綿谷華の場合 / ハナチルトキ
「ハナちゃん! ハナちゃん!!」
耳元で何度も叫ばれる。
「うるせぇぞ、誠。何でここにいるんだ?」
華の反応を見て、誠はほっとしたのか、目に涙を浮かべながら笑顔を見せた。
「イワンを追ってたら、悲鳴が聞こえて……それより、血まみれだよ。大丈夫なの!?」
「馬鹿、お前……イワンを逃がしたのか? 早く追えよ」
「いやいや! 血まみれのハナちゃんを置いて行けるわけないから!」
抱き起こそうとする誠だが、全身に痛みが走る。しかし、ここで痛みを訴えたら、余計に心配させるだろう。
「プラーナを使い果たしただけだ。だから、私のことは放っておいて、イワンを追え」
「嫌だよ。もうハナちゃんに何かあったらどうしようって、不安に思うのも嫌なんだ! 一緒に城を出て、治療してもらおう!」
「だから、大したことないって。疲れて動けないだけだ」
「分かったから、とりあえず外に……!!」
「ダメだ!!」
華が声を上げると、誠は面を食らったのか、目を丸くする。
「ここでイワンを逃がしたら、さらに戦争が続くかもしれない。お前だって、それが嫌だから城まで殴りこみにきたんだろ? ここで投げ出したら、お前、後悔するぞ」
「いいよ! ハナちゃんに何かあるよりは、マシだ!」
真剣な誠の顔を見て、華は言葉を失う。だが、悪い気持ちではない。むしろ……。
「……なんで笑うのさ」
拗ねるような誠に、華は言う。
「お前、私のこと、好きすぎるだろ、って……思っただけだ」
「そうだよ!」
「え?」
「大好きだよ。だからハナちゃんを一人にできない!!」
「……」
再び言葉を失う華。ただ、単純に嬉しくて、言葉が出てこなかった。でも、だからこそ……。
「だったら、余計にイワンを追えよ」
「どうして? もういいよ、僕にとってハナちゃんの方が大事なことなんだよ」
「……分かった。じゃあ、約束してやる」
「約束?」
誠が首を傾げる。
本当は恥ずかしい。恥ずかしいけど、今なら言える。言っても、大丈夫だ。
「イワンを倒したら、私の処女をやる。お前に私の初めて……やるから」
嗚呼、言ってしまった。本当に恥ずかしい。
でも、こう見えて誠は頑固だ。
こんなことでは説得できないだろう。じゃあ、次はどんな言葉を……。
「分かった!」
「え?」
「分かったよ、ハナちゃん。絶対にイワンを捕まえる。だから、約束ね!」
……鼻息が荒い。
どうやら、やる気が出たらしい。
「じゃあ、すぐ行くから!」
「ま、待て待て!」
走り出そうとする誠を思わず引き止める。
「なに? 早く行かないと、イワンに逃げられちゃうんだけど??」
(……えっと、なんで呼び止めたんだっけ)
華は少しばかり混乱するが、すぐに考えをまとめる。
「イワンを捕えるための裏技を教えてやる。お前のブレイブアーマーに搭載された裏コマンド、ニアから聞いたんだった」
「う、裏コマンド?? 何それ、かっこいい!!」
「こっち寄れ。誰かに聞かれたら困るだろ」
素直に誠は耳を華の口元に近付ける。
(よし、たぶんこれが最後のチャンスだ)
華はゆっくりと誠の顎に触れる。そして、彼の視線をこちらに向けた。驚く誠。その顔に、自分の顔を寄せ――。
数秒の沈黙があって、離れると、赤く染まった誠の顔がそこに。華も照れ臭くて、それを見ていられなかった。
「これで、約束……守ったからな」
「う、うん……」
「じゃあ、早く行けよ! 次の約束も、守ってほしいんだろ!?」
「う、うん!!」
だが、誠も躊躇いがあるらしい。立ち去る前に、もう一度振り返って、尋ねるのだった。
「……本当に大丈夫なんだよね?」
「大丈夫だって。少し休めば動けるようになるし、周辺に敵の気配ない。体力が戻ったら、タイミングを見て城を出るさ。……私を信じろよ」
誠は頷く。
「……分かった。気を付けてね!」
誠が背を向け、走り出した。少しずつ遠ざかっていく足音に耳を澄ませながら、華は自然と笑みをこぼす。
「あー、よかった。約束守れて……」
ただ、新たに交わした約束は、守れそうにない。そう思うと腹部に急激な痛みが走り、彼女の足元に赤が広がっていく。
ブレイブモードを発動させ、アナに渾身のタックルを仕掛けたとき、あの槍のような一撃は、確かに華の腹部を抉っていたのだ。致命傷を受けた状態で、アナを倒しきれたのは、ほとんど幸運であったと言えよう。
「あいつに、バレなくてよかった。でも……ちゃんと、好きって言えばよかったなぁ」
ただ、それを言ったら、あの馬鹿だって察してしまうかもしれない。だったら、言わなくてもよかったのかも。自分はもう助からない。それなのに、自分を担いで城を出たら、イワンに逃げられてしまうだろう。そしたら、誠は二つの後悔を背負うことになる。
「じゃあな、誠。もし、また会えたら……私の気持ち、ちゃんと聞けよな――」
力強い赤色が床を染めていく。
華はそれを眺めながら、満足げに笑い、重たい瞼を閉じるのであった。
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