第五章(8)
衛兵団においては、無論、レタヴァルフィーに『モンスター』が襲撃してきた場合の戦術も日頃から想定されている。
過去にそのようなことがなかったわけでもない。
しかし早々に見張り塔が陥落させられたのは、まったくの想定外と言うしかなかった。
町をくまなく見渡せる見張り塔――正式にはヴァルガスタワー ――は、言うまでもなく戦いの要なのである。
それが倒され、あまつさえ町の被害を増大させたとあっては、悔やんでも悔やみきれない。
そのショックを強い怒りに変え、しかし逆上はせずに冷静さを保っていられるのが、フェリックス・ムーアの資質なのかもしれなかった。
衛兵団拠点の正面入り口前。じかに戦闘の空気を感じられるその場所で、フェリックスは全体の指揮を取っていた。
見上げれば、今にも『魔術』が飛んできそうな距離に『モンスター』の最前線がある。
だが彼は、兵卒であった頃はもっと間近で『モンスター』と向かい合っていたのだ。これくらいの距離があれば、逆に安心するというものである。
フェリックスのもとへは、ひっきりなしに伝令兵がやってきている。
各隊の動向と状況をつぶさに把握し、瞬時に的確な指示を出す。その繰り返しだ。
「敵の動きを制しろ! 包囲網を狭めて各個撃破だ! 勝てぬ数ではあるまい!」
「加勢している民間人をあまり前に出すな! 我々の名折れだぞ!」
「塔が倒れた先はどうなっているか! 手が足りないならビクトル隊とイグリーツ隊も出せ!」
自分たちの町が戦場になっているという状況は、兵士たちの精神に少なからず動揺を生み出させる。しかしフェリックスの素早く厳重な指示が、そんな動揺を打ち消していた。
「兵団長ーっ!」
そこへまたひとり、伝令兵が彼のもとへと駆け寄ってくる。
その兵はひどく焦り、わめくような声を出していた。
本来ならば、伝令兵として失格である。報告を冷静に、そして正確に届けるというのが彼らの任務であるからだ。
しかし彼の持ってきた報告を聞いた瞬間。フェリックスの頭から、彼の態度を咎めようという気分は即座にどこかへ弾き飛ばされた。
「サクストン隊よりっ……! 町の東側に、新たな『モンスター』の群れが現れたと!」
◆
見張り塔が無事であったなら、もっと早くに『彼ら』の接近に気付いていたことだろう。
だが衛兵団は俯瞰の目を失い、西のジェラルディーネの一派へ意識を集中させていた。
故に後方となる東が死角となってしまっていたのも、やむを得ないといったところだろうか。
しかし事態は、『やむを得ない』で済む領域をはるかに通り過ぎている。
獅子を思わせる風貌の『モンスター』、ドレッド・オー。そして彼をひと回りスケールダウンしたような、彼の手下たち。総勢四十体あまりの群れが、巨大な門を突き破ってレタヴァルフィーへと踏み込んでいた。
本来は守衛として門にいる兵たちも、西側の迎撃や住人の避難救助のために駆り出されていて、今はどこにはその姿はなかった。
立ち向かう者がいないのをいいことに、『モンスター』たちは、手当たり次第に町を破壊している。
武器などは持たず、腕力のみでそれを行なっているのだ。
その筆頭が、『ボス』のドレッドである。
同じ『ボス』でも後方で優雅に構えているジェラルディーネとは正反対に、彼は手下の誰よりも前に出て暴力という名の嵐を巻き起こしていた。
石材で建てられた家をもたやすく粉砕し、中に隠れていた人間を引きずり出し、その膂力をもって肉塊に変える。
圧倒的な暴風は、見る間に東の区域を廃墟へと塗り替えていった。
「脆弱の極み!」
ドレッドが吼える。
「我が友を損耗させた力、まだ見えぬぞ!」
嘲弄と誇示のまざった叫び。それは、聞く人間たちを腹の底から震わせるほどの恐ろしさを含んでいた。
「同族たちよ! 己の身のほどを、人間どもに思い知らせてやれ!!」
それに呼応するべく、幾重もの雄叫びが砂煙の舞う町並みに響き渡った。
衛兵たちが東の戦場に到着した時には、すでに原型を留めている建物のほうが少なかった。
