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第五章「貫け! レールストレート」(1)

 

 旅人というのは、大抵の場合たくさんの荷物を持っているものだ。

 しかしそうとは思えないほど軽装な少女がひとり、深い森の中を歩いていた。

 とはいえ、軽装にもほどがある。丈の短いタンクトップのシャツにホットパンツという服装は、ところどころが破れたりほつれたりして、さらに露出面積を広げていた。

 荷物といえば剣がひと振りだけ。

 ブラウンのショートカットはつい先ほど水あびをしたばかりのせいか、びしょびしょに濡れたままだった。

 服装は本人の趣味であるが、荷物がないのは、ある種仕方がない。森の途中で仲間とはぐれてしまったからだ。

 彼女がたったひとりでも今日まで来れたのは、川沿いを歩いてきたのと、『自力』で火が起こせたのと、動物を狩れるだけの力を持っていたためだろう。

 そしてなにより、この旅を続ける強い意志があったからだ。

 どれかひとつが欠けていたら、早々にのたれ死んでいたに違いない。

 流れる川の音が変化していくのに気づいて、少女――エリス・エーツェルは、川下のほうを凝視した。

 川の先がバッサリと途切れている。

 そして徐々に水の落ちるような音が大きくなってくれば、それはもう明白だった。

 滝である。

 しかも、かなり高かった。

 壁のように垂直な崖。下の景色は、水しぶきが霧となってかすんで見える。

 ごうごうと流れ落ちる水が、小さな虹を作っていた。

 これを崖下から見れば、さぞや心の打たれる景色であろう。落水の大音量に耐えられれば、の話だが。

「おおっ……!」

 とエリスが感嘆をもらしたのは、下を見たからではない。前を見たからだ。

 彼方に、海が見えた。

 そこから続く地平、草原、街道、そしてこの森の終わりも、すべてがその場所から一望できた。

 森と空以外の景色を見たのは久しぶりである。

 さらに、ますますエリスが喜ぶものも見て取ることができた。

「……あれか?」

 海岸線に、町があった。

 小さく見えるが、ここからも見えるということは、実際はかなりの大きさなはずである。

 森の北。海沿い。大きな町。……条件は合っている。

 方角さえ間違っていなければ、あそこが恐らく目的の場所だろう。

 港町『レタヴァルフィー』。

 皆もそこへ向かったはずだ。無事にたどり着いたのなら、再会できるはずである。

「先に着いちゃうかもな」

 エリスは弾んだ声を上げて再び歩き出した。

 果たして大きな町でどうやって互いを見つけるのかは、まったく考えていなかった。

 

    ◆

 

