第二章(11)
「最初に見つけたのはガキ共だったんだって」
「うん」
「言い付け破って村の外まで遊びに行って、奴らのすみかに入りやがったんだ」
「らしいね」
「奴らが死んでたからよかったものの、生きてたらどうなってたことか。ぞっとするよ」
「まったく」
「……しっかし、なんで死んでたんだかなぁ。マスターわかる?」
「さぁ。『モンスター』同士で揉め事でもあったんじゃないかな」
「……」
同じカウンター上で交わされる会話に、エリスは割り込みたくてウズウズしていた。
自分たちがそれをやったんだと。だから褒め称えてもいいんだぞと。崇め祭ってもいいんだぞと。
しかし言わなかった。アリーシェの言葉を覚えていたからだ。
積極的に『モンスター』に抵抗し、なおかつ打ち破った人間がいるということが知れ渡れば、奴らがなにかしらの報復を行うかもしれない。
無論、それが自分にだけ向けられるのならば問題はなかった。望むところである。しかしそれが自分以外の、目も手も届かない無関係の人間たちに向けられるのならば、たまったものではない。
その可能性は充分にある。『モンスター』とはそういう奴らだ。
故にエリスは黙殺する。
黙って夜食の、熱々のビーフシチューをすすっていた。
……戦いのあと。一度落ち着いた場所で休息すべきと提案したアリーシェに則り、一同は近場にあったこの村で宿を取った。
そしてひと眠りしたエリスは、空腹を覚え、一階部分の食堂スペースまで降りてきて今に至るというわけだ。
酒場も兼ねているためか、夜中であったが客の入りはまずまずといったところだった。
「今回ばっかりは、本当に危なかったですね」
隣のイスに座るリフィクが、ため息まじりにささやく。彼の前には、水の入ったコップだけがぽつりと置かれていた。
熟睡していた彼を叩き起こして、強引に夜食に付き合わせたのは無論エリスだ。別にひとりで食べにきてもよかったのだが、そこは枯れ木も山の賑わいというヤツである。
「一歩間違えれば、死んじゃうところでした」
「いつだってそーだろーが」
投げやりに答えるエリス。
「遊んでるわけじゃねーんだから。間違えなくても、ちょっとでも気を抜きゃそこで終わりだよ」
口調は投げやりとはいえ、その内容は決して冗談の類ではなかった。
敵は強大。自分よりも強い者。それを嫌というほど思い知って、なお軽口のようにビーフシチューを食べながら言えてしまう辺り、やはりどこか神経のズレているエリスである。
「……『ボス』と呼ばれる『モンスター』を相手にするのさえ危ないのに、さらにその上の『キング』に挑もうとしているんですよね、エーツェルさんは……」
リフィクはしみじみと、思い返すように呟いた。今さら、ではあるが。
「やめませんか? そんなバカげたことは」
顔をエリスに向け、真剣な表情で切り出す。
「なにも『キング』に挑まなくたっていいじゃないですか。アリーシェ・ステイシーさんたちの、あの騎士団に入れさせてもらって……それで、人間に率先して害を与える『モンスター』たちと細々と戦っていけば……!」
しかし当のエリスは、そんなリフィクの熱弁をマジメには聞いていなかった。また始まった、とつまらなそうに眉をひそめている。
口を開けば同じことしか言わないからだ。やめよう、逃げよう、あきらめよう。飽きもせずそんなことばかり。
普段なら、エリスがそのまま無視して終わりだろう。もしくは怒鳴るか小突くか、その程度のものだ。
しかし不幸なことに、今のエリスは、言いたいことを言えないため虫の居所をひどく悪くしていた。だから普段とは少し違った結果を招いてしまう。
「今からでも遅くないですよ。一緒に考え直しましょ? ねっ?」
真に考え直すべきはリフィクに他ならない。
「……」
エリスは無言で、シチューをスプーンですくう。そして湯気の昇り立つそれを、カウンターの上に無防備に置かれているリフィクの手にポトリと落とした。
「ぁあっつぁいっ!!」
リフィクはそれにびっくりして、イスから転げ落ちてしまう。しかもその弾みに自分の手でコップを倒し、頭から水をかぶってしまった。
「エリス・エーツェルに二言なし!」
散々な状態のリフィクへ、さらに怒鳴り声が浴びせかけられる。
「あたしが決めたことはもう決まったことだ! 雨が降ろうが槍が降ろうがそれは覆らないんだよ! 臓腑の底まで思い知れっ!」
こっそりとアドレー・カギュフのセリフを拝借するエリスだった。気に入ったのだろうか。
カウンター席から響く威勢の良い声を耳にして、アリーシェは含み笑うように微笑んだ。
木製の丸いテーブルについている彼女。対面に座るゼーテン・ラドニス共々、今は鎧も武器も身に付けていなかった。
ゆったりとしたローブに袖を通し、鮮やかな色のハチミツ酒を味わっている。
口元から笑みが過ぎ去った頃。アリーシェは、深刻な表情をラドニスへと差し向けた。
