第六章(18)
「お取り込み中のとこ悪いけど、それ以上やんのは黙ってられねーな」
彼女ら三人の乱入に、村民たちがざわめき立つ。
「我々のしきたりに口を挟まないでいただこう」
と輪から歩み出たのは、村長のブルフォードだった。
「……人間とはいえ、仲間に背いてまで彼を守ろうとしたというから滞在を許したのだ。こんな勝手まで許した覚えはない」
「何がしきたりだ。あたしが言うのもなんだけど、なんでもかんでも燃やしゃいいってもんでもないだろ」
「いい、と思っているからこそしきたっている。これが彼のためだ」
断固とした口調で言い切るブルフォード。エリスは、不可解そうに顔をしかめた。
「……この世界は、『我々』にとって苦難が多すぎる」
そんな彼女の表情を見てか、ブルフォードは噛んで含めるように語り始めた。
「体が灰と消え、魂が煙となって昇り……そうしてようやく、この苦難の世界から解き放たれることができるのだ。彼とて死してなお、この大地に残りたくはないだろう」
哀愁ただよう声音。『リゼンブル』には『リゼンブル』なりの流儀があるということなのだろうか。
「はっ。そんなん聞いたら、なおさら黙ってられねーな」
しかしエリスは、一歩も譲らずに言い放った。
「解き放ったら見れなくなるじゃねーか。あたしが変えたあとの世界がさ」
「なに?」
懐疑のブルフォードのみならず、レクトとザットも聞き返すような視線を彼女に向ける。
「リフィクが望んでた世界だ。人間も『リゼンブル』も区別なく治したのだって、それをあきらめてなかったからだろ」
村を包んだ光。あれはリフィクが最期に見せた意地だ。
『リゼンブル』だという理由だけで討たれた、理不尽さが憎かったかもしれない。仲間であったアリーシェに手を下され、悲しかったかもしれない。自分の命が消えゆくのが、怖かったかもしれない。
だが彼は、最期の瞬間まで、種族の壁を作らなかった。
『人間』を見限らなかった。
それは、この世界という強大な敵への抵抗。屈せずに、逃げずに、負けずに、その意地を張り通した。
そしてやり遂げて、堂々と死んだ。
そんなリフィクが、この世界から解き放たれて、どこか別の場所へ行ってしまいたいと思うだろうか。
「あたしが今の世界を変える。それを見せてやりたい。しきたるのは結構だが、見せらんなくなるのは困るんだよ」
死人に口なし。今となっては本心は闇の中だが、これだけは断言できる。リフィクは未来を捨てていなかった。
ならばその思いには報いてやるべきだろう。せめてもの慰めとして。
「……これは、我々同胞の問題だ。何を言おうが人間には関係がない」
「おいおい、関係あるに決まってるだろ。あたしの子分だぜ」
どちらも譲らず、沈黙の中で視線をぶつけ合う。
いつしか周囲のざわめきも収まり、村民たちは静かに事の成り行きを見守っていた。
「悪いようにはしねぇからさ。こいつのことは、あたしに任せてくれよ」
「……」
ブルフォードはため息代わりに唸り、祭壇へと目を移す。
運ぼうと待機している男たちが、当惑の眼差しを彼へと返した。
「リフィク・セントラン……。人間にここまで思われるとは、この世界も捨てたものではないのかもしれないな」
呟いた声には、どこか祝福するような響きが感じられた。
ブルフォードは再びエリスへ視線を戻す。
「そうまで言うのなら、人間の流儀で弔ってやるのもいいだろう。彼のことは、我々よりもそちらのほうが詳しいようだからな」
表情は厳しいままだったが、寄せ付けないような険はなくなっていた。
他の村民たちも、どうやら異論はないらしい。
同じ『リゼンブル』とはいえ、リフィク自身と親交があった者はいないはずだ。同族意識は強けれど、エリス以上の執着はないのかもしれない。
「ありがとよ。あんたらが話し合いの通じる奴らでよかったよ」
エリスは嬉しそうに笑みを浮かべて、背後のふたりにも目を向ける。
レクトとザットも、同じくほっとしたようにうなずき返した。
ブルフォードの言葉により、祭壇を囲んでいた男性たちが下がっていく。