 エリスと同じように。しかしまったく別の場所から、その町を眺めている瞳があった。

 荒涼な岩山の頂上から見える景色は、海岸線が斜めに走っている。町は爪の先ほどに小さかったが、『彼』の目は、その細部までもを見分けることができた。

 スラリとした長身は、特に胴体と足が際立って細長い。頭頂の両端にある尖った小さな耳、つり上がった目、突き出た鼻と口などは猫を思わせる。

 ただ目元にあるティアーズマークや、全身を覆う薄黄色の毛に混ざった黒い点模様などからすると、『チーター』という表現のほうがより近いだろうか。

 周囲に他の者の姿はない。

 彼は山頂に君臨するように、威風堂々とした立ち姿を見せていた。

 と、そこへ。

「ツァービル・トービー!」

 彼の名を呼びながら、また一体の『モンスター』が背後から歩いて来た。

 見た目的に近しい部分もあるが、まったく別の種族である。

 しなやかだがたくましい四肢に、茶色い体毛。顔の作りはツァービルと似ているが、彼の場合は、顔の周囲を黄金色のたてがみが彩っている。

 その姿は、かの百獣の王を彷彿とさせた。

「幾度となく我と覇権を争い合った、宿敵にして盟友。そのツァービル・トービーが力を貸して欲しいと願うなら、喜んでそれに応えようではないか」

「ドレッド・オー」

 ツァービルは振り向いて、笑顔で友の到着を歓迎した。

「感謝する」

「しかし……意外だな」

 二体が並び立つ。身長はチーターに似たツァービルのほうが高かったが、横幅は、ライオンに似たドレッドが勝っていた。

 どちらも人間と比べるとふた回り以上は大きいが。

「貴公ともあろう者が、人間相手にかみつかれようとはな。笑い話にもならん」

「私は笑ったよ」

 ツァービルは冗談めかして口端を上げたあと、すぐに真顔に戻す。

「……半数の同族を失った」

「そんなにか?」

 予想していた以上だったためか、ドレッドは驚いて目を見張った。

「ああ。私が留守にしていたとはいえ、だ。無論、同族たちも、人間相手という油断はあっただろう。……だが半数だ」

 静かな口調のツァービルだが、その裏にはハッキリと怒りの色が含まれている。

「その事実は、油断という言葉では済まされない。故に、恥を忍んで助力を願い出た。恥よりも今は、亡くなった同族たちに報いなくてはならないからな」

「貴公の配下の力は、我も熟知しているところだ。……半数か」

 ドレッドは深く飲み込むように言いながら、前方に広がる壮大な景色をにらみつけた。

「その小賢しい人間たちがいるのが、あの町というわけか?」

「そうだ。調べたところ、『レタヴァルフィー』という名で呼ばれているらしいが」

 ふっと、ドレッドが鼻で笑う。

「じきに消えるのだ。もはや名など意味はない」

「その通りだな、我が友よ」

 ツァービルも、ニヤリと鋭い牙をのぞかせた。

 そしてふと、西の空へと視線を移す。

「……どうやら、もうひとりの友も来てくれたようだ」

「もうひとりだと?」

 ドレッドも同じく、おもてを上げて空を見た。

 

 二体の『モンスター』が並ぶ山頂の丘に、もう一体の『モンスター』が空中から降り立った。

 細身であるツァービルよりもさらにほっそりとしていて、身長も二体よりかなり低い。しかし背中から生える、絹のように薄い四枚の羽は、そんな二体をすっぽりと覆うほどに大きかった。

 顔の形は比較的人間に近いが、頭の先からは二本の触覚が伸びている。

 全体的なシルエットは、さしずめ蝶といったところだろうか。

 ただの布に頭と羽を出す穴を開けただけのようなドレスは、『彼女』のあでやかなボディーラインを浮き彫りにしていた。

「来てくれたか」

 音も無くふわりと着地した彼女へ、ツァービルは微笑みかけながら歩み寄った。

 そして慣れた様子で抱擁を交わす。

「当然じゃ。わらわとそなたの仲ではないか。遠慮は無用ぞ」

 つややかな声で答える彼女を眺めて、ドレッドは低くノドを鳴らした。

「なるほど。ジェラルディーネ・デテッフェか」

 その呟きを耳にして、彼女、ジェラルディーネが視線を動かす。

「そちは?」

「勇将ドレッド・オーだ」

 とツァービルが介する。

「ほう、そなたがか」

 ジェラルディーネは、感心したように大きく目を見開いた。

「名は聞いておるぞ、勇将。ほまれ高き武の力を持っておるそうよの」

「貴様のような者の耳に名が届いているとは、光栄だな」

 ドレッドとジェラルディーネは、しばしにらみ合う。

 どちらも周辺地域に名の通った『ボス』なのだ。その初顔合わせともなれば、まずは互いの力を推し量るのが自然な流れである。

 先にドレッドが視線を外し、ツァービルに軽口めいた表情を向けた。

「この女傑と知り合いとはな」

「『知り合い』なぞ、片腹の痛いことよ」

 ひとりごちたのはジェラルディーネだ。彼女も同じくツァービルを見やる。

「此度の件、わらわとしても知らぬ相手ではない。取るに足らぬと見逃してやっていたが……そなたが望むのなら、すべての配下を動かしたもう。その勇将とやらと手を結ぶのも、やぶさかではない」

