフィリポがいた。
「どうした、勇者くん」
絶望する僕に、イワンは抑揚のない声で言う。
「私を殺すのだろう。頑張れ、立ち向かうんだ。かつての私がそうしたように、戦うんだよ」
「こ、こんなのって……」
もうダメだ。何もできない。
プラーナだってある。
ブレイブモードだって、あと一分半はある。
だけど、フィリポが三十人もいたら……何の意味もないじゃないか!
しかし、イワンに立ち向かうのは僕だけではない、と気付かされた。
『ワクソーム城内にいるイワン・ソロヴィエフに告ぎます!』
フィオナの声だった。
イワンがゆっくりと窓の方へ近づいて、外の様子を窺うと、続けてフィオナの声が聞こえてきた。
『ワクソーム城を守る兵士たちは、既に壊滅状態です。我々は、アニアルークの旧政府軍だけでなく、NU連合、アキレム、ニーチといった国々の協力を得て、ワクソーム城を包囲しています。脱出用の隠し通路も、既に塞ぎました。無駄な抵抗はおよしなさい』
フィオナの通告を聞いたイワンは、なぜか小さく笑う。
「アニアルークとアキレムだけなく、NUとニーチが動くとは……想定外だ」
そして、僕を見てから言った。
「君のところのお姫様は有能だね。驚いたよ」
よく分からないけど……色々な国の人たちが援軍に駆け付けてくれた、ってことみたいだ。だったら、ここは一度退いて、仲間たちと合流してから改めてイワンを倒せば……。
「だけど、無駄なことだ」
圧倒的に不利なはずなのに、イワンは自分の有利を確信しているみたいだった。
「確かに、ワクソーム城は包囲されている。圧倒的な数だ。ここにいるフィリポ全員と控えのピエトルたちを動かしても、勝ち目はないだろうな」
「だ、だったら……降伏しろよ」
フィリポに囲まれ、声が出なかった僕だが、やっとそれらしいことを言えた。ただ、イワンは首を横に振る。やはり、降伏するつもりは、ないらしい。
「オクトは勘違いしているようだが、私にとってこれは、大した危機ではない」
「え?」
「この状況も、大した危機ではないのだよ。なぜなら……私にはあの方が付いているのだから」
「あの方……?」
もしかして……。
「魔王、のこと?」
イワンは頷く。
「……馬鹿言うなよ。確かに、フィリポとピエトルがたくさんいるって聞いて、驚いたよ。勝てない、って思ったさ。でも、それを全員動かしても、ひっくり返ることのない戦況なんだろ? それを魔王一人が出てきたところで、どうなるって言うんだ」
伝説の勇者と言っても良い二人が、たくさんいても、数の力には勝てない。オクトの勝ちは決まったんだ。
「魔王と一緒に降伏しろ! それで戦争は終わりだ!!」
僕の声が室内に響く。
微動だにしないフィリポたちとイワンの静かな態度が、より沈黙を濃いものとした。そのとき、聞きなれない、妙な音が聞こえてきた。
ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ……と、小さな音が。
それは、まるで足音みたいに、近付いてくるみたいだった。
「おや、噂をすれば……お戻りになられたようだ」
イワンが音の方に振り返る。
それは、この部屋の一番奥、ちょっとした段差の向こう。
御簾がかかって、良く見えないけど、そこに何かが動いていた。
ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ……。
動きを止め、御簾の向こうにある椅子に、腰を下ろしたみたいだ。
なんだろう、この寒気は。
いまだかつてない恐怖が、そこにいる。
ここに来るまで戦ってきた強敵たちよりも、三十人のフィリポに囲まれたときよりも、圧倒的な恐怖が、そこにあるようだ。
「どこへ出かけていたのですか? すぐ帰るといって、なかなか姿を現さないものだから、肝を冷やしましたよ」
「友人たちに、会ってきた」
それが答えた。
その声、違和感、薄気味の悪さ……。
これらを僕は、一生誰かと分かち合うことはないだろう。だって、僕はここで死ぬか、生きていたとしても、とても理解してもらえない感覚だったから。
「友人たち?」
イワンは心当たりがなかったのか、小さく首を傾げた。が、すぐに合点がいったのか、頷いた。
「ああ、地下施設の実験体たちですね。たしか、廃棄されたはず。それよりも……」
イワンは壇上の前に膝を付き、それに対して首を垂れた。
「約束の時です。十年前の願い、今こそ叶えていただきたい」
「……十年前。ああ、オクトを焦土にする、というあの願いか」
御簾の向こうにいるそれが動いた。同時に、糸でも切れたように御簾が落ち、その向こうにいたものが姿を見せる。
僕は見た。見てしまった。
信じられない、その光景を前にして、僕はただ、自分の目を疑うだけ。
「ど、どういうこと?」
その者は壇上から降りる。小さい、その姿はイワンの横を通り過ぎ、僕の正面に立って笑うのだった。
「ワクソーム城にようこそ。誠お兄ちゃん」
「……アオイちゃん?」
愕然とする僕を見て、それは……
アオイちゃんは無垢な笑顔を見せるのだった。
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