◆英雄の影④
イワン・ソロヴィエフ。アッシアを変えた男。
そして、平和だった世界に戦争を持ち込んだ男として、今後何百年と歴史に名を刻むだろう人物だ。
つまり、アニアルークの旧政府軍にとっては、今この瞬間にでも捕えたい人物でもある。それが、なぜアルバロノドフの前にいるのか。
アリーサは、すぐにでも動くべきか決断に迫られた。が、目の前のイワンは顔色一つ変えることなく、それを制止する。
「やめたまえ。戦いに来たのではない。話し合いにきたのだ」
敵地の真ん中であるにも関わらず、絶対的な余裕。護衛がいるのだろうか、と周囲を確認するが、
イワンの後ろには、十代半ばと思われる少女の背中が見えるだけ。
イワンの娘なのだろうか。彼女は地べたを這う虫でも観察するように、こちらに背を向けて屈んだまま、振り向くことはなかった。
「話し合い、とは……?」
アルバロノドフが話を聞く姿勢を見せる。アリーサとアルバロノドフは、ここで彼を捕えようとは考えなかった。なぜか、考えることができなかった。
「私は今、魔王を使ってアニアルーク全土を焼いてしまおうと考えている。なぜだと思う?」
二人は答えられなかった。
イワンは無感情に話すが、それゆえに、本気でそれを行うつもりだという意思が感じられたからだ。イワンは続ける。
「君たち、旧政府軍はしぶとい。いや、セルゲイ。君が強すぎる。
君の強さゆえに、我がアッシアは負けることはなくとも、旧政府軍を完全に制圧するまで、あと何年かかかってしまうだろう。
だが、私はこれ以上の時間を割きたくないのだ。だから、君たちがこれ以上、抵抗するならばアニアルークの全土を焼いてしまおうと思っている。
人一人残さず、すべてを燃やすつもりだ」
「そんなことが……」
「可能だ」
否定しようとするアルバロノドフを遮るイワン。
「君も先日の首都奪還作戦の際、魔王様の力を見ただろう。魔王様がその気になれば、あれの何十倍という殺戮も容易い。君たち旧政府軍がどれだけ抵抗しても無駄なんだ。しかし……」
とイワンは二人を顔色を伺うためか、言葉を区切った。だが、すぐに話を続けた。
「私もできることなら、人の命は奪いたくはない。大地はもちろん、人も資源だからね。そこで相談だ。セルゲイ、君がアッシアの兵となってくれるなら、アニアルークという地域は、我がアッシアの領土として生かしてやってもいい。だが、断ればその全土が世界地図から消える。文字通り、消えてしまうのだ」
アリーサにして見ると、イワンの話はあまりに突飛で、信じがたいものだった。しかし、からかうために敵の前に姿を現すだろうか。
その行動にどんな意図があるのか、考えれば考えるほど混乱し、最終的には馬鹿馬鹿しいとすら感じた。
が、アルバロノドフは真剣に悩み、アリーサにこんな相談を持ち掛けた。
「どうやってエレナに伝えるべきだろうか。彼女は魔王の恐ろしさを知らない」
「魔王とは、それほど恐ろしい存在なのですか?」
アルバロノドフは頷く。
「今まで、アッシアは他国から取れる資源を目的としていた。だから、土地そのものを消滅させることはなかった。だが、やつがアニアルークを排除すべきただの敵だと判断するのなら、我々はどんなに抵抗したところで、魔王に消されてしまうだろう」
アルバロノドフの話を聞いても、アリーサはイメージできなかった。たった一人が、一国の存続を左右するだろうか、と。しかし、アリーサはただアルバロノドフを肯定した。
「貴方の判断は、いつも私たちを正しい方へ導いてくれました。何があっても、私はセルゲイ様を支持します」
降伏という判断にエレナは激高する。
アリーサも、エレナがアルバロノドフを責め立てる際、その場にいた。
「降伏なんてあり得ない。考え直して、セルゲイ。私たちのアニアルークを取り戻すためには、戦い続けるしかないの!」
アルバロノドフは反論する。
「しかし、私はこれ以上、同胞の死を見ていられない。それどころか、魔王がその気になったら、アニアルークが消えてしまうんだ。私は君も、君が愛する国も、失いたくないんだ……」
「だったら、戦って勝ち取ればいいじゃない! 魔王一人を恐れるなんて、貴方らしくない!」
「君は魔王を知らないんだ。あれが戦場に出てきたら、すべての命は失われる……。私は自由を奪われたとしても、君と歩む人生を道を選びたい。だから、分かってくれ」
「そんなもの……私の幸せではありません!」
アルバロノドフの悲愴な表情に背を向け、エレナは部屋を出ていこうとした。が、最後に振り向くと彼を罵るのだった。
「セルゲイ、貴方は絶対に後悔する。私たちの戦いは、アニアルークの人々に希望を与える、名誉なことだったのに、それを捨てるなんて! 私は戦い続ける。この戦いを終わらせはしない!」
名誉か、とアリーサは心の中で嗤う。あの女にとって、戦いはそのためにあるのだろう。そんな言葉が響くものか。
しかし、アリーサはアルバロノドフの涙に気付く。このとき、アリーサは自分の感情を説明できなかった。怒りのような、呆れのような、切なくもあり、嬉しくもあった。
アリーサはアルバロノドフの横に屈むと、彼の手に自分の手を重ねる。彼は拒絶することなく、涙を流し続けた。
「セルゲイ様、私がお傍にいます。いつ、どんなときも……」
数日後、アルバロノドフのもとを去ったエレナの背を見て、アリーサは思った。理想の青春を共にする日々は貴方に譲ろう。
だが、現実を共に生きる道は、私のものだ。それは、決して貴方に帰ってくるものではない。あの人の最期は、私のものだ、と。
旧政府軍は分裂した。
だが、多くは降伏を受け入れるアルバロノドフに付き従い、アッシアの兵となる。アリーサは副官として、常にアルバロノドフの横に付き添った。
それから、アルバロノドフは多くの国に侵攻した。アッシアの先槍と言うべきか、イワンが侵攻すると決めた国に、真っ先に乗り込むのはアルバロノドフだった。
「私は間違っていない。こうすることで、アニアルークを守っている。エレナを……守っている」
アニアルークの隣国。
その街並みが燃える様を見つめながら、アルバロノドフは自分に言い聞かせた。
「セルゲイ、心配しないで。みんなも、貴方の気持ちを分かっているから」
アリーサの言葉に、セルゲイは頷いた。
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