第七章(19)
「大概なことしやがるぜ、あの野郎!」
と吐き捨てながら、エリスはそそり立つ岩と岩のあいだを駆け抜ける。
周りにいたはずの仲間は見当たらず、『岩の森』によってキングがどこにいるのかもわからない。そんな五里霧中さながらを、エリスはひとりひたすら足を動かしていた。
あの時――いきなり地面が砕けて『炎』が噴き出したところで思わず目をつむり、再び開けた時には、景色が岩場へと一変していたのだ。
言葉にすると夢みたいな状況ではあるが、実際にそうなのだから他に言いようがない。
元々は見晴らしの良い平らなフィールドだったため、キングが『これ』を引き起こした瞬間までは目撃していた。
だからこそ吐き捨てたくもなる。似たようなことを以前トュループにやられたのを思い出し、怒り心頭も甚だしいのだ。
「そして熱いっ! あぁもうっ!」
溶岩を思わせる熱気が辺りにただよい、露出度の高いエリスの肌を容赦なく焦がす。……それに関しては自分のファッションセンスのせいなのだが。
呼びかければそこかしこから仲間の声は返ってくるものの、一向に姿は見つからなかった。
壁のようにそびえる岩盤や岩塊はどれもエリスの身長を越えているため、まるで周囲が見渡せない。
岩と岩の間は充分に通れるが、突き当たっては曲がり突き当たっては曲がりを繰り返すため、もはや迷路のようだった。
キングに一斉攻撃を仕掛けようとした矢先にこれである。前のめりになったところへ足をすくわれた気分だ。
「迷子の迷子のお嬢さん、行きたいところはどちらかな?」
そんな時、歌うような声が頭上から投げかけられた。
このカンに障るような声は……と振り向かなくてもわかったが一応振り向いてみると、予想通りの奴が飛びながら追いかけてきていた。
「いやはや大変だねぇ。いつかのように掴んで飛んであげようか? 上からだとどこに誰がいて何をしているのか一目瞭然だよ?」
「これ以上てめーに貸しは作らねーよ」
と一蹴したエリスを、トュループは一笑に付す。
「そういうのは、律儀って言うのかな? それとも頑固?」
「友達とヤり合うてめーよりは義理堅いつもりだよ」
と、つい言い返したものの、一度は仲間と戦った経験のあるエリスである。一概にトュループを批判できなかった。
「……いやまぁ……怪しいもんだが幼なじみとかなんとか言ってたのに、なんであいつにバトルふっかけたんだよ? なんか理由あんのか?」
思わず訊ねてしまったのは、失言したと自覚があるからだ。
相応の理由があるのなら、友達だろうが仲間だろうが戦うことにも納得できる。自分がそうだったのだから。
しかしふわふわと飛ぶトュループから返ってきたのは、文字通りつかみどころのない言葉だった。
「君は人間だね」
「あー?」
エリスは思わず立ち止まって、改めてトュループを見上げる。
人間なのは、今さら言うまでもなく当たり前のことのはずだが。
「あたしのこと花の妖精とでも思ってたのか?」
「口を閉じて身なりを綺麗にして容姿が可憐になって性格がおしとやかだったら、もしかしたらそう思ってたかもね」
「原型残ってねぇ!」
自ら正反対だとうっかり認めてしまった形になったが、そこは気にしないでおく。
トュループはクルリと小さく旋回したあと空中で制止し、まじまじとエリスを見下ろした。
「そういう考え方が、いかにも人間らしいってことさ。人間は何につけても理由を求めたがるからね」
「はぁ?」
「僕らには、そんなもの必要ないのさ。なにかを破壊するのも、誰かと戦うのも、人間を食糧とするのも、そうしたいからそうしてるだけ。雨が降ってきたら雨やどりをするように無意識の行動なんだよ」
「あーそうかい、そりゃ良い迷惑だ」
とはいえ人間にしても、理由もなくそういう行動を起こす者がいないわけでもないだろうが。
「真面目に聞いて損した。こっちから質問しといてなんだけどさ」
エリスは無視して走り出そうとして、ふと持ち上げた足を止める。
「いや……わりぃ。損ってこともなかったな」
前へ下ろそうとした足を、九十度横へ下ろし直す。
そびえ立つ岩の山を見上げて、思わず笑いをこぼした。