ガレキの山。人々の惨死体。そして、地面に流れる赤い川。
見慣れたはずの町並みは、その姿をすっかりと豹変させていた。
その光景に息を呑む兵がいる。おののく兵もいる。しかしじわじわと湧いてくる怒りは、彼らの闘争心をさらに高揚させた。
拠点より派遣されたのは、救助目的の隊をのぞいて五個小隊。巨大な『モンスター』を相手にするための、大型の武器を持った兵士がよく目につく。
そんな衛兵たちにまざって、とある四人の男も、東側の敵へと急いでいた。
あざやかに輝く銀色の武器と防具を身につけた、知る人ぞ知る戦士たち。
その名は『銀影騎士団』だ。
「別種の『モンスター』が、手を組んでいる……!?」
ふた振りのロングソードを両手に持ったクレイグが、敵の姿を目にして眉根を寄せた。
西にいる有翼種と東の獅子に似た『モンスター』は、明らかに別々の種族だ。
奴らのひとつの群れは、基本的には同じ種族だけで構成されている。別の種族がまざっていることなど、クレイグは見たことがなかった。
まさか別々の群れがまったくの偶然で同時に襲ってきた、ということもあるまい。
「あるんですか? そんなことは」
歴戦のファビアンへと、投げかける。
「なくはないが……めずらしいな」
ツーハンデッドソードを担ぐファビアンも、険しい顔をして答えた。
どちらにしろ、敵の総勢が未知数というのは厄介なことだ。パターンであるならば、ある程度の予測はつくのだが……。
ベッカー兄弟を含めた四人の視線の先には、まさしく嵐のように暴れる『ボス』の姿が見て取れた。
遠くからでも、その強大さが伝わってくる。
「オレたちで『ボス』の相手をするぞ! 腕の見せどころだ!」
ファビアンが、自然と皆の指揮を執る。
「兄弟、建物はほとんど残っちゃいない! 構わず先手を叩き込んでやれ!」
「了解!」
ダニーとデニスの兄弟が、声をそろえて応え、その場で足を止めた。
そしてふたり同時に『魔術』を放つ。 ツララにも似た氷の槍が、雨のごとく無数に『モンスター』の群れへと降り注いだ。
◆
矢の命中率が芳しくないのは、なにも精神的な問題だけではない……と、レクトは感じていた。
先ほどと比べると、ずいぶんと冷静でいられている自負がある。しかし放つ矢の精度は、決して良いとは言えなかった。
せいぜい、かすめるのがいいところだ。
それは何故かと考える。ふと視野を広げ、辺りを見回してみると、その答えは簡単に思いついた。
数いる衛兵たちが放つ矢でさえ、さほど命中していないのだ。大量に放たれているわりに、あまりに外れすぎている。
レクトは試しに、建物の屋根の上にある風見鶏を狙ってみた。
鋭く飛んだ矢は、狙い通りに風見鶏の頭の部分を射抜く。やはり、弓の精度自体には問題がない。
問題なのは……『モンスター』の動きのほうか。
「…………」
レクトは手を下ろし、『モンスター』たちの挙動を注意深く観察した。
「おい、どうした?」
攻撃をパタリと止めたレクトへ、ザットが疑問を投げかける。
しかし、構わない。
『モンスター』らの回避能力は、見事というほどにあざやかだった。
あらゆる方向から飛来する矢や『魔術』を、まるで全身に目がついているかのように反応し、かわしているのだ。
いや、見ているというよりも、感じているのだろうか。恐らく……空気の流れを。
レクトはそう見当をつける。
たとえば矢が飛ぶことによって発生する風の乱れを、あの大きな羽全体で感じ取り、受け流すように回避する。
あまりに自然にそれを行なっているので、今の今まで気がつかなかったのだ。
しかし頭を冷やして、こうして注視をすれば明白。なんてことはない。
種を見抜くことができれば、対応策も考えられる。
すなわち奴らの回避軌道を上回る攻撃か、奴らが反応するよりも速く攻撃をすればいいのだ。
レクトは、自分にも可能なことは……と頭を回す。
「……あれなら」
ひとつ、あった。
奴らが避けるよりも、恐らく速く攻撃できるものが。
しかし……と、ためらうレクトだった。
『それ』は、まだ実戦で使ったことがないのだ。
