第五章(2)
アリーシェたちが『レタヴァルフィー』に到着したのは、昨日のことだった。
しかし大森林を始めとする強行軍が祟ったためか、初日は宿を取って休んだだけで潰してしまったのである。
ようやく二日目から、本格的な行動が開始された。
「私たちは、他の仲間の状況を確認してくるわ」
宿屋に併設された食堂スペース。その一角に座ったアリーシェが、皆を見ながら切り出した。
私たち、にはラドニスも含まれている。今さら言うまでもなく、この町に来た第一の目的はそれだ。
「オレたちは当然、姉御を捜しに出るよな」
それを受けて、ザットも他のメンバーへ目を向けた。
リフィクとレクトが強くうなずく。
こちらも、あえて言うまでもない目的だ。
「パルヴィーはどうする?」
と、アリーシェが確認する。
これまでは別行動も多かったが、今回は銀影騎士団にとってかなり重要な用向きだ。故に一応、たしかめたのである。
「わたしは……みんなと一緒にエリスを捜そうかと」
しかしパルヴィーは、そう答えた。
普段は面倒くさがって別行動を取る彼女だが、どうやら今回はそうではないようだ。
アリーシェとしても、私的な面では共にエリスを捜索したい気分だった。
しかし公的な面が、優先順位が違うと言っている。
えてして、やりたいこととやるべきことは一致しないものなのだ。
「そう、わかったわ。じゃあそっちのことは頼んだわよ」
宿の外でアリーシェとラドニスを見送ったあと、残る四人は少しばかり曇った顔を向け合っていた。
「どうやって捜しましょうか……?」
リフィクが、誰にでもなく訊ねる。
話には聞いていたが、このレタヴァルフィーは予想以上に巨大な町だった。
宿の玄関先に貼られた地図を見てもそれがうかがえる。
おおざっぱに分類すると、北側に面する海に沿って広がる大きな港湾部、東側に造船を始めとする工場区が立ち並び、西側は住宅群、そして南側が大通りからなる商店の多い地区、といったところだろうか。
ちなみ現在地は、南側の地区に属している。
その町を四分割した面積でさえ、恐らくだが普通の町ひとつよりも大きいのだ。
この中からたったひとりの人間を見つけるのは、砂漠で米粒を探すようなものに思えた。
それに加えて、もしかしたらこの町にはいない……という可能性も、充分にある。
しかし全員、そんな可能性など頭から除外していた。
考えていても仕方がないのだ。その考えは行動の妨げになる。いるいないに関わらず、再会するためには行動するしかないのだから。
「手分けして……というふうになりますね」
レクトが、探るような口調でリフィクに答える。
「とりあえず手当たり次第に、エリスを見た人がいないか聞き込みましょう。目立つ奴ですから……。地図を見る限り、この南側の地区が一番人通りが多いはずです」
「じゃあオレは、あっちに行ってみる」
とザットが、勢いをあり余らせて飛び出した。
それがきっかけとなり、他の三人も動き出す。
『世界で最も安全な町』というのが、レタヴァルフィーについての評判だった。
無論それは噂につきものの尾ひれであるため、事実がかなり誇張されている。
とはいえ火のないところに煙は立たず、そう取りざたされるだけの要素があるのも事実だった。
町の周囲にグルリとそびえ立つ、強固な外壁。その存在があるだけで、住人たちはなんとも言えない安心感を覚えることができる。
そして通りのいたるところに立ち、または行き交う鎧姿の男たちも、その安心感の一端を担っているのだろう。
「あれが名高い『衛兵団』というわけね」
無骨なフルプレートを横目にしつつ、アリーシェが独語した。
この町の規模からすれば、その団員数はどれほどのものになるのか。想像もつかない。
石畳の大通りを歩く人々は多いが、道自体も広いため、通行を妨げられるようなことはなかった。
「町並みも変わるものだな」
ラドニスのしみじみとした呟きを耳に入れ、アリーシェは疑問符を口にする。
「以前、来たことが?」
「若い頃にな。……あの店か?」
ラドニスが、前方に見える建物をアゴで指した。
この町にいる『コープメンバー』の情報も事前にいくつか受け取っている。その中のひとつにピッタリとあてはまる店が、そこにあった。
