――― プロローグ ―――
十年前、アッシア。旧アニアルーク地区。
セルゲイは、かつてアニアルークの首都とされていた街から、少し離れた場所にいた。首都を取り戻すための戦い。その攻撃拠点で、古くから共に戦ってきたワジムと作戦の最終チェックを行っていた。
「……ついに、首都を取り返せる」
セルゲイの呟きに、ワジムが顔を上げた。
アニアルークがアッシアに占領されてから十年。長い戦いだったが、国の象徴と言える街を取り戻せると思うと、セルゲイは高揚を抑えられない。
しかし、ワジムの瞳には、それがなかった。
「長かったな」
ワジムは短く答えるだけで、すぐに資料に目を落とした。
「何か不安があるのか?」
セルゲイの質問に、ワジムは再び視線を上げる。数秒、沈黙があったが、彼はセルゲイが想像もしなかった話を始めた。
「セルゲイ、もし私が命を落としたら……アリーサを頼れ」
「どうした、ワジム。何を弱気になっているんだ。しかも、アリーサだって?」
まだ子供ではないか。
そう言い返そうとするセルゲイだったが、ワジムは二度頷いた。
「あいつに、お前を補佐するためのすべてを叩き込んだつもりだ。俺がいなくなっても、お前の部隊は今まで通りに動く」
ワジムの目は真剣そのもので、強い意志を感じた。だから、セルゲイは理解した、という意味を込めて二度頷く。
「分かった。だが、お前が生き残れば良いだけの話だ。必ずこの戦いに勝ち、アニアルーク解放を二人で祝おう」
「……そうだな」
ワジムがやっと微笑みを浮かべた。
しかし、それはすぐに消えて、どこか憐れむような表情へ変わったことに、セルゲイは気付かなかった。
なぜなら、セルゲイは残してきた女のことを考えていたからだ。
最近は言い争いが増えてきたが、ここで首都を取り戻せば、かつての自分たちのように穏やかな関係に戻るはずだ、と。
すると、拠点基地が激しく揺れた。
「地震か?」
揺れはすぐに収まったが、どこか嫌な感じだった。セルゲイとワジムは目を合わせると、すぐに外へ出た。
外は、二人と同じように不信を感じて出てきた仲間たちがいた。そして、誰もが夜空を見上げたまま、動かない。
「……あれは?」
セルゲイも、夜空に奇妙な輝きがあると気付き、目を凝らす。
それは、黄色い光だった。
まるで、巨大な向日葵が花を咲かせたように、光が広がっている。どれくらいの大きさなのだろうか。距離感もいまいち分からないが、かなり大きいことは確かだ。
「ま、魔王だ」
呟いたのは、隣にいるワジムだった。
「魔王? あれが?」
アッシアの魔王。
話は聞いている。だが、あれは光だ。人間ではないはず。
しかし、ワジムは言った。
「俺は前の戦いでも、魔王がきて部隊を絶滅させられたから知っている。あれは魔王だ! この距離でもまずいぞ。撤退しよう!」
「しかし、首都奪還作戦はどうする?」
それは遠い場所で輝く光でしかなかった。何らかの兵器なのかもしれないが、もう少しあの美しい輝きを眺めていたい。そんな風に思わせる、ただの光だ。
それなのにワジムは慌てていた。たくさんの修羅場を共に潜り抜けてきたワジムが、落ち着きを失い、ただ逃げることを主張している。
「魔王が出てきた時点で、作戦は失敗だ。早く逃げるぞ!」
「だから、何を言っている。首都を奪還できるチャンスを逃すわけにはいかない!」
「お前は魔王を知らないから、そんなことが言える。何度も話しただろう。魔王を見たら、一目散に逃げるべきだと!」
アッシアがアニアルークに侵攻を開始した日、ワジムが前線で戦い、魔王を見たという話は何度も聞かされている。だが、大袈裟に語られるその話は、若い兵士を驚かせるための、冗談程度にしか思っていなかった。
すると、周囲が熱に包まれた、ような気がした。
「セルゲイ、危ない!」
突然、目の前のワジムがセルゲイを突き飛ばした。
「何をする、ワジム!」
声をかけた瞬間、ワジムが空を見上げながら、驚愕の表情を浮かべた。すると、まばゆい光がセルゲイの視界を覆った。
「え?」
それは、光の柱……というべきだろうか。地を裂くように移動する、光の柱がワジムを飲み込んだのだのだ。ワジムの名を呼ぼうとしたが、地面が酷く揺れ、セルゲイは立つこともままならなかった。
まぶしい、と感じた瞬間、彼の意識は途切れてしまった。
目覚めると、セルゲイは病院だった。多くの仲間たちが、この病院に運び込まれたらしい。そして、ワジムだけでなく、あの基地にいた多くの仲間が、光の柱によって消滅したと知る。そして、その光が魔王というたった一つの存在から放たれた、という事実も。
こうして、彼は祖国を取り戻す戦いに敗れたのだった。
そして、現在。
アッシア、首都ワクソーム。ワクソーム城、謁見室。
「オクトを攻める。先鋒は君だ、セルゲイ」
「承知しました、イワン殿」
アッシアの首相、イワンの前で膝を付くセルゲイ。わずかに顎を挙げ、スーツ姿のイワンの顔を窺う。相変わらず、表情はなく、なぜオクトを攻めると決断したのか、想像もできない。そして、その奥の様子も窺った。
広い謁見室の最奥には、御簾がかかっている。その奥からは、確かに人の気配があった。
「魔王様も君に期待している、とのことだ」
「必ずやその期待にお応えします」
イワンの言葉に再び床に視線を落とした。
魔王はそこにいる。
そこに座って、こちらを見ている。
祖国を奪い、仲間たちを殺した敵が。
今、イワンを退け少し前へ進めば、その首を絞めて殺すこともできる距離だ。しかし、セルゲイは目を伏せて自制するしかない。
「では、行って参ります」
イワンに一礼し、謁見室を出た。歩きながら、セルゲイは考える。
魔王がいる限り、他国を滅ぼす戦争を繰り返さなければならない。魔王とイワンがこの世界を蹂躙するまで、戦争は終わらないのだから。
だとしたら、自分は一刻も早く戦争を終わらせるため、魔王に従わなければならない。大切なものを、守るためにも。
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