第五章(5)
宿屋『コンフォータブル・ベッド』は、なかなかの豪華さを誇っていた。
三階建ての二階と三階が客室にあてられ、一階部分には受付を始め、食堂を兼ねた酒場、浴場、サロン、遊戯場などが揃っている。
名前の通り、いかに快適さを提供するのかがこの宿の方針なのだろうか。
アリーシェとラドニスは、レストランの長テーブルについていた。
ちょうど昼食時と重なったためか、周囲にも客は多い。ふたりはそれぞれ、ミートパイと紅茶を注文した。
「まず紹介しておこう」
対面に座るファビアンが、隣のふたりの男を指して切り出す。
どちらも二十代の後半ほどで、どことなく似た顔つきをしていた。
「こっちがダニー・ベッカー。それでそっちが、弟のデニスだ。俺たちのあいだじゃあベッカー兄弟で通っている」
兄弟ならば、なるほど似ているはずである。
折り目正しくあいさつをするベッカー兄弟。アリーシェとラドニスも、それに返した。
「応えくれて嬉しいわ」
アリーシェは、ファビアンとは十年来の知り合いであるが、この兄弟とは初対面だった。恐らくラドニスも同じであろう。
「今は、私たちの他には四人と聞いていたけど」
アリーシェが三人の顔を見ながら訊ねる。もうひとりはどこにいるのだろうか、と。
「ああ、あとはクレイグっていう若造だ。俺は、ここに来てから初めて会った奴だが……」
答えたファビアンは、今はどこかに出かけているらしい、と付け加える。
「クレイグ……クルシフィクス?」
アリーシェは額に指を当てて、頭の中からその名前を探り当てた。
「そう、あの彼ね。一度だけ一緒になったことがあるわ」
銀影騎士団のメンバーは、基本的にはふたりから四人が一組となって活動している。しかし相手にする『モンスター』が強敵だと判断された場合は、近くにいる仲間に協力を要請することがあるのだ。
クレイグ・クルシフィクスとはおよそ一年前、そんな事情で共闘したことがあった。
「おっ……噂をすればってやつか」
と、そんな時。ファビアンが、アリーシェの背後を見ながら大きく口角を上げた。
そして立ち上がり、「おーい!」と大声を出して手を振り出す。
レストランのスペースとエントランスには明確な間仕切りがないため、テーブルに座ったままでも宿に入ってくる人間が見て取れた。
アリーシェも振り返り、玄関に立つその二名の姿を目に収める。
「……パルヴィー?」
あまりに見知った顔があったために、思わず疑問符が口に出てしまった。
「アリーシェ様……!? どうしてここに?」
パルヴィーは目と口を大きく開けながら、皆の並ぶテーブルへと小走りに寄った。
「それは、あなたこそよ」
予定外の顔合わせに、つい笑みをこぼしてしまうアリーシェである。
「エリスさんを捜していたんじゃないの?」
「えーと、その途中で、たまたまクレイグに会って」
パルヴィーは、隣に立つ彼を横目に見る。同じように視線を向けたアリーシェに、クレイグは目礼をした。
「それで、もしよかったらみんなにも捜すのを手伝ってもらおうかと思って……」
みんな、とは、まさしくこのテーブルに集まるみんなである。
「なるほど。それは名案ね」
アリーシェは合点がいったという顔をしてから、すまなそうに眉根を寄せた。
「だけど私たちも今きたところだから、まだ少し時間がかかるわ。……お昼はもう食べた?」
「まだですけど、まだ大丈夫です」
パルヴィーは少しだけ考えたあと、「じゃあ」と半身を返す。
「それまでわたし、この近くで捜してます」
そして言い残し、せわしなく宿屋を出ていった。
ラドニス以外の三人は、事情がわからず不明瞭な顔をしていた。
「なにか困りごとか?」
パルヴィーの背中を見届けて、訊ねるファビアン。
アリーシェは、「あとで説明するわ」とだけ伝えておいた。
なんとなくあいさつをするタイミングを失っていたクレイグが、皆と同じようにテーブルにつく。そして改めて、アリーシェとラドニスに向き直った。
「お久しぶりです、ミズ・ステイシー。ミスター・ラドニス。無事でおられて。いつぞやはお世話になりました」
「ええ、あなたも。クレイグ。集まってくれてありがとう」
「とんでもない。俺、いや、私は、ミズ・ステイシーの決断に感銘を受けました」
アリーシェに熱意のこもった瞳を向けるクレイグ。他の者は、なにやら眼中から外されているような気がした。
「銀影騎士団の総力を挙げて『モンスターキング』を打倒すると……その覚悟は、相応のものがあったのでしょう」
「ええ……そうね」
そんな熟視に、若干の戸惑いを感じるアリーシェだった。
