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【地獄】

それは、あまりに突然だった。


三枝木とダリア。二人の拳が交錯すると思われた瞬間、大地が割れた。空から巨大な見えない剣が叩きつけられたように、大地が割れたのである。


「きゃあああぁぁぁーーー!」


瀬礼朱は思わず悲鳴を上げる。それは、足元が突然揺らいだからだ。


地震……ではない。今度は確かに見えた。空から何かが降ってきて、大地を叩いたのだ。


何が起こったのか、確認しようと天を見上げると、


青空に十字型の炎が燃えている。燃え盛っている。


「な、なにあれ……?」


空中に浮かぶそれは、確かなサイズは分からないが、かなり大きい。ただ、色が奇妙である。赤や青ではなく、橙や黄に近い。ひどく人工的な色だ。


すると、その炎の先端がわずかに分裂した。かと思うと、瀬礼朱を狙ったかのように、それが落下する。


まるで、炎の矢だ。


「魔法なの!?」


瀬礼朱は瞬時に防壁魔法を展開したが、次の瞬間には、その炎は足元に突き刺さっていた。防壁魔法が、まるで紙切れのように、簡単に破られたのである。


「うそ、でしょ……?」


瀬礼朱が愕然としていると、小さかった炎の矢が急に膨れ上がり、彼女を飲み込もうとした。


「危ない!」


「ひゃあっ!」


危うく炎に呑まれそうになった瀬礼朱だったが、直前に何者かが彼女を押し出す。


「瀬礼朱さん、何かがおかしいです。逃げましょう!」


「う、馬部くん??」


顔を腫らせた馬部が瀬礼朱を立たせる。


「あの大きな炎。海の方からきて、火を放ち始めたんです。しかも、さっきはビームみたいなものを撃って、地面に大穴を空けて……。だから、逃げないと!」


大地を割ったのは、あの巨大な炎が原因なのか。


「でも、三枝木さんは!?」


「たぶん、あっちです。戦いながら移動していくのが見えました」


「早く助けに行かないと!」


瀬礼朱が三枝木の方へ走り出そうとしたが、彼女は足を止める。


空が光ったのだ。

一瞬の輝きだが、その光は彼女の足を止めるほど、眩いものだった。


そして、地が揺れたかと思うと、未だ聞いたことのない轟音が瀬礼朱と馬部の耳を打った。


さらに、巨大な壁が高速で迫ってくるような衝撃波が。瀬礼朱は反射的に馬部を掴み、木の影に隠れられたが、ブレイブアーマー越しに衝撃と熱を感じた。


「……だ、大丈夫?」


衝撃が止み、馬部の無事を確認するが返答はない。しかも、火傷を負っているようだ。目を覆いたくなるほどの……。


「ひ、酷い。待ってて、すぐ治すから!」


瀬礼朱は回復魔法をかけると、火傷が和らいでいく。大丈夫、命にも別状はなさそうだ。


「い、一体……何が起こっているの」


瀬礼朱が震えた声を漏らすと、少し離れたところから呻き声が聞こえた。


アッシアの兵士だ。


先ほどの衝撃によって吹き飛ばされたのか、それとも戦闘によるものか、全身に酷い傷を負っている。そんなアッシア兵が、瀬礼朱の疑問に答えてくれた。


「ま、魔王様が……きたんだ」


「魔王……?」


「そうだ、魔王様だ。一度だけ、見たことが……ある。あの炎で、街の一つや二つ、簡単に燃やし尽くしてしまうんだ」


アッシア兵は息も絶え絶えに言う。


「……戦争は、終わりだ。オクトは……滅びる。魔王様が、すべてを、焼くんだ」


「ど、どういうこと? 魔王って何? あの炎がそうなのですか?」


「あんたも……逃げろ。少しでも、遠くへ……。さもないと……死ぬ、ぞ」


「少しでも遠くって……魔王は強化兵ではないの? もしかして、禁断魔法の名称? それとも禁断技術? 教えてください!」


しかし、アッシア兵は答えない。その命が尽きたようだ。


「に、逃げましょう」


馬部が意識を取り戻したようだ。


「に、逃げるって……三枝木さんがまだ」


「この兵士の言うことが本当なら、俺たちの命も危ない、ですよ。三枝木さんを……探す余裕なんて、ないくらい」


「だけど……」


瀬礼朱が躊躇っていると、再び空が光った。


轟音。衝撃。


それは先ほどに比べれば、位置は遠かったようだが、瀬礼朱たちもその場で自分の体を支えるのがやっとだった。


「次はここに落ちるかもしれません! 早く逃げないと! 三枝木さんなら、俺たちよりも上手く逃げてますよ。信じましょう……」


馬部が本心で言っているとは思えなかった。それくらい彼の表情も暗かったからだ。


「わ、私一人でも……」


瀬礼朱の言葉を遮るように、空から火の矢が大量に降ってきた。それは瞬く間に地面を埋め尽くし、瀬礼朱の視界いっぱいに炎が広がる。


「こうなったら、無理やりにでも連れて行きますからね!」


馬部は瀬礼朱の腕にあるブレイブシフトを取り上げ、ブレイブアーマーを装着する。そして、瀬礼朱を担ぎ上げると、三枝木たちがいるだろう方向とは逆へ走り出した。


「み、三枝木さん」


瀬礼朱は呟く。

だが「助けに行きたい」という気持ちを断ち切られるほど、周囲は酷いありさまだった。


炎と地割れ。

死に際の絶叫。

肉の焼ける匂い。

火だるま状態で踊り狂う人影。


ここにくるまで、いくつも死体を見た。しかし、それは焼けただれ、仲間なのか敵なのか、それすら分からない。


「これはもう戦争じゃない。ただの地獄よ……」


息苦しい。

歩いても歩いても灼熱がまとわりつく。


疲弊によって濃くなる絶望を感じながら、瀬礼朱はイロモアの日々を振り返る。楽しかった、というわけでは決してない。


しかし、そこにはオクトとアッシアの人々による、意志と意志のぶつかり合いが感じられた。長く積み重ねられた、戦いの歴史が、想いがあった。


それを魔王は瞬時に崩壊させた。燃え尽くそうとしている。人の意思をはるかに超越した何かが「この物語は飽きた」と、一冊の本を暖炉の炎に放ったように。


そんな地獄の中、瀬礼朱と馬部はただ歩いた。瀬礼朱は防壁魔法を展開し、何とか自分と馬部を守ろうとした。が、炎は簡単に防壁魔法を破り、それは気休めでしかなかった。


「ちくしょう、どうなっているんだ……」


馬部が足を止める。

逃げるつもりが、いつの間にか炎で囲まれていたのだ。


そんなとき、またも空が光った。


この輝きの強さは……近い!


「瀬礼朱さん、防壁魔法を全力で!」


馬部が叫びながら瀬礼朱を全身で庇いつつ、その場を離脱しようとした。爆発音と衝撃が二人を包む。


死にたくない!


瀬礼朱は尽きかけているプラーナを全身からかき集め、防壁魔法を展開する。


だが、そんな抵抗は数秒しか続かなかった。


瀬礼朱の意識は途切れてしまったのだ。

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