「『銀影騎士団』……その全戦力を集めれば、『モンスターキング』に対抗することができるかしら……?」
真剣そのものといった様子の彼女に対し、彼は「らしくないな」と冗談を返すような口調で答えた。
「あんな娘の絵空事を真に受けるとは。アリーシェ・ステイシーらしくもない」
「……かもしれないわね」
アリーシェは顔を横に向け、カウンター席のエリスをじっと見つめる。
「けど、彼女という人を知ってしまったから」
ラドニスも一度だけカウンターを視線を送り、グラスを口につけた。
「エリス・エーツェル。……私が彼女くらいの頃は、ただただ『モンスター』に怯えて生きているだけだったわ。戦おうなんて考えもしなかったし、そんな力もなかった」
アリーシェがこの道に入ったのは二十を過ぎてからだ。むしろそれまでは、逆に戦闘や暴力といった行為を忌避していた。しかし今は、そんな自分を少々後悔している。
「でも彼女はそれを持っている。私にはなかったものを、すべて。もし過去の私が、彼女のような力と心を持っていたら……と思うとね」
普段より饒舌なのは、アルコールが入っているからだろう。アリーシェは顔を正面に戻し、グラスに目を落とした。
「とてもうらやましくて。憧れて。少し妬ましい」
話がずれたわね、と呟いて、アリーシェはハチミツ酒をひと口含んだ。そしてラドニスを見つめる。
「私たちがしているのは、終わりのない戦いでしょう? 一体でも『モンスター』を倒せば、それで救われる人間がひとりでもいる。今まではそれで充分だと考えていたけど……」
端的に言ってしまえば、それは根本的な解決にはなっていない。小さすぎる抵抗。せいぜい悪あがきにすぎないのだ。
「彼女がやろうとしているのは、その根本の解決。……『モンスター』は強い生き物で、人間は弱い生き物。それが常識。だけどもし、その人間が『モンスター』の最高峰である『キング』を倒すことができれば」
常識が覆る。
「世界が変わるかもしれない」
無論、『モンスターキング』を倒すなどラドニスの言うように絵空事だ。人間ごときが口にするのもはばかられること。そして仮に倒せたとしても、この現状が変わるという確固たる保証はない。
しかし。
「とても魅力的な目標だと思うの」
たとえイバラの道であったとしても、それが成されれば、自分たちがやってきたこととは比べ物にならないほどの人間が救われるかもしれない。命を救うことができるかもしれない。
『モンスター』と戦っていくなら、これ以上ないというほどの目標である。
一瞬でも甘美な夢を抱いてしまった以上、それを忘れろというのはあまりにも酷な話だ。
「どれだけ大きな目標でも、心が折れない限りは挑戦できる。そしてエリスさんはそんな心を持っている。……だけどすべてを成し遂げるには、まだまだ力が足りていない。だから私たちがその力を補えれば、もしかしたら……と思って」
熱心に言い終えたアリーシェは、ノドを潤すようにグラスに手を伸ばす。
静かに聞いていたラドニスは、彼女がグラスをテーブルに戻した頃、ようやく口を開いた。
「『モンスターキング』の力量を知らない俺には、なんとも言えない話だ」
「終わらせないでよ」
アリーシェはクスクスと、まるで少女のように笑いをこぼす。
「たしかにそうだけどね。それに、仮に『キング』に太刀打ちできる目処が立ったとしても、騎士団の意志を決めるのはオーランド様ですもの。私が頭を悩ませていてもしょうがないわよね」
そして肩をすくめた。
「……だが、ひとつだけ言えることは」
ラドニスはテーブルの中央を見つめながら、真摯な口調で断言する。
「俺はお前の決定に従うということだ。それは変わらない」
言葉と共に向けられた視線に、アリーシェは穏やかな微笑みを送り返した。
「……うん。ありがとう」
そんな時。店の奥にある階段から、パルヴィーが降りてくる姿が視界に入った。
「ねぇー、エリスちゃん」
「……あー?」
隣席に座るなり投げかけられた猫なで声に、エリスは怪訝顔でそちらを振り向いた。
「おねがいがあるんだけど」
このパルヴィー・ジルヴィアも、今は武器や防具の類を身につけていなかった。ワイン色のワンピースに、髪を頭の両端でアップにしている。
そういう姿だと、やはり戦士ではなくどこかの村娘という印象が強かった。ちなみにエリスはどこかの不良娘だろう。
「聞かねーからどっか行け」
エリスはそっけない態度であしらい、ビーフシチューを口に入れる。
「えーっ? そんな意地悪なこと言わないでよー。わたしたち友達でしょー?」
パルヴィーはさらに甘えるようにすり寄った。うっとうしそうに腕で振り払うエリス。
「いつからだよっ!」
「えへへ。今から」
あからさますぎる猫のかぶり具合に、エリスは鬼のような形相で彼女をにらみつけた。
延々と『各地に伝わる一風変わった逸話』を喋らされていたリフィクは、乱入者の登場にひそかにほっと息をつく。