たしかに決めたのはアリーシェ自身であるが、発端からそうであるかと言えばそうではない。
エリス・エーツェルというきっかけがあったのは紛れもない事実だ。
今の状況は、彼女との出会いがあればこそなのである。
アリーシェは、それを皆に言うべきかどうかに迷っていた。
無論、言うなら言うで構わない。しかしその当人が、今は行方不明になってしまっているのだ。
もしそのことが少なからず士気に関わるなら……と思うと、うかつに口には出せなかった。
そんな、自ら出鼻をくじくようなことは。
「この件の提案者である同志アリーシェに……核心から聞かせてもらいます」
ベッカー兄弟の兄ダニーも、真剣な眼差しをアリーシェへと注いだ。
「『モンスターキング』を討つ。その勝算は、いかほどあるのですか?」
「……勝算があると、断言はできないわ」
アリーシェは、素直に胸のうちを告白することにした。
「『モンスターキング』の力というものを、自分の目で見たわけじゃないから。結局のところ推測でしかないけれど……」
勝算の見えない戦いに誰がついてくるのか、という不安はあったが、そこでウソをついていても仕方がない。
まずは自分の思いを理解してもらおうと、アリーシェは熟視を皆へと返した。
「私たちは、三人四人のチームでも、『モンスター』の群れと渡り合うことができるわ。それをするだけの技術と、戦い方を心得ている」
無論、それは相手にもよる。だが銀影騎士団が今日まで存在しているということが、その実績を表しているのだ。
「『モンスターキング』というのは、並み居る『モンスター』の頂点に立つ者。その力は絶大でしょうけど……私たちが力を合わせて、死力を尽くせば、対抗できると信じているわ」
アリーシェのそんな言葉も、もしかしたらエリスの影響を受けてのものかもしれない。
完全には理屈を伴っていない肯定的思考。しかしこれからやろうとしていることは、道理で計れる程度を超越しているのだ。
それくらいの鼓舞をしなくては、道筋すら見えてこない。
「倒さなければ、今の状況は何も変わらない。『モンスター』の暴虐が許され、無為な人々が泣き暮らす……」
多くの人間。銀影騎士団にて戦っている者たちでも、今の状況で妥協している者がほとんどだろう。少し前のアリーシェも同じであった。ただそれ以上の悪化を防ぐために、というのがせいぜいだ。
「そんな世界は、もう終わりにするべきなのよ」
自分の考え方を一変させた人物。その彼女が何故今はいないのか……と、もどかしさを募らせるアリーシェだった。
周囲の面々は、真剣な様子でアリーシェの言葉に聞き入っている。
「それに……」
と次の言葉を言いかけて、アリーシェは一瞬だけためらった。
これは言うべきかどうか……。
だが命を共有することになる同志には、どうしても聞いておいてもらいたいことでもあった。
「それに、たとえ私たちが『モンスターキング』に敗れて、倒れたとしても……『キング』に立ち向かった人間がいたという事実は、のちの時代にも残るはずよ」
アリーシェの知る限り、『モンスターキング』に人間が挑んだという前例はない。
自分たちが、その前例を作るための戦いでもあるのだ。
「散ったとしても種となる。いつになるかはわからないけど、その種子は、必ず花を結ぶ……そう信じたいの」
もしこの場にエリスがいたなら、やる前から負けた時のことを考えてどうするのだと、そういうようなことを言ったであろう。
だがこの場に集う彼らにとって、その言葉はなによりも励みになった。
たとえ勝ち目が見えずとも。負けようとも。無駄死ににはならないということなのだ。
安心感である。戦士として死ぬことは常日頃から覚悟ができているが、最も避けたいのが、徒花となることだ。
なんのためでもない死。
どうせ死ぬのなら、なにかの役に立って死にたい。そう思うのが人情というものだろう。
アリーシェ自身もそう思っているからこそ、このような考えにたどりついたのだ。
「だから……私たちに力を貸してちょうだい」
アリーシェは改めて嘆願し、皆の顔を順に見た。
見つめ返すどの顔も、賛同と敬服の色に染まっていた。
「ミズ・ステイシー……」
憧憬にも似た視線を返すクレイグ。
「もとより、そのつもりだ」
頼もしくうなずくファビアン。
「心得ました。我々の力、あなたと共に」
「あなたと共に」
揃って同意を示すベッカー兄弟。
「……ありがとう」
アリーシェは胸を熱くして、ラドニスと顔を見合わせた。
そして心の中で願う。あとからやって来る同志たちも、彼らのようであってほしい、と。




