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第七章(8)

 

 戦いの中では不似合いだが、流麗な、という表現が一番ふさわしいだろうか。

 観客たちにそう思わせる動きで迫ってくるキングを前にして、しかしハーニスの脳裏に浮かぶのは脅威の二文字だけだった。

 跳躍したキングが、羽を小刻みに動かし、落下位置とタイミングを巧みに操る。

 もう何度も目にしているが、これが厄介だった。飛ぶには足らないと自ら言い捨てた羽ではあるが、こういう使い方は心得ているらしい。

 キングが急降下しつつ蹴りを放つ。ハーニスは動きを先読みできないまま迎撃の刃を振った。

 切っ先と足先が擦れ合い、火花が散る。

 キングは着地するや否や、その場で旋風のように回転。そして回転の勢いを乗せたハイキックを矢継ぎ早に繰り出した。

 手首を切り返し、再び剣で迎え撃つハーニス。氷上に金切り音が鳴り響く。

 キングの両手足を覆う硬質な鱗は、守備だけではなく攻撃の面でも活かされていた。

 そうでなければ、打撃と斬撃が正面からぶつかり合うという奇妙な光景は生まれていないだろう。

 もし地上であれば、ここからつばぜり合いめいた力比べにも発展するところだが、生憎ふたりがいるのは氷上。足の踏ん張りが利かないため、両者は反極の磁石のように互いの後方へと弾き飛ばされた。

