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皇颯斗の場合 / 温かい世界はそこに

神崎誠の表情は躊躇いを押し込めるかのようだった。


「お前なら、やれる。そうなんだよな?」


「僕を誰だと思っている。古い勇者を相手に引けを取ることはない」


「……信じるぞ!」


「時間がない。早く行くんだ」


皇の言葉は迷いも恐れもない、ように聞こえただろう。きっと、それは誰が耳にしても変わらないはず。だから、神崎誠も頷いてイワンが去った方へ走り出した。


しかし、皇は心の中で呟く。


(死ぬか生きるか。その瀬戸際か)


緊張感が高まったわけではない。ただ、そこに死があるかもしれない、と意識しただけだ。皇はピエトルを見据える。幸か不幸か、彼は神崎誠を追わなかった。つまり、向こうは向こうで、皇が脅威だと感じているらしい。


皇はゆっくりと構えるが、ピエトルは無造作に距離を詰めてきた。そして、再び速い踏み込み。あの重たいパンチに備える皇だったが……。


(まさか――!?)


気付いたときには体が浮いていた。

そして、床に叩きつけられる。パンチに備えていた皇だったが、組み付かれたと認識するよりも先に、押し倒されていたのだ。


背中を床につけた皇を見下ろす、ピエトルの冷たい瞳。


そして、氷のような拳が顔面に向かって振り落とされた。背中が床に付けた状態では、躱せない。立ち上がろうにも、その瞬間に頭を蹴り飛ばされることもあるだろう。皇は腕をクロスして、ピエトルの重たいパンチを耐えるしかなかった。


一発、二発、三発……。


(これ以上は、ガードの上からでも意識を奪われる……)


皇はピエトルの拳が振り落とされた瞬間、その手首を掴んだ。そして、自らの両足をピエトルの首に絡めようとする。姉が得意とする、太腿と相手の方で頸動脈を締め付ける技……


三角締めを狙ったのだ。しかし……。


(なんだ、この力は……!?)


ピエトルは強引に腕を引き抜き、皇の三角締めから脱出する。それどころか、皇の顔面を踏み付けようと、足の裏を落としてきた。直撃には至らなかったが、顔半分を足の裏で潰された皇は、視界が点滅し出し、焦りを感じずにはいられなかった。


さらに、もう一度踏み付けが。二度目は受けまい、と顔面をスライドさせて躱し、すぐにピエトルの足を掴んだ。


(足首を捻り上げてやる!)


足関節を破壊すれば、ピエトルの動きは大幅に制限されるはず。しかし、ピエトルの力は尋常ではなく、再び引き抜かれてしまった。


ただ、ピエトルも危険を感じたのが、必要以上に勢いを付けて足を抜いたため、二人の間に距離が生まれた。それは皇に立ち上がる機会を与える。


(今度こそ……!!)


立ち上がる皇だったが、離れていたはずのピエトルは、既に目の前に……。何もかも壊してしまいそうな拳が、皇の顔面を撃ち抜いた……。


(ダメだ、こいつには……勝てない)


薄れる意識に反し、絶望の色に濃く染まっていく。皇の膝は折れ、ぐしゃりと潰れるように、彼はその場に倒れてしまった。


視界が歪む。

最後の一撃を放とうとする、ピエトルの足音が聞こえるが、意識を保つのも難しかった。


皇は瞳を閉じる。

ダメだと分かっていても、瞼が重たかった。


閉じられた瞼の裏。


そこに映し出されたのは、いつだかの会議室の光景。


皇が端に座り、その対角線に神崎誠が座っていた。


――あ、神崎くん。


――なんだ、誠か。


――よかった、誠さんじゃないですか。


会議室に入ってくる人々は、みんな彼の名を呼ぶ。実の姉ですら、自分の名ではなく、彼の名を。彼の周りは、いつでも温かいように思えた……。


それに比べ、自分はどうだ?


「颯斗。貴方は絶対に立派な勇者になるの」


いつも聞こえてくる、冷たい母の声。


きっと、自分には温かいあの世界は無縁なのだろう。そう思っていた。どんなに努力しても、どんなに強くなっても、きっと自分はあの温もりから否定され続ける。そう思っていたのだが……。


――この戦いが終わったら……僕たち、もっと普通に話してみないか?


もしかしたら、思ったより簡単なことだったのかもしれない。思ったことを口にしてみる。それだけで、誰かが自分に理解を示してくれるのかもしれない。


あの世界は、あの温もりは……もしかしたら、


すぐ傍にあるのかもしれない。


(綿谷華……)


かつて憧れた人のことを想うと、目が熱くなった。


……泣いている。

行き場を失った気持ちが泣いている。


だけど、彼女だけじゃない。

彼だけでもない。


自分を受け入れてくれる人間は、他にもいるはずだ。


きっと、大丈夫。自分ならできる。

少しだけだけど、コツだって掴んだわけだ。それに……。


「それに……約束したんだ」


皇颯斗は目を覚ます。

そして、自分の中に流れるプラーナを感じた。


負けるわけにはいかない。


あの世界に、手が届くなら。その向こうにだって、きっと届くはずだから。


「教室で顔を合わせたら、おはようって言って、昨日の宿題ちゃんとやったのかって……普通のこと、話すんだ」


皇は立ち上がる。あと数歩のところまで間合いを詰めていたピエトルと向き合った。


「だから、僕は負けない。誰にも負けない……。友達に会うためにも!」


プラーナが燃え、魂が燃え、皇は叫んだ。


「ブレイブモード!!」


そして、勇者の全身を光が包むのだった。

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