鍛錬は積んでいる。完成度としても、少しは自信がある。
だが、不安が伴うのも事実だ。
その不安を、こんな状況でさらしてしまっていいものだろうか、と。
迷うレクトである。
「ぜぇやぁぁっ!」
すぐ背後で、ザットから気合いの声が発せられた。
地上近くまで降下してきた『モンスター』を、体術で撃退したのだ。
「……あいつならば……迷わない」
腹を決めたのは、そんな思考に至ったからだ。
どの道、このままの状況を維持していても好転はしない。自ら転んでいかなければ、好転はしないのだ。
きっと『彼女』ならば、迷わず転ぶだろう。良くなろうが悪くなろうが、恐れず転ぶ。そして、状況を打開する。
いま必要なのは、そんな行動なのだ。
「レクト・レイドが貫く……!」
レクトは再び弓を構える。矢を引き、正確に狙いを定める。
そしてその矢に、すべての意識を集中し始めた。
強く、イメージする。敵を貫く光景を。その手段を。
次の瞬間。矢がスパークを散らしながら、まばゆいばかりの光をまとった。
まるで稲妻が手中にあるかのような輝きである。
『魔術』の力を、矢へと注入したのだ。原理としてはエリスの得意技と同じことになる。
「貫け……!」
レクトの目は、まっすぐに一体の敵をとらえている。
なにやら気配を感じ取ったのか、その『モンスター』が、不意にレクトのほうへと振り返った。
だが遅い。
「レールストレート!」
レクトは指を放す。
光に包まれた矢は、まさしく光に迫るような速度で、『モンスター』を正面から貫いた。
それを見ていたザットが、短く口笛を鳴らす。
「よしっ!」
レクトは心の中で、強く両の拳を握った。
レクトの放った一撃は、周囲の『モンスター』たちに少なからず動揺を及ぼした。
予期せぬところから湧いて出た攻撃に、仲間がやられた。それはいったいどんな攻撃なのかと、つい意識をそちらに向けてしまったのだ。
動揺は、判断も行動をも鈍らせる。
衛兵たちはそこを見逃さず、ここぞとばかりに攻撃を集中させた。
無数の矢、そして『魔術』が空を塗りつぶす。
一挙に、多くの『モンスター』が地面にうち落とされた。
「狙いすまして……スラッシュショット!」
パルヴィーが、ショートソードを空中に払う。切っ先から射出された衝撃波が、飛行する『モンスター』の片羽をうち抜いた。
浮力を失った『モンスター』が、もがきながらも高度を下げる。
「はぁぁっ!」
そこへすかさず飛び込んだラドニスが、ロングソードを横一文字に走らせた。
大量の紫紺の血が、地面にまき散らされる。
「グラヴィティホールド!」
その後方では。
ふたりに背を向けるように立つアリーシェが、『魔術』で正面に高重力場を発生させていた。
その上空にいた『モンスター』が、まるで全身に重りをつけられかのように急速で落下する。地面に打ちつけられ、うつ伏せのまま、縛られたようにその場から動けなくなった。
アリーシェ自ら、そこに走り込む。
そして逆手に持ち替えた剣を、その『モンスター』の胸へと突き立てた。
すぐさまアリーシェは、次の目標はどこかと、空を振り仰ぐ。
「……!」
その時。
正面の建物の、その向こう側。
まるで流星のような光が、尾を引きながら、逆に地上から上空へと打ち上げられていた。
「あれは……」
アリーシェは眉を上げる。見覚えのある、光条だった。
「レクトくんだっ!」
とパルヴィーが、同じものを見たらしく背後から弾んだ声を上げた。
それを聞いて、アリーシェも光景と記憶とを結びつける。
「そう、あの技を……」
前々から彼が練習していた技だ。アリーシェも、『魔術』の扱いについて何度かアドバイスをしたことがある。
しかし記憶が確かなら、あの技はまだ実戦で使ったことがないはずだ。
この非常時に、試したのだろうか。……いや、非常時だからこそ、使わざるを得なかったということか。
なんにせよ、あの光が放たれた近くにレクトがいる可能性が高い。
ならば行動は決まっている。
「行くわよ!」
アリーシェの号令と共に、三人は素早くその場から走り出した。