 しかしひとりで戦うキングとは違い、ふたりで戦っているハーニスである。彼の目は、キングの背後から急襲するリュシールの姿をとらえていた。

 昨日のベースボールを思い起こすフォームで、彼女の剣が地面と平行になぎ払われる。

 そのままいけば、キングの上半身と下半身が綺麗さっぱり両断される軌道だ。

 だが、そのままいかせてもらえるはずもない。

「だいぶコツがつかめてきたぞ」

 キングははしゃぐように呟くと、後方に滑りながら、先ほどのように回転し出す。そして姿勢を限りなく低くすると、刃を頭上でやり過ごした。

 リュシールもとっさに剣の軌道を落とそうとしたのだが、間に合わず。紙一重のところで空振りしてしまった。

 しかしキングは、回避しただけに留まらない。

 一瞬の交差の際。ローキックの要領で片足を突き出し、リュシールの足を絡め取ったのだ。

 さすがの彼女もそれには対処しきれず、肩から氷上に倒れ込んでしまう。

「リュシール!」

 叫んだハーニスは、キングの次の動きに目を見開く。

 羽を思い切り叩きつけ急制動。そして転進と同時に跳躍し、上空からリュシールへ攻めかかった。

 まだ彼女は転倒姿勢のまま。反応できない。

 ハーニスは考えるより早く、体を動かしていた。

「フラッシュジャベリン!」

 開いた掌から無数の光条が放たれ、空中のキングに襲いかかる。

「片時も没入できぬのが、多数を相手取る時の興でもあるな」

 大量の凶光が殺到しても、キングの平静は崩れなかった。

 短く羽ばたき、体をひねる。そして肉薄する『魔術』の槍へ、回し蹴りを叩き込んだのだ。

 ――氷、光、あるいは炎。『魔術』で生み出したものは、自然界に存在しているものとは似て非なるものだ。物理的な力で干渉するには多大な労力を必要とする。

 ハーニスは、手を抜いて放ったつもりはなかった。

 しかしキングは、まるであっさりと、襲来した『魔術』を蹴り飛ばしてみせた。

 軌道を大幅に曲げられた光条は、天へと抜けて四散する。その攻防でキングの落下軌道もズレて、リュシールも攻撃を免れることができた。

 目論見で言えば成功。しかしその攻防は、ハーニスの心のうちから焦りを呼び覚ます結果にもなった。

 悠々と着地するキング。冷や汗を飛ばしながら起き上がるリュシール。そんな彼女のもとへと滑り寄るハーニス。

 両陣が向かい合ったところで、勝負は仕切り直しとなった。

 しかし、である。

 呼吸の上がっているふたりに対し、キングは息ひとつ乱していない。朝食前の軽い体操にしても、もう少し疲労しているものだろう。

「連携の取れた戦い方だ」

 まるでふたりの回復を待つように、キングが鷹揚に口を開く。

「それ故、懐かしくもある」

 浮かんだ微笑は、今までハーニスが見たどの表情とも違っていた。

 追憶。あるいは感慨か。

 しかしその心情を推察する余裕は今のハーニスにはない。

 二対一。有利な足場。その好条件をもってしても、とても優勢とは言えない状況である。

 やすやすと渡り合えるなどとは思っていないが、算段がずれてきているのは事実だった。

「ハーニス、リュシール。強いと自負したその言葉、偽りはなかったと認めよう」

 絶賛の口調。しかしハーニスの心境としては、それは皮肉にしか聞こえなかった。

「その賛辞は、あなたに勝利したあとで受け取ることにします」

「ならば、同じ言葉を二度言おう。――律儀なことだ」

 ハーニスとリュシールが、タイミングを計るアイコンタクトを交わす。キングが一歩を踏み出す。

 束の間のインターバルは、そのやり取りをもって打ち破られた。

    ◆

 

 もはやキングに、足場的な不利は無いように思えた。

 決闘場の上方。 天を突くいくつもの尖塔の上に、昨夜のように立ったひとつの影――『灰のトュループ』の名で知られる『モンスター』は、眼下の戦闘をそう評する。

 当初は鈍重であったキングの動きも、時間が経つほどに精彩を取り戻していた。

 今では、地面の上よりも鋭く動けているのではないかと思わせるほどの適応力を見せつけている。

 ハーニスとリュシール、あるいは観客たちは、その異常な順応の早さに驚かされていることだろう。

 しかしトュループにその新鮮さはなかった。

 湧き上がる感情は、驚異ではなく納得である。

 ――ああ、そうだ。彼とはそういう奴だ。

 トュループと、キング・ヴァーゼルヴ・ヴァネスの親交は長い。

 両者ともこの街で生まれ育ったのだ。

 関係性を表すとするなら、旧友。多くの思い出を共有した仲だ。トュループにしてみれば、類い希な存在と言えるだろう。

 そしてなにより――

「……幸運の女神に恵まれてるみたいだね、僕は」

 トュループは真下の戦いではなく街の外れへと目を向け、口元のシワを深くした。

 多数の小さな銀光が、慎重すぎるほどの歩みで街の中へと進入しているのが見える。

 役者は揃いつつある。事態がどのように転ぶのかは、神のみぞ知るといったところだろうか。

「もっとも、女神よりは破壊神に恵まれていたほうが嬉しいけどね」

 ひとりほくそ笑むトュループの下方で、戦いは転換点を迎えていた。

 

    ◆

 

 羽ばたきで加速したキングが、真っ正面から滑ってくる。

 避けて立て直すか、迎え撃つか。ハーニスの瞬時の判断は、迷うことなく後者を選んだ。

 もはやアドバンテージは失われたに等しい。慎重さを選んでこれ以上キングを勢いづけてしまえば、それこそ劣勢の一途をたどるだけだろう。

 ハーニスは、すぐ脇の彼女の目を見る。

 言葉は交わさずとも、思うことは同じだった。

 今は攻める時。

 一気呵成に勝機を切り開く。

 そのために。

 