交代するようにエリスたちが祭壇へ歩み寄ろうとした、そんな時。
「……世界を変える、か……。まさかそれは、『キング』を倒すなどという戯れ言のことではあるまいな」
記憶をたどるように、ブルフォードが問いかけた。
リフィクからいくらか聞いていたのかもしれない。
「そうだけど?」
「……」
彼の表情に、哀れみにも似た色が浮かび上がった。
「……リフィクくんのためを思うなら、引き返すべきだな。彼とて、君らの死までは望んでいまい」
意味深なことを言うだけ言って、ブルフォードは背中を向ける。
さすがにそのまま立ち去るのを黙って見ているわけにもいかず、
「どういうこったよ?」
と聞き返した。
「長年、近くで暮らしているからこそわかる。『あれ』は異質すぎる。少なくとも、他の『モンスター』と同じとは考えないことだ」
振り返らずに答えるブルフォード。 それ以上は、なにも語らなかった。
◆
彼女が倒れてから今までの状況をラドニスが説明しているあいだ――アリーシェは座り込んでうつむいたまま、動こうとも喋ろうともしなかった。
陽光が透けるテントの中である。場所は湖畔。昨夜と同じところだ。
戦闘から退却した銀影騎士団は、ひとまずこの場所まで戻り夜を明かしていた。
次なる行動はアリーシェが意識を取り戻してから、として。
地理的には村の目の前。団員たちはいまだ戦闘態勢を維持している。『リゼンブル』側からの追撃や反撃は、今のところはない。
……と、すべてを聞き終えてもアリーシェは無反応だった。
感情のうかがえない瞳でどこか一点を見つめるのみ。致命傷に近い重体だったということをふまえても、およそ覇気の感じられない姿だった。
「……助けたというの?」
巨大な鉄扉が押し開かれるように、重々しくアリーシェが口を開く。
「『リゼンブル』が。私を……?」
付け加えるなら、刺された『リゼンブル』が、刺した彼女を、となるが。
「ああ」
アリーシェは、ふ、と小さく息を吐く。
「私の近くにはエリスさんも倒れていたはずよ。そのついで……副次的にでしょう?」
「ふたりだけでなく、村全体を包んだ光だった。団員たちの中にも命を救われた者はいる」
「ならそれこそ、村にいた他の『リゼンブル』たちを助けようとしただけかもしれないわ。解釈が好意的すぎるのよ」
「……だがリフィク・セントランならば、充分にありうる。そういう男だった」
「そんなの……ただの、あなたの想像じゃない」
アリーシェは頑なに認めようとしない。
認めてしまえば、自分を支えているものがたちどころに崩れ去ってしまうからだ。
『モンスター』は敵。『リゼンブル』も敵。悪の権化。その理念に則って、数多の戦いを繰り広げてきた。
しかし今回は、その『敵』に命を救われたことになる。悪しき者……悪しきはずの者が、自分に善意を施した。
そして善意ある者を、自分はいともたやすく斬り捨てたのだ。
話も通じさせず踏みにじった。
これでは、どちらが悪かわからない。まさしくエリスの言葉通りである。
支柱が揺らぐ。
ともすればこれまですべての行ないにさえ、波紋が及んでしまう。
そんなことはあってはならない。
敵は敵のままで、悪は悪のままでいなければならないのだ。
自分を保つためには。
「……ひとりにさせてちょうだい」
と呟いたきり、テントの中に沈黙が訪れる。アリーシェは唇を噛むように固く口を閉ざした。
「……耳の痛い言葉だったな」
ラドニスはそれだけ言い残して、テントから退出する。
なにとは言わなかったが、彼女には伝わっただろう。
エリス・エーツェルが訴えかけた言葉。刃を向けてまで、わかってほしかった心根。
それは近くにいたラドニスの耳にも、当然届いていた。
「戦闘態勢は解いておく。が、あとはお前の思うようにしろ。俺はそれに、付き従う」
テントの布越しに投げかける。
しかし返答は、なかった。
◆
アリーシェが意識を取り戻し、戦闘態勢が解除された。仲間たちは一様に釈然としない表情を浮かべていたが、パルヴィーはすぐさまその場を離れて駆け出した。
