――― プロローグ ―――
「オクトは勇者、皇颯斗の死亡を発表。しかし、依然としてワクソームへ侵攻を続け――」
ニュースは戦争に関する情報を延々と流していたが、イワンが巨大モニターの映像を切ると、ワクソーム城の謁見室は静寂に包まれた。イワンが窓辺まで移動する、その足音が響くほど、深い静寂である。
窓の外に広がるアッシアの首都ワクソームの風景。それを見下ろすイワンの口元には笑みが。
「アッシアは世界で一番大きい国になったよ、クララ」
それは誰かに語り掛けるようだったが、返事はない。次に東の方角に目を向ける。オクトが進軍する東の方角へ。
「間もなく、ワクソームに迫るか。オクトは想像以上に強い国だった。あのときも……」
脳裏に浮かぶのは白いブレイブアーマーに身をまとった勇者の姿。十年前、イワンを追い詰めた勇者の姿である。
しばらく、窓の外を眺めるイワン。その表情から何かを読み取れるものは誰一人としていないだろう。そんなイワンは踵を返すと謁見室の奥へ進み、再び足音だけが空間に響いた。
謁見室の奥には段差があり、御簾がかかっている。イワンは御簾の向こうに声をかけた。
「魔王様、オクトが迫っています。このままではワクソームも戦場になるでしょう」
しかし、返事はない。ただ、声が返ってくることの方が珍しい。例え、敵軍がワクソームの地に踏み入ろうが、魔王にとっては些細なこと。そう、魔王にとってイワンの報告のほとんどは、興味のないことなのだ。
「オクトはおそらくアニアルークの旧政府軍と結託してます。もしかしたら、アニアルークの近隣地域も、これを機会に反旗を翻すかもしれない。そうすれば、我々は窮地に陥ることになります。我々が契約してから、一度もなかったような最大の窮地に」
あれは何年前のことになるだろうか。魔王と初めて出会ったときから、イワンの運命は変わった。どこにでもいる、少しばかり現状に不満を抱く少年が、大国のトップになる。そんな運命は、あのとき変わったのか。
いや、そうではない。
魔王ではなく、彼女と出会ったせいだ。
「魔王様、もう少し手伝っていただきます。私の願いはあと二つ残っているはずです」
五つまでならどんな願いも叶える。それが魔王との契約。一回目は革命のときだったか。二回目は連合軍の攻撃。三回目はアニアルークの旧政府が相手だったか。
「何度も言いますが、アキレム軍と衝突したときはカウントしていません。貴方が勝手に動いただけですから。十年前の四回目は不履行だった。今回は、その四回目をしっかり叶えていただきますよ」
それでも御簾の向こうからは返事はない。イワンは無口なタイプだ。そんなイワンがこれだけ喋っても魔王が無言を貫くことは、いくらなんでも珍しい。
「魔王様?」
呼びかけても、やはり沈黙……。
「魔王様、失礼いたします」
さすがに不信感を抱いたイワンは御簾を払って、魔王の姿を確認しようとした。しかし――。
「遊びに行ってくる。すぐに帰る」
そう書かれたメモ用紙が、魔王が座っているはずの椅子に置かれていた。
すぐに帰る。以前もこれと同じことがあった。あのときは、すぐに帰るはずが三か月も戻らなかった。今回はどうだろうか。一ヶ月も二ヶ月も帰らないとしたら……。
「オクトに負けてしまうではないか」
イワンは部下に連絡して魔王を探させようと思ったが、何がそうさせたのか、彼は動きを止めて溜め息を吐いた。そして、再び窓辺へ移動すると、ワクソームの風景を眺めた。美しい街並みにを前に、イワンは一人呟く。
「クララ、もう少しで君に会えると思ったのだが、まだ時間がかかりそうだ……」
第二次オクト・アッシア戦争の終わりは、すぐそこまで迫っている。
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