終章(10)
エイザーがのんびりと話をしていたのは、入念に相手の出方を窺っていたからだ。
大胆なのか慎重なのかはよくわからないが無策なりの策と言うべきだろう。
だからクルージーのその対応にも、さほど慌てはしなかった。
状況としては――正面に頭がひとり。斜め後ろにふたり。少し離れたところにひとり。実質三人による四面楚歌ならぬ三方塞がりの包囲網――。
その頭が勢い良く踏み込んで、不意打ちのつもりか眼下から斧を振り上げてくる。
客観的には絶体絶命以外の何物でもない。
しかしエイザーの主観的には、彼が斧を持ち替えたのを見逃してはいなかったためタイミングを見極めるのはそう難しくなかった。
だが厄介なのは、それに連動して他のふたりも槍と剣を突き出してきたことだった。
なにか彼らだけで通じる合図があったのだろう。
アイコンタクトが成立するほど連携が取れている仲間を平然と見捨てる心境はエイザーにはわからないが、そんなことまで考えている余裕はなかった。
余裕ぶってはいたが、実際はなかった。内心ヒヤヒヤだった。
あるのはこの状況を切り抜けるための段取りと、それを実行する度胸だけだった。
エイザーは迷う間も惜しんで左斜め後ろへ背中から跳ぶ。眼前を斧の刃が通過する。直後、剣が背中に打って鈍い音を響かせる。
そして槍が何もない空間を貫いた。
最も驚いたのは、剣を突き出した男だろう。その頑丈すぎる手応えに。
エイザーは先ほどの戦いで使われた盾を回収し、マントの下に背負っていたのだ。
質の良さは見込み通り。さすがに槍に飛び込む勇気はなかったが、手入れの悪い剣には負けることなく、エイザーの背中を守り抜いてくれた。
エイザーはすぐさま反転。目を白黒させている剣使いへローキックを打ち込む。わずかに体勢が崩れたところでさらに肉薄し、
「スタンガントレット!」
電撃の拳を打ち込んだ。
剣使いの男は体を痙攣させながらパタリと倒れる。
エイザーはそれを見届けることなくさらに反転して駆け出す。今度は槍使いの男めがけて。
槍使いは一瞬だけ息を呑んだものの身構えるのは早かった。
武器を持たない敵が真っ正面から突っ込んできているのだ。形勢は明らか。負ける要素がないという自信が彼を落ち着かせている。
エイザーは服の下に片手を潜り込ませ、結んでいた紐をほどく。すると背中から盾が滑り落ちて、地面に当たって鈍い音を立てた。
さながらその音に背中を押されたように、身軽になったことでエイザーが急加速する。
予想外の緩急は槍使いの不意を突いたようだった。落ち着きから一転慌てて槍を突き出した。
その慌てが、エイザーの光明となる。
走る勢いのままジャンプ。甘く突き出された刃を飛び越え、柄を足場代わりに、膝から相手の顔面へと突っ込んだ。
両者はもつれるように地面に倒れ込む。
砂煙の舞う中起き上がってきたのは、エイザーだけだった。
槍使いの男はノックアウトされて動かない。
「……」
瞬く間にふたりの手下が打ち負かされた光景を、しかしクルージーは瞬きすることなく注視していた。
そして離れたところにいたもうひとりの手下になにやら小声で告げる。
手下は一瞬だけ目を見張ったものの、すぐに踵を返してどこかへ走っていった。
砂煙が流れて消えた頃には、エイザーはクルージーと一対一で向かい合っていた。
「席を外させたってことは、俺とサシで勝負って話を呑んでもらえたってことか? それとも仲間を呼びに行かせたか?」
軽く砂を払いながらエイザーが探る。クルージーは不敵な笑みを浮かべただけで答えなかった。
「まぁどっちにしろ、形としては一対一には違いねぇ。無理矢理にでも呑んでもらうぜ」
「エイザー」
とドルフの戸惑いの声が飛ぶ。
敵がひとりになったのだからふたりがかりで戦えばいいのに、と言いたいのだろう。
まったくもってその通りだが、エイザーはその通りにはしなかった。
「おっちゃんはここで倒れてる奴らを縛っといてくれ。人質追加だ。それから立会人たのんだぜ」
そして再びクルージーに向き直る。
「さぁあんたもひとり、こっちもひとり、これで対等だろ」
「はっはっはっ……」
クルージーが低く笑い声を上げる。しかし口元だけで目元はまるで笑っていなかった。
「なるほどな、自信のわけは理解した。生意気なだけの小僧ではなさそうだ」
