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【好きだから続けられる】

ダリアにとって最古の記憶は、フラスコの中で揺れる水と無影灯の明かりだ。


彼女にとって、自分の部屋は殺風景な研究室の一室。そして、いつも痛みに耐えて、その身を改造されていた。


でも、それを耐えきれば優しくしてくれる人がいる。それがイワンだった。


「よくやった、ダリア。さすがは私の可愛い子」


そういってイワンに撫でられると、嬉しくてたまらなかった。だけど、ときどき強い不安に襲われる。


それが強化を受けた副作用だとは知らないダリアは、ネガティブいな思考に押しつぶされそうになりながら、頭を抱えるしかなかった。


「可愛そうなダリア。しかし、私がいるから大丈夫だ。お前が安心できる場所は、私が作ってやる。だから、何でも言いなさい」


やはり、イワンは優しい。

自分のために、何でもしてくれる。


だったら、自分も頑張らなければ。

イワンを喜ばせなければ。


イワンのために痛みは我慢する。

イワンのために強くなる。

イワンのために生きるのだ。


それがダリアという女の基本思考であり、その他は何もないと言っても間違いなかった。


それなのに――。


「ダリアは失敗作かもしれない。これ以上の強化は無駄だな」


イワンが研究者に話しているのを聞いてしまった。


「あいつはオクト……イロモアの戦場に向かわせろ。そこで死ぬなら、そこまでの存在だ」


結果を出さなければ、捨てられる。あれだけ優しかったイワンに、捨てられるのだ。


だから、イロモアの戦争に投入されたからには、一人でも多くの勇者を倒さなければならない。ましてや――。


「勇者に負けるなんて、もってのほかなんだよ!」


振り上げた拳を白い勇者に叩きつけようとする。が、勇者は右に体を傾けて、それを躱した。


「待ってください! 今、この洞窟は崩れかかっている。ここで争ったら、二人とも生き埋めですよ!」


「知るか! 私はお前さえ殺せれば、満足なんだよ!」


次は回し蹴りで勇者の首を捻ってやるつもりだったが、またも躱されてしまう。そして、渾身の力を込めた爪先は、洞窟の壁に突き刺さった。


ゴゴゴッ、と音を立てて洞窟全体が揺れる。


「なんだ?」


ダリアが頭上を見上げると、岩が落ちてきた。飛び退いてそれを避けるが、着地したところに別の岩が落下してくる。


「このままでは生き埋めだ!」


「だから言ったでしょう!」


「うるさい、関係ないと言った!」


再び勇者へ襲い掛かろうとするダリアだったが、急に体の自由が奪われる。


「く、薬が……」


異様に体が重くなり、思わず膝を付くダリア。本当ならば、ウスマンから薬を受け取る時間なのだが、勇者を追いかけるのに必死で、すっかり忘れていた。


震えるダリアを見下ろす勇者が呟く。


「強化兵の中には、薬を使って体を維持するものも存在すると聞きましたが、噂は本当だったのですね……」


「ち、くしょう……。このままじゃ勇者を、殺せない!」


ダリアの全身に痛みが走り始め、思わず呻き声をもらす。


「だ、大丈夫ですか?」


介抱するつもりか、勇者がダリアの背に触れた。が、ダリアはそれを振り払い、拳を突き出す。ただ、それはあまりに弱々しいもので、勇者の胸板を小突くに終わった。


「こ、殺してやるぞ……勇者!」


立ち上がろうとするダリアだが、やはり痛みに耐えられず、膝を折る。


「どうして、そこまで勇者が……オクトが憎いのですか?」


憐れむように勇者に問われる。ダリアは怒りの視線と共に訴えた。


「勇者もオクトも、どうだっていい。ただ、イワン様のために戦うだけだ!」


「一人の人間のために戦っているのですか? それこそ、どうして……?」


「愛しているからに、決まっているだろう!」


ダリアが立ち上がる。


「私はあの方が好きだ。大好きなんだ。あの方のためなら、どんな苦痛にも耐えてみせる!」


「好きだから耐えられる?」


「そうだ。好きってことは、痛いんだよ。全身がはち切れそうなほど、痛いものなんだ。でも、好きだから耐えられる。苦しくても、つらくても、何度だって立ち上がれる。だって、それを抜けたところに、喜びがあるから。私は、間違ったことを、言っているか!?」


ダリアの言葉に、勇者が動揺を見せた。今なら、やれるかもしれない!


今出せるすべての力を込めて、勇者の顔面へ拳を突き出そうと、腰を落とした。だが、全身を襲う痛みが激しく暴れる。


「い、た……。いたいいいい……」


自らを抱きしめるようにして、再び蹲るダリア。視界も白黒と点滅し、今にも意識が失われてしまいそうだった。さらに、洞窟の揺れが激しくなる。


「まずい。崩壊する!」


勇者の声は近いはずなのに、遠くから聞こえるみたいだった。


「出し惜しみできる状況ではありませんね。……ブレイブモード!」


眩しい。

何かが発光している。


重たい瞼を何とか持ち上げると、光り輝く勇者の姿が。そして、自分の体を抱えると、勇者が超高速で走り出した。


崩壊する洞窟。

雨のように降る岩々の中をすり抜けるように、勇者は駆けた。


「は、離せ!」


辛うじて抵抗しようとするダリアだが、今の彼女はあまりに無力だ。


「暴れないで! 残り二分……それまで、我慢していてください!」


勇者のスピードがさらに上がる。これだけの力を出せるのか、とダリアは薄れていく意識の中で感心した。


「くそ、出口はどっちだ!」


勇者が苛立たし気な言葉を吐き捨てた瞬間、ダリアは見た。


「岩が落ちてくるぞ……」


ダリアの声に反応して、落下してきた岩を躱す勇者。しかし、さらに複数の岩が落下してくる。いや、これはそういうレベルではない。


天井が崩れ落ちたのだ。

生き埋めは免れない。

さすがのダリアも死を覚悟した。だが――。


「こっちだ、宗次! つかまれ!」


次の瞬間、これまでに経験したことのない加速度を感じるダリア。何が起こったのか、状況を把握しようとするダリアだったが、その意識を保つことはできなかった。




朦朧とする意識の中、ダリアは勇者の声を聞いた。


「彼女は瀬礼朱さんにとって父の仇なんです。だから、二人を会わせるわけには……」


「じゃあ、ここに放っておくぞ。たぶん、洞窟がさらに崩壊したとしても、死にはしないはずだ」


「はい。お願いします」


再び意識は途切れる。




「よかった、姉さんが起きた!」


覗き込むウスマンの顔。

次にダリアが意識を取り戻したとき、彼女はアッシアの攻撃拠点にいた。

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