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第六章(6)

 

 

 休んでてください――と皆に断わられ。

 アリーシェは、どの作業からも締め出しを食らっていた。

 といっても別に意地悪をされているわけではない。単純に心労をいたわってくれているのだ。

 せめてこういう時くらい休んでいてください、と。彼らなりの気遣いであろう。

 しかし困ったことに、なにか作業をしていたほうが落ち着く性分なのだ。なにもすることがないとなると、逆にそわそわとしてしまう。

 なのでアリーシェは仕方なく、皆が片付けに勤しんでいる集会所のかたわらで、馬車馬たちにエサを与えていた。

「…………」

 が、あくまで仕方なくやっているだけだ。実のところ、気持ちの良いものではない。

 こうして動物に囲まれるという状況は、なんとなく嫌いなのだ。

 ……いや、なんとなく、ではない。理由はわかっている。

 どうしても過去を思い出してしまうからだ。

 振り切ったはずの日々を、どうしようもなく思い起こしてしまう。

 ということはきっと、完全には振り切れていないのだろう。自分ではそう思っていても、心のどこかではまだ執着しているのかもしれない。

 あの日の――あの出来事を。

 笑ってしまうほど昔のことだというのに。

「……リフィクくん?」

 陰鬱としかけたアリーシェの意識を戻したのは、リフィク・セントランの姿だった。

 集会所の中にも入らず、所在なげにうろうろとしている。

 まるで少し前の自分だなと思い、アリーシェは彼へと歩み寄った。

 

「中のお手伝いをしようとしたんですが、なんだか追い出されてしまって……」

 どうしたの? という問いに、リフィクは苦笑いしながらそう答えた。

 まぁ、無理もないだろうか。

 基本的に力仕事だ。見るからに華奢な彼があまり役に立つとは思えない。

「それで馬の世話でもしようかと思ったら、それはアリーシェさんがやられていたので。どうしたものかと」

「こっそり休んでいたら?」

「皆さんが働いてるのに、そういうわけにも……。それに、なにかしていたほうが落ち着くので」

 アリーシェは思わずクスリと笑って、「じゃあ」とエサの入った袋を手渡した。

「代わりにやっていてもらえる?」

「はっ、はい」

 リフィクはどこかホッとしたような表情で、それを受け取った。

 

 そういえば、たしかにリフィクは華奢である。体質と言ってしまえばそれまでなのだが、普通、旅をしていれば自然と筋力もついてくるものではないのだろうか。

「たしかエリスさんたちと出会う前も、旅をしていたのよね?」

 アリーシェはなんとなくそんなことが気になり、馬たちにエサをやる彼へと問いかけてみた。

「なんのための旅だったの?」

 リフィクの肩がピクリと動く。まるで、うっかり傷口に触れてしまったように。

「それは…………」

「それは?」

 沈黙が一秒、二秒と続く。

 なにかのためらいを振り切って、リフィクは答えた。

「……暮らせる場所を、探していたんです」

 ためらったにしてはわりと平凡な理由である。

「町ということ?」

「えぇ、まぁ。生きにくい世の中なので……どこか平和に、穏やかに暮らせるところをと思って」

 平凡というよりは、万人共通の、といったほうが正しいだろうか。

 今の世界に不満の無い人間などいない。それに抗う方法としてアリーシェは剣を取り、彼は探求の道を選んだ。

 根差すところは言わば同じである。

「でも、見つからなかったのね」

 アリーシェは気の毒がるように呟く。

 誰しもが求め、欲しているものだ。そう簡単に見つかりはしないだろう。

「はい……。そんな旅を続けていた時に、成り行きからエーツェルさんたちと出会って」

 彼らが出会った経緯については、以前簡単に聞いたことがあった。エリスとレクトの故郷の村に『モンスター』の襲撃があり、それをリフィクが手助けして撃退したのだとか。

「最初のうちは、エーツェルさんたちと一緒に行くついでに『それ』を見つけられれば、と思ってましたけど」

 リフィクの口調が少し明るくなる。

「でも今は、もうそういう考えはなくなりました」

「あきらめたの?」

「あきらめたというか……必要なくなったんです」

 そして、はにかんだような笑顔を見せた。

「エーツェルさんや、アリーシェさん、それからハー……いえ、みっ、皆さんが目的を達成できた時は、今よりは暮らしやすい世界になっているかもしれない、と思って。だから僕も、そのお手伝いができればと考えるようになったんです」

 あるかわからないものを探すよりはそっちのほうが早い、というふうに。

 アリーシェは、ふと彼と出会った頃のことを思い出す。

 当初の彼は、戦闘に関してかなり消極的だった。それでよくエリスにどやされていたものだ。

 しかし最近は、特にそういうようなことはない。

 心境が変化した表れということなのだろうか。

「そうね。暮らしやすい世界を勝ち取る、それを目指してみんな戦っているわ」

 アリーシェは表情をゆるませる。

 正義感や使命感といった言葉に置き換えられているのかもしれないが、シンプルに言うとそういうことなのだ。

 自分の暮らしやすい世界。みんなの暮らしやすい世界。それを手に入れるためには、『モンスターキング』を倒す必要がある。

 そして、悪しき血を流しつくす必要がある。一滴残らずだ。

「そのためには、リフィクくん、あなたの力も必要よ」

 頼りにしている、とアリーシェが言う。

「はい」

 リフィクは頑張ってみます、とうなずいてみせた。

 