コーヒーハウス『ブラックウッド』は、文字通りコーヒーの専門店である。
品揃えは豊富で、原産地から異なる多種多様なコーヒー類がメニューに載せられている。様々な地方から商人の集まる町ならではの店と言えるだろう。
表の看板には店名をあしらった黒い大きな木が描かれていて、通行人の目を引く。
石材の建物が多いレタヴァルフィーにおいてあえて木造という佇まいも、客に興味を持たせる戦略であろう。
店内は薄暗く、落ち着いた雰囲気がただよっていた。
入って左から正面にかけてL字のカウンターがあり、右手側に丸テーブルが並んでいる。テーブル席の向こうにはささやかなステージがあり、チェリストが優雅な音楽を奏でていた。
客の入りは、まずまずといったところだろうか。
アリーシェとラドニスは、周囲に客のいないカウンター席を選んでイスについた。
「いらっしゃいませ」
接客をしに来た若いボーイに、
「マスターを呼んでいただける?」
とチップを渡してお願いする。
「お待ちを」
ボーイはうやうやしく頭を下げて、カウンターの奥へと入っていった。
店内は音楽にまざって、様々な話し声も飛び交っている。
この手の店は、えてして情報交換の場でもあるのだ。
漁師が魚の穫れ具合を話せば、それを聞いた商人が値段の参考にする。友人知人のよもやま話もあれば、旅人同士が各地の状況を語り合ったりもする。仕事を終えた衛兵たちが、リラックスついでにふと口を滑らせてしまうこともあるだろう。
そんな店のマスターが銀影騎士団の協力者であるなら、情報源としては頼もしいものである。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から、初老とおぼしき男性がアリーシェとラドニスに声をかけた。
白いシャツに黒いサロンエプロン。恰幅の良さは、顔立ちから感じる人柄の良さをさらに引き立てていた。
「クリント・ギブソン?」
アリーシェが、マスターの名前を確認する。
「いかにも」
マスターはうなずいて、ふたりの顔を交互に見た。
知らない客から名指しで呼びつけられたとなれば、なにごとかと気にはなるだろう。
「素敵なレディーとジェントルメン……なにか失礼が?」
こんな場合は大抵がクレームなので、マスターの態度も慎重だった。
その雰囲気を察して、アリーシェが柔和な微笑みを作る。
「いいえ。『シルバーソード』についての話をしたいのだけれど……」
『シルバーソード』とは銀影騎士団を指す隠語だ。それを聞いて、マスターはようやく肩の力を抜いた。
「あぁ、あぁ……。話は聞いている。レタヴァルフィーにようこそ」
カウンター越しに右手が差し出される。
ふたりはそれを順に握りながら、
「アリーシェ・ステイシーです」
「ゼーテン・ラドニスだ」
と自己紹介をした。
「……アリーシェ・ステイシー?」
今後はマスターが、眉を上げて彼女の名前を確認する。
「あのとんでもない話を持ち出した本人か?」
ふたりの前には、湯気を出すコーヒーカップがひとつずつ置かれている。マスターがおすすめで淹れてくれたものだ。濃厚な味わいだが、後味は不思議とさっぱりしている。
音楽と周囲の話し声が隠れみのになっていたため、三人は声をひそめることなく会話ができた。
「今のところ、そちらの他に四人の団員がこの町に入っているそうだ」
マスターは、一見世間話をしているような様子を保っている。それも『コープメンバー』のたしなみなのだろう。
「四人……」
アリーシェは、深く刻みつけるように呟いた。
合流の話が出てから、かなりの急ぎ足でやってきたのだ。今はまだ、そんなものだろう。
とはいえそれでも、ありがたいことには違いない。
「全員、同じ宿に泊まってるそうだ。えーと……」
マスターは適当な紙を取り出し、そこに宿屋の名前と住所を書いていく。
「ここだ。なんならミズ・ステイシーたちもそこに移るといい。その宿のオヤジも『メンバー』だからな。かなり代金を安くしてもらえるはずだ」
たしかに、近いところで集まっていたほうがなにかと都合が良いだろう。
「ありがとう」
アリーシェは丁寧に、その紙を受け取る。