「もうちょっと早く気が付きゃよかった」
そしてそのまま岩をひょいひょいと登っていく。
以前巨大な『モンスター』の背中をよじ登った経験があるが、その時に比べればずっと登りやすかった。
崩れてしまう可能性もあるにはあったが、それは気にしていてもしょうがない。
「たしかにお前の言うとおり――」
エリスは軽やかに頂上にたどり着き、周囲の景色を一望する。
「上から見りゃ、誰がどこにいんのかバッチリだ」
林立した岩塊によって荒らされた地面。分断され散り散りになった仲間たちが、はっきりと見て取れた。
そして目当てであるキングの姿も当然発見できた。
いやむしろ見つけやすいほうだろう。出会い頭らしい銀影騎士団の戦士たちが、砂煙を巻き上げながら蹴散らされているのだから。
「味方があんなふうになってるところ、見ないほうがよかったんじゃないかい?」
トュループがさも気遣わしげに言う。先ほどは自分から誘ってきたはずだが。
「見ないほうがよかったもんなんて自分の寝起きの顔ぐらいしかねーよ」
と言い返してはみたものの、形勢はエリスでもわかるくらいに悪かった。
いくら少数精鋭が売りの彼らでも、キング相手では戦力不足だ。このままでは集結もままならずに各個撃破されてしまうだろう。
「待ってろよ、あの野郎」
エリスはすぐさま、キング目指して岩塊から滑り下りる。
おおまかな場所がわかればこっちのもんだ。幸い、さほど遠い場所というわけでもなかった。
「おいトュループ! 自分から協力するとかぬかした以上、あたしが行くまでの足止めくらいはやっとけよ!」
言うだけ言って、地面に降りしな走り出す。
これだけ走らされて、いざキングと遭遇した時に戦うだけの体力が残っているかは怪しいところだった。
しかし、それはそれ。これはこれだ。今はとにかくリングに上がらなければ何も始まらない。
そんなエリスの頭上を、黒い影が静かに通り過ぎて行った。
◆
地上は視界が塞がれているため、岩塊の上に登って周囲の様子を見る。
その発想に至ったのは、何もエリスだけではなかった。 しかし人とは違う彼らは、行動にしても一味違う。
「これは、さっきの意趣返しと見ていいのかな?」
ハーニスとリュシールのふたりは、林立した岩塊から岩塊へ、さながら池の飛び石を渡るかのように跳躍しながら移動していた。
周囲を見渡せつつ直線距離を進めるため、なるほど合理的な手段だろう。
人間の身体能力では不可能な距離と高さで次々と跳んではいるが、彼らにすれば会話しながらでも可能なくらい容易いことだった。
「とはいえ、それくらいわかりやすい御仁だったならこうも苦戦はしてないんだけどもね」
自分に有利に働くよう地形に手を加えるということは、他ならない自分たちが先にやっている。
後から来た彼らはともかくハーニスとリュシールにはこの手段に文句はつけられなかった。
「作戦、無駄になったね」
呟くようにリュシールが言う。
人間たちに皮肉を言っているわけではなく、憎々しげというわけでもない。特に感情のこもっていない単なる感想のような言葉だった。
状況からすれば悠長極まりないが、それはハーニスにしても似たようなものである。
マイペースと言ってしまえばそれまでだが、どんな状況でも自分を見失わずにいられるのはなかなかに困難だ。
ひとたび自分のペースを崩せば、そこからすべての歯車がずれてしまう可能性もある。そうなったら一巻の終わりだ。特に、今のような劣勢の中においては。
互いが互いに働きかけ、どんな時にも自分たちのペースを作り上げられる――それが彼らの強みであり、彼らの強さであると言えるだろう。
「そうでもないよ。さっきのやり取りで、彼らのことは概ね把握できた。だから僕らも彼らに合わせることができる。今までと比べれば、強い武器を手にしたのと同じさ」
せっかく人間のほうから歩み寄ってきてくれたのだ。策略通りとはいかなくとも情報を無駄にはしまい。
しかし、リュシールはあまり釈然としていなかった。
頭で考えるよりも直感的に動くタイプの彼女である。銀影騎士団の作戦内容から彼らの傾向を読み解くという行為は、いささか向いていなかったようだ。