    ◆

 

 半日たっぷりと休息を味わった一行は、次の朝『レジェーノ』をあとにした。

 ここから先は、もう敵地である。

 人間の住まう土地はなく、『モンスターキング』の領地に足を踏み入れる。

 全員が、その覚悟を決めていた。

 しかし三日後、肩すかしを食らうことになる。

 

 山脈のあいだを縫うように針路を取る一行は、深い森の中を進んでいた。

 むろん往来などないため道らしい道もなく、木と緑に囲まれた中を、方角だけを頼りに歩んでいく。

 奥へ奥へと。

 そして、先へ先へと。

 人はともかく馬車が通れるところは限られてくるので、さらにそこでも迂回を余儀なくされた。

 『レジェーノ』を発って三日目の、ある時。

 一行のあいだに、小さなざわめきが起こっていた。

 

「村があった?」

 ざわめきの原因を耳に入れたアリーシェは、聞き返しながら馬車の荷台を降りた。

 現在、皆の進行は完全にストップしている。予期せぬところの予期せぬ遭遇に、困惑してしまっているのだろうか。

「そのようで」

 と、報告に来た若い団員が答える。

「偵察から戻った者の言葉では、ちゃんと人も暮らしているらしく。『モンスター』の姿も見えなかったと」

「そう……」

 アリーシェは、頭の中に周辺の地図を思い浮かべてみる。

 何度も確認したからたしかなことだが、この森の中に人里はなかったはずだ。

 それは断言できる。

 しかしよくよく考えれば、こんな奥地だ。小さな村なら地図を作った者とて見落とてしまうだろう。

 あるいは、この地図が作られたあとにその村が作られたのか。

 どちらにしろ、あったところで特別困るということはない。

 あるとすれば、立ち寄るかどうか、という選択だけだろう。

 だから皆も進行を止め、アリーシェに判断をあおぎに来たのだ。

「それなら、寄らせてもらえれば助かるわね。私が交渉してみるわ」

 こういう奥地にある、外との交流が希薄そうな村は、えてして排他的な場合が多い。先の『レジェーノ』のような厚遇は稀なのだ。

 アリーシェは団員のあとについて、列の先へと急いだ。

 

 通り過ぎるアリーシェ。その背中を見ながら、

「ほらな、結局行くんじゃねーか」

 とエリスはわずらわしそうに呟いた。

 いちいちアリーシェにおうかがいを立てにいく彼らに、多少のもどかしさを感じなくもない。

 とはいえ集団行動においては重要なことだ。皆が皆エリスと同じ考えなら、三日と経たずに空中分解していることだろう。

「だから構うこたぁないって言ったのに。なぁ?」

 横にいたリフィクに同意を求める。

「…………」

 しかし彼の返答は無言だった。

 答えに迷った、というふうではない。むしろエリスの声など耳に入っておらず、思い詰めるようにうつむいている、といった様子だ。

「……おいっ!」

「わぁっ!?」

 エリスが尻をひっぱたくと、そこでようやくハッとおもてを上げた。

「な、なんですか?」

「なんですかじゃねーよ、ぼーっとして。なんか顔色悪いぞ?」

 つっけんどんながらも、一応は気を遣ってみせるエリスである。

 たしかにどことなく青いようにも思える。

「えっ、いや、僕はずっとこんな顔色ですけど……」

 リフィクは、はは……とごまかすように苦笑った。

「うーん。そうだっけ?」

 エリスは腕を組み、小首をかしげる。

 アリーシェの先導のもと、再び列が動き出した。

 

 

 たしかにそこには、村が存在していた。

 木材を中心に作られた家々は周囲の枝葉や蔓と同化し、森に溶け込んでいるような雰囲気さえ漂わせている。

 天然の迷彩塗装とも言うべきか、意識して見ないと村があると気付けないだろう。

 パッと見ではあるが、かなり小規模のようだった。村というより、集落と呼んだほうが正しいかもしれない。

 一行の先頭が足を踏み入れる頃には、大勢の住人が集まってきていた。

 大勢とはいっても五十人か六十人ほどだろうか。大人から子供、男から女まで、いたって普通の人々が、どよめきながら遠巻きに眺めている。

 中には剣や弓などの武器を手にしている者の姿もあった。

 こう平穏そうな村にいきなり武装集団が押しかけてきたとなれば、警戒されてしまうのも当然だろう。

 下手をすれば侵略者に見えてしまうかもしれない。この村に侵略する価値があるかは別として。

「お騒がせして申し訳ありません!」

 そんな住人たちへ、アリーシェが歩み出る。念のため剣は外してあった。

「こちらに敵意はありません!」

 まず始めに伝えたのはそれである。信じてもらえるかは不明だが。

「旅の道中、人里らしきものを見つけたので、よかったら休ませてもらえればと、立ち寄らせていただきました」

 無用な刺激を与えないようゆっくりと、そしてはっきりとした口調で告げる。

 住人たちのどよめきが大きくなった気がした。

 そんな住人たちのあいだから、アリーシェと同じようにひとりの男性が歩み出る。

 年は五十から六十といったところだろうか。力強い足取りで、アリーシェの前まで来て立ち止まる。

 その手には、サヤに収まった短剣が握られていた。

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