そこには店名と住所だけでなく、簡易な地図まで描かれていた。接客業ならではの気の利かせ方というものだろうか。
銀影騎士団がらみのことは具体的には数がそろってからなので、この場は互いの情報交換のみに留まった。
「『衛兵団』の話も聞かせてもらおうか」
次の話題を、ラドニスが切り出す。
「ああ……」
マスターは返事をしながら、自然に店内を見回した。
やはりおひざ元の話なため、多少は気を遣わざるを得ないのだろう。
「少し前に、兵団長……つまり、トップの人間が変わったんだ。フェリックス・ムーアという人物に。そこから、衛兵団の方針も少し変わってきたらしい」
それ自体は別におかしな話ではない。トップが変われば組織の事情も変わるものだ。
「今までよりも積極的に、周辺の『モンスター』を討伐しに出ているそうだ。忙しくなったと、衛兵がグチっていたよ」
「オーランド様が懸念しているのは、その次のことね?」
『モンスター』を討伐しているのは銀影騎士団も同じだ。それだけならなにも問題はない。
しかし彼らとは、決定的に違う部分があった。
「ああ。自分たちが『モンスター』を次々に倒しているというのを、堂々と宣言しているんだ。この町だけじゃなく、他の町にまで触れ込んでる」
アリーシェとラドニスが、そろって表情を曇らせる。だいたいの事情は知らされていたものの、やはり現地の人間の口から聞きたかった。
「そのおかげで、町の評判が良くはなってる。外から来る人間も増える一方だし、衛兵に志願する者もさらに増えているようだが……」
「状況は、思ったよりもまずそうね」
アリーシェは、ため息をつくように呟いた。 たしかにそういった武勇伝が広まれば、士気が上がったりもするだろう。志願者が増え戦力が高まるのは、なにも悪いことではない。
しかしそれは、言わば諸刃の剣でもあるのだ。
人間たちのあいだに広まっているということは、『モンスター』たちの耳に入るのも時間の問題だ。
彼らからすれば、そんな噂は面白くないだろう。
見くびられているのも同じなのだから。
じきに、その噂の出どころを叩きに動くかもしれない。もしくは仕返しとばかりに、無関係な人間たちに襲いかかるかもしれない。
それは銀影騎士団がもっとも注意を払い、避けようとしていることであった。
戦うことはいい。だが世界は、それだけで回っているのではないのだ。
故に銀影騎士団は、人目の忍んで活動しているのである。
銀の刃をもって人々を影から守る。その名が示す行動理念だ。
表立つことのリスク。衛兵団の彼らも、それはわかっているはずなのだが……。
「上申はしたのよね?」
「ああ。匿名でだが、危険な可能性があると書簡にして出している。しかし、いまだに方針が変わった気配はない」
だから、その衛兵団に直談判しに行こうというのだろう。仲間が集結するのを兼ねて。
「……わかったわ」
アリーシェは事態を把握し、一旦頭の中に保留しておいた。
この問題にしても、進展はもっと仲間が集まってからということになる。数人で行って話を聞いてもらえるなら、もっと早くに解決しているだろう。
「こっちにしても、全部を知ってるというわけじゃない。客の話が情報源だ。もっと深く知りたいなら、他の『メンバー』にも話を聞きに行くといいだろう」
「そうね、そうするわ。ごちそうさま」
アリーシェとラドニスは、空になったカップを残して席を立った。
「あ、それと」
と去り際、アリーシェが思い出したように切り出す。
「女の子をひとり捜しているのだけど……」
「女の子?」
マスターは首をひねる。
「ええ。年は十代の真ん中から少し上で、茶色のショートカット。それから……『涼しそうな格好』をしているはずよ。それとたぶん、剣も持っているはず」
改めて考えると、説明に困る特徴だとアリーシェは思った。
「そして、とても……エキセントリックな印象を受ける子なの。目立つとは思うのだけれど」
マスターは、あまりピンとはきていない様子だった。
「ふむ……なかなか女性のこない店だがね。それらしいのを見かけたら、連絡するよ」
「おねがいします」
「頼む」
アリーシェとラドニスは、そろって彼に頭を下げた。