「生きがある上意気もあるってのは否定しないけど」
「――こんな話を思い出した。かつて『クイーン』が山賊の頭と一対一で勝負をしたそうだ。戦いはどちらも譲らず三日三晩続いたがようやく『クイーン』が勝利を収め、その山賊たちを配下に引き入れたと」
「俺の知ってる話と微妙に違うが、まぁ有名な話だな」
「それを真似しようというつもりだろうが悪いことは言わん。やめておけ」
「真似してねーよ」
「お前も知っての通り、我々ファンの間では有名なエピソードだ。憧れから真似したくなる気持ちはわかるが」
「憧れてもいねーよ」
「かく言う俺にもそんな時期があった」
「聞けよ!」
「しかし今ではこうして賊の側に立っている。人生とはわからないものだ」
クルージーはしみじみと言いながら頷く。過去に思いを馳せるような表情だった。
「ロクでもない奴にはロクでもないファンがつくもんだぜ、まったく」
しかしエイザーが言い捨てた言葉に、そんな表情が一変する。
「……なんだと?」
緩みかけた空気が再び緊張感に包まれる。しかしエイザーは構わず続けた。
「ロクでもねぇ奴だろ実際。『キング』に挑むための旅だって行き当たりばったり以外の何物でもねーし、勝算の無い戦いだって平気でするし。かと言って下手の横好きで給仕の仕事したがって周りの人間に迷惑かけるタチの悪さだ。どうしようもねーよ」
「……なかなかに詳しく知ってるじゃねぇか、小僧。……さては」
クルージーの瞳が、なにかを見抜いたとばかりに妖しく光った。
「お前も『季刊クイーンの歩み』の愛読者だな」
「ちげーよ!」
それはクイーン・エリス・エーツェルの活動とプライベートを逐一まとめた謎の書物のことだ。
どんな奴が買っているのかと長年疑問に思っていたエイザーだったが、その謎も今解かれることとなった。
「しかしバックナンバーをすべて網羅してはいないだろう。発行部数が少ないからな。が、申し訳ないが俺は最新号までコンプリートしてある」
誇らしげに胸は張られてもエイザーとしてはリアクションに困る。だが、はたと気づいて拳闘の構えを取った。
「申し訳なく思う必要はねぇからそのままコレクションを続けててくれ。牢屋の中でも買い物ができたらの話だけどな」
すでにクルージーの術中にはまっていたということだ。
先ほど走らせた手下は十中八九仲間を呼びに行ったのだろう。そしてつらつらと喋りながら時間を稼いで援軍の到着を待つつもりだったのだ。
「危うく水入りになるところだったぜ」
意趣返しとは粋なことをする。
とはいえ冷静に考えてみれば簡単な話だ。エイザーひとりならばともかく後ろにはドルフも控えている。一対一の勝負を呑まずに彼を相手取るつもりなら、どうしたって戦力は欲しいところだろう。
「さぁ待ったなしだ! 腹括れよ! 鉄も勝負も熱いうちにってのが俺の信条だからな」
「――ファンのお前なら、クイーンの得意技がなんなのかも当然知っているだろう」
クルージーは語調を変えずに言葉を続ける。
「先ほどの話に戻るが、俺が憧れていたものがもうひとつだけあった。若さに任せて鍛練に励んだ結果、俺はクイーンに一歩近付いた」
戦斧を持ち上げ、戦闘に応じる構えを見せる。
「お前の望みの熱いものだ!」
その斧の刃先が、一瞬にして激しい炎に包まれた。
「……!」
動物的な本能が火を嫌うのか。エイザーは目の前で生まれた灼熱に無意識に息を呑んだ。
「クイーンの息子と同じ名前の奇縁に免じて、もう一度忠告しよう。やめておけ小僧」
クルージーの顔が好戦的に歪む。
口から出たのは忠告ではなく宣告。あるいは宣戦布告であった。
「殴る蹴るしかできないお前ではこの技には勝てない。勝負にすら、ならない」
手下ふたりを倒した立ち回りだけでエイザーの戦い方を見て取ったのだろう。圧倒的に不利なのは自明の理だった。
「お前に夜明けは訪れない」
「鍛冶屋の朝は早いんだぜ。夜明けなんてこっちから迎えに行くくらいだ」
クイーンが炎の技を得意とするのは知れた話だ。それを真似しようという者もごまんといる。
一瞬は面食らったものの、それで怯むエイザーではなかった。
むしろ逆に闘志がたぎってくる。
相手に取って不足無しと心から言いたい場面だった。
「やっぱりロクでもねぇ奴だぜ」
果たして誰に向けての言葉か、エイザーは挑戦的に口端を吊り上げてみせた。