そうなれば、向かう先はひとつである。
彼女が休んでいるテントへ見舞いに……と訪れたものの、中はもぬけのからだった。
誰もいない。
パルヴィーはテントから顔を出し、辺りをキョロキョロと見回す。
しばらく探し回っていると、湖のへりに目当ての後ろ姿を見つけることができた。
武器も持っていない軽装で、はかなげにその場に佇んでいる。視線は湖面の真ん中辺りを見つめたまま、まるで置物のように静止していた。
「アリーシェ様……」
なにやら声をかけづらい雰囲気ではあるが、パルヴィーはおずおずと近寄っていった。
なにはともあれ目を覚ましたのは喜ばしいことだ。不安でずっと落ち着かなかった胸も、立っている姿を見てようやく平常を取り戻していた。
「パルヴィー。みんなはどうしてる?」
アリーシェが背中を向けたまま訊ねる。冷静な声……もしくは、感情を除外した声、とも言えようか。
「はい、えっと、今はみんな休んでると思いますけど」
交代で休息を挟んでいたとはいえ、一晩中臨戦態勢だったのだ。完全に警戒を解いてはいないが、各々心身を休ませているところだろう。
まっしぐらに来たパルヴィーには遅れるものの、他の者もアリーシェの様子を見に来ているかもしれない。
「それなら、休息が済んだらすぐに出立の準備をするよう全員に伝えてくれる?」
続いたアリーシェの言葉に、パルヴィーは「えっ……?」と眉をひそめた。
「私たちの標的は『モンスターキング』。こんなところでくだらない戦いをしている場合ではないわ」
「くだらない戦い……?」
パルヴィーの表情に、明らかな戸惑いが浮かぶ。
諸般あったとはいえ、アリーシェが始めた戦いと言っても過言ではない。それをたった一晩で、こうもあっさりと覆す……。
状況に応じた方向修正ではなく、手のひらを返したような破棄。
そんな彼女を、パルヴィーは今まで見たことがなかった。
「…………」
パルヴィーの困惑を感じ取ったからか、アリーシェはくるりと振り向いた。
「銀影騎士団の全権は、今は私に一任されているはずよ」
声と同じく、温度の感じられない表情。
「その私の決定に、なにか不服が?」
向けられた瞳は、背後の湖のような、底の見えない深さをのぞかせていた。
「……そういうわけじゃ、ないですけど……」
一度は落ち着いたはずのパルヴィーの胸が、再び不穏に騒ぎ始める。
「あの……みんなに伝えてきます」
パルヴィーは逃げるように、そそくさとその場を去った。
後ろは振り向けなかった。
走り去るパルヴィーの背中を気の毒そうに見届けたあと。アリーシェは再び湖へと視線を移した。
自分の心とは対照的に、波風ひとつ立っていない穏やかな湖面。その穏やかさをどうすれば取り戻せるのか、今はもう思い出せなかった。
十五年以上も前の、あの日の――あの出来事から。平静を装っていただけで、いつだって心の奥底は荒れ狂っていた。
しかし思い返してみれば、そんな波風が、少しだけ和らぐ瞬間もあった。
仲間と一緒にいた時だ。
ラドニス、パルヴィー……銀影騎士団の、志を同じくする者たち。エリス、レクト、ザット。リフィク。
彼らと共に過ごしていたあいだだけは、不思議と安らいでいた。忘れることができていた。
だが、今は……。
「……『キング』さえ、倒せばいいのよ。そうすれば……」
呟いた言葉は、湖畔に吹いたささやかな風に流されていった。
「……そうか」
出立の準備。その用件をラドニスに伝えると、彼は何を疑問に思うでもなくただうなずいた。
彼にしても恣意的なアリーシェには思うところがあるはずだが、とパルヴィーは思ったが、口には出さなかった。
「えーと。レクトくんとか……エリスには……?」
キャンプを離れている三人。今は例の村の中にいるのだと、一度だけ顔を出しに戻ったレクトが言っていたそうだが。
「そうだな。一応、知らせてきてくれ。あとの伝令は私がやっておこう」
答えたあと、ラドニスは痛ましそうに視線を外した。
「もっとも、一緒に来るとは思えないがな」