「それに、戦意の高揚にも役立ってる。頼られた時は嬉しかったしね」
「それなら、私にもわかる」
少しだけはにかんだリュシールをいつまでも見ていたいハーニスではあったが、名残惜しくも顔を正面に戻す。
烈火のごとく立ち回るキングの姿は、すぐそこまで迫っていた。
◆
キングが地を這うように疾走する先には、長剣を構える銀装の戦士がふたり。こちらの気配に気付いて振り返る。
左右に岩の連峰がそびえる一本道は、恐らくもうふたり並べば一杯になってしまうほどの狭さだった。障害物が何もない元のフィールドからすれば劇的な変化と言えよう。
しかしこの劇的な変わりよう、この狭さこそ、キングの狙い通りだった。
動じずにすぐさま臨戦態勢に戻れるあたり、目前の彼らは優秀な戦士なのだろう。地形変化による混乱も伺えない。
惜しむらくは、仲間たちと合流する前にこちらと出会ってしまった運の悪さだろうか。
「しかし、こちらとしては運が良かった」
キングは走る足を止めず、そのままふたりへと突っ込んだ。
接触際――ふたりは当然のごとく、長剣を叩き込む。狭いと言っても剣を振るには充分な空間はある。
だがふた振りの剣は、その充分な空間のみを斬り裂いて、風切り音だけを生み出した。
平たく言えば、空振りしたのだ。
彼らの目が節穴だったわけでもない。剣の稽古を怠っていたわけでも、当然ないだろう。
ただ単純に――剣が振るわれるよりも、キングのほうが速かったのだ。
それまでは加減して走っていたところを、彼らが振りかぶった瞬間に、全速力に切り替えた。
それだけだ。
文字通りの寸前にタイミングをずらされてしまえば、それだけで、大抵の攻撃は無力化されてしまう。可能か不可能かはともあれ無力化できてしまう。
あるいはオーソドックスな振り下ろしではなく刺突であれば結果は違っていたかもしれないが、今さら言っても詮無いことである。
ひとりは突っ込んだ勢いを乗せた右拳に吹き飛ばされ、もうひとりは制動を兼ねた回し蹴りでまたまた吹き飛ばされ――どちらも岩塊を砕くほどに叩きつけられたという結果は、もはや変えようもないのだから。
「多勢に無勢を挽回しようと頑張ってみたが、やはり頑張ればなんとかなるものだな」
と呟いたキングの鼻先を、電撃をまとった矢がかすめていった。
射手の名誉のために正確なことを言うならば――瞬時に横へ動いたキングの鼻先をかすめた――という状況だったので、もしキングが動かなければ、矢は掛け値なしに命中していたことになる。
とはいえ矢が飛んできている以上キングは、それこそ掛け値なしに、当然のごとく回避するため、先ほどと同じく仮定の話はするだけ無駄というやつだ。
「挑戦した結果の失敗をたやすく無駄と余も言いたくはないが、今のは鈍感な余でも察知できてしまうくらいに、あまりにも主張の強い不意打ちであったぞ」
姿の見えぬ射手に向かって言う。
ただし射手の姿は想像できていた。エリス・エーツェルと共に参戦した人間の青年。たしか今のと同じ技を使っていたはずだ。
「そうも居丈高に不意を打たれると、弱気な余はついつい反射的に身を縮こまらせてしまう。それでは当たるものも当たらないではないか」
彼の失策としては、単純に経験不足だろう。
岩陰に潜んで気配を消してはいたが、攻撃する瞬間の殺気を消せていなかった。
キングの感覚からすれば、それは今から攻撃するぞと大声で叫ばれているのと大差がない。
「ただし――命中したあとの段取りは、見事なものだ。流れ作業のようにトドメを刺されていただろうな」
とキングは、はさみ討つように自分の前後に現われたふたりに視線を向けた。
言葉通り前と後ろなので同時に見れるわけはないが、とにかく両者の姿を確認したということだ。
例の射手の青年はいない。彼と同じくエリスに同行していたもうひとりの青年が、後ろ。
そして前方で剣を構えたのは、
「そしてすぐさま段取りを修正して、直接攻撃に切り替えるという機転も利く。やぶれかぶれというわけではないのだろう? ゼーテン」
ゼーテン・ラドニス。
戦場で一度名乗られた名前を、キングは決して忘れない。