「そうしてくれると助かる、ジェラルディーネ」

 うなずくツァービルに、ジェラルディーネもうなずき返した。

 ふたりの視線が向けられて、ドレッドも同意を示す。

「よかろう。友の友として、女傑ジェラルディーネを我が同志とする」

 三体の『ボス』、ひいてはその手下たちによる同盟が結ばれた瞬間だった。

 ツァービルは、二体の顔を交互に見る。

「無様な私に恥を払拭する機会を与えてくれて、言葉もない。この礼はいつか必ずさせて頂こう」

「期待しておるぞ」

 とジェラルディーネ。

 ツァービルは改めて、目標とする人間の町を視界の中に収めた。

「まず、あの町を三方から取り囲む」

 他の二体も横に並び、同じものを眺める。

「ドレッド・オーは東、ジェラルディーネ・デテッフェは西を頼む。こちらは南につくが半数故、先陣を切るのはそちら方に任せる」

 ドレッドとジェラルディーネが、反意無しという意味で相槌を打った。

「あとは好きにして結構。私が望むことは、ただひとつ。あの町を、人間たちもろとも破壊し尽くすのみだ!」

 簡単すぎる打ち合わせだが、彼らにとってはそれで充分だった。

 人間相手と油断しているわけではない。互いの力を、ある意味では信頼しているからだ。

 強弱の序列に生きる『モンスター』たちであるが、同程度の力を持つ者には、親近感のようなものが芽生えることがある。

 単純な友好とは別種の、本能的な信頼関係だ。

 三体の中でもすでにその構図が出来上がっていた。

 それぞれ力が拮抗する相手を、ツァービルが入念に選んでいたからだ。

 

 人間の町を不敵な笑みで眺める三体。

 その時。

「――『破壊』だって?」

 その場に突然、異質な気配が現れた。

「!?」

 三体は驚いて背後を振り返る。

 声を耳にするまで、まったく接近に気付かなかったのだ。

「それはとっても、胸の躍る言葉だね」

 声の主は自らの言葉通りに、嬉々と笑っていた。

 

    ◆

 

 『レタヴァルフィー』が港町として発展したのは、ここ数十年ほどのことである。それまでは、名前らしい名前もない小さな漁村であった。

 今日までいたる激動の歴史を語るのに、とある三人の存在は欠かせない。

 ひとりは熟練の漁師。彼はそれまでにない画期的な漁獲方法を編み出し、それが噂となって人を集めた。

 ひとりは若き設計士。彼は斬新な発想で、嵐にも負けないほど頑丈で巨大な船を生み出した。

 ひとりは旅の『魔術』使い。彼女は水揚げされた魚を瞬時に『凍らせて』、新鮮なまま市場に並ばせる手法を伝授した。

 その三つの出来事が同時期に発生した偶然が、この町のターニングポイントであった。

 漁師の技術とそれを習った人々、設計士の船が組み合わさり、漁獲量はうなぎ上りに増加した。その上で往々にして長期保存の利かない魚類が鮮度を保つと聞き、周囲以外の町からも商人が訪れた。

 人々の活気は密集することでさらにその熱を高め、波紋のように広がっていく。

 噂が広まり、往来が増え、暮らしが豊かになり、住人が増え、さらに噂が知れ渡る。名も無き漁村はそうして、急速な勢いで発展していったのだ。

 漁師レタック・ガーティー、設計士ヴァルガス・アーノルズ、旅人フィー・ゴールドローブ、その三人の名前の頭を取って『レタヴァルフィー』と名付けられたのはあまりにも有名な話だ。

 長らく漁業と商人の町として名を馳せた『レタヴァルフィー』だが、近年ではもうひとつの顔でも有名であった。

 町の治安を守るための組織、『レタヴァルフィー衛兵団』である。

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