 キングが急迫。ふたりは手をつなぎ、その場でスピンし始めた。

 ハーニスが中心となり、外側をリュシールが旋回する。

 彼女の持つ剣も合わさり、さながら巨大なチャクラムだ。回転圏内に一歩でも踏み入れば、即座に血を見ることになるだろう。

 真っ向から突っ込んでくるキングに対しては万全な迎撃体勢と言える。

 しかしそこでハーニスが犯したミスは、キングが何かしらのリアクションをしてくると踏んでいたことだ。

 いったん退いて攻め方を変えるか、あるいは回転圏外である頭上から飛びかかるか。どちらにしろ対応策と次の一手を想定済みであった。

 故に、想定外だった。

 キングが構わず猛進してくることは。

「一度目が駄目でも二度目、三度目を頑張ればいいというのは、強者の考え方だな」

 そんなハーニスの思考を見抜いたかのような言葉が、吐き出される。

 あるいは彼もキングの思考を理解できていれば、この愚は犯さなかったかもしれないが。

「弱者にそんな余裕は与えられていないものだ。与えられる機会はことごとく最低限。ならばそこにすべてを懸けるのが、弱き者の活路となる」

 キングが回転圏に突っ込む。

 すぐさま、リュシールの剣が真横から襲いかかった。

 先ほど足元をすり抜けられたのを意識して、下段からすくい上げるように叩き込む。

 衝撃音がかき鳴った。

 しかしそれは、何度となく聞いた、刃と鱗が弾き合った音とは微妙に違う。

 ハーニスは瞬間息を詰まらせ、眼前の光景を直視した。

 高速で流れていく景色を背に、キングが、リュシールの刃をつかんで受け止めていたのだ。

「!」

 至近距離で三人が膠着する。

 そこから最初に動いたのはキングだ。剣を片手でつかんだまま、もう片方の拳を固めて引く。狙いは眼前のリュシール。

 ハーニスは即座に、彼女と握っていた手を放した。

 切れた振り子の先のように、勢いよく彼女とキングが滑って遠ざかる。それによって体勢が揺らいだためか、キングの拳はまだ打ち込まれていない。

 その隙にリュシールは剣を両手で握り直し、ぐっと押し込んだ。

 キングの手の平から、じわり、と紫色の血が滲む。

「弱点を知られたくなかったので言わなかったが、実は、手の平はそれほど硬くない」

 この戦いで初めての流血。しかしキングに焦りの色は皆無だった。

 自らその手の平で刃を受けにいったのだから、当然といえば当然であるのだが。

「ただ、傷を付けられたのは久しぶりだ」

 キングは再び両手で剣を受け止め、押し返そうとする。

 転瞬のせめぎ合いの末、両者のあいだに膠着状態が舞い戻った。

 

 とはいえ、だ。混血種であるリュシールと、『モンスター』の最強者たるキング。単純な力比べでは彼女に勝ち目がないのは明白だ。

 回転の勢いを止めるのも構わず、ハーニスは『魔術』の力を急速に高めていく。

 彼女が持ちこたえられるのは、恐らくわずかな時間だけ。だからこそ、組み合っていられる今は好機に他ならない。

 ここを逃す手はないだろう。

 彼女も『これ』を求めている。彼もそれを望んでいる。

 ここで勝負をかけることを。

「リュシール!」

 ハーニスの両手のあいだに、盾ほどの大きさの光弾が出現した。

 それを、組み合うふたりへ向けてうち放つ。

「チリーストラッシュ・ファルシオン!」

 まるで吸い込まれるように、光弾がリュシールの剣へと命中する。次の瞬間、剣身から青白い光が噴き出した。

「……!」

 眼前のキングが、さすがに警戒の色を顔に浮かばせる。

 ハーニスの力とリュシールの力。ふたり分の『魔術』の力が合わさり、光は巨大な刃を形作っていく。

 その間、一秒もない。

 至近距離で組み合ってるるキングには、どうあがいても避けられない。

 青く輝く刃が成形され、リュシールが両腕を押し込む――直前。

「リムズブレイズ!」

 キングの指先から、両手を覆うほどの炎が現れた。

 前日のグレゴリオと戦った時にも使われた技である。

 キングは避けるよりも、迎え撃つことを選んだ。それは図らずも、先ほどのハーニスたちに対する意趣返しとなった。

 必殺の技と技とが押し合い、みたびの膠着状態を生み出す。

 形勢は互角――に見えた。

「強力そうな技だ。これを受けるのは勘弁願いたいな」

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