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27 優しい時間

 リーリエが描いた夕映えと湖のキャンバスが移動され、音楽ブースに鮮やかな彩りを添えている。照明で美しく照らし出されたリーリエの絵は、太陽の光が沈みきった湖と砂浜に、いまだ夕焼けの余韻を残し、眠らない夜を謳うナイトイベントによく映えた。


「盛り上がってるな。やっぱり誘って正解だった」


 砂浜に続く広い石畳の階段に並んで腰を下ろしたエドガーが、音楽に誘われるように爪先を動かしながら微笑んでリーリエを見つめた。ともすれば大音量の音楽に掻き消されてしまいそうなその静かな呟きだったが、その唇の動きからリーリエにははっきりと読み取ることができた。


 人々の前で久しぶりに披露した自分の絵――。もう描くことが出来ないかもしれないという不安は、エドガーと共に描き始めた最初の一瞬で霧が晴れるように消えていった。

 自分の中に浮かんでいるビジョンとその瞬間をキャンバスに縫い止めていく。儚くも強く美しい煌めきの光景の具現に伴う高揚の余韻は、リーリエの中で静かに燻っている。


 もっと色を重ねて、何かを描いていきたい――。


 ようやく自分の中に戻って来た感覚に、リーリエはすっかり氷の溶けた飲み物を手首を使って回しながら、微笑んでエドガーの横顔を見つめた。


「……ありがとう、エドガー」


「ん? なにが?」


 飲み物の瓶を傾けていたエドガーが、曖昧な発音で応じながらリーリエに視線を戻す。


「私にきっかけをくれて……、きゃっ」


 言い終わる前にエドガーの手が伸び、リーリエの髪をくしゃりと撫でた。小さい頃のエドガーの照れ隠しの仕草に、リーリエは首を竦めて目を瞬いた。


「逆。俺がきっかけをもらったの」


 リーリエの頭に乗せたままの手を弾ませるように動かしながら、エドガーがゆっくりと紡ぐ。


「昔からお前の絵が好きで、今度の注文のことも真っ先にお前の顔が浮かんで……」


 エドガーの手指の力が抜け、リーリエの髪からそっと離れていく。その動きに合わせて首を動かしたリーリエは、エドガーを真っ直ぐに見つめる。エドガーもリーリエを真っ直ぐに見つめ返した。


「だから、礼を言うなら俺の方」


「…………」


 思いがけない言葉にリーリエは目を瞬き、それからその言葉の意味に気づいて頬が熱を帯びて行く感覚に手のひらを押し当てた。


「……そ、その……ありがとな。俺に付き合ってくれて」


 リーリエの変化に気づいたのか、エドガーが急に声を詰まらせて視線を逸らす。リーリエも、自分の変化を意識して熱くなった喉に、慌てて飲み物を流した。


「……私も、誘ってくれてありがとう」


 甘くて少し温くなった飲み物で喉を潤し、空になった瓶を弄ぶ。呟くように紡いだ感謝の言葉に、エドガーは静かな優しい声でリーリエに訊ねた。


「楽しかったか?」


「うん」


 曲と曲の継ぎ目なのか、音楽ブースからの音は、リズムを刻む重低音だけになっている。その音に合わせ得てリーリエは、缶を振るように瓶を動かし、視線をエドガーと共に描いたキャンバスの方へと移した。


「また絵が描ける。描いてもいいんだって、思えた」


 一度は挫かれた心の中の花が、再び力強く咲き誇っている。胸いっぱいに甘い芳香を広げ、眩いばかりの煌めきを見せるその花をキャンバスに重ね、リーリエは笑った。


「……いいに決まってんだろ」


 エドガーが噴き出すように笑って、リーリエの髪をまたくしゃりと撫でる。その手つきは幼い頃のような乱雑なものではなく、柔らかで優しかった。


「好きに描いてくれよ。俺が頼みたいのはそういう絵だ。お前が本当に描きたいと思う絵が浮かぶまで待つからさ」


「……うん」


 ぽんぽんと撫でるように頭に触れながらエドガーが続けた言葉を確かめるように、リーリエはゆっくりと何度も頷いた。心を沈ませていたあのスランプは脱しそうな予感がある。けれど、今の達成感や高揚を以てすっかり立ち直ったと思うのは早計だろう。まだ不安定な時期であると気づき、それとなく諭してくれるエドガーの優しさを感じ、リーリエは安堵の息を吐いた。


「やっぱり幼なじみはいいね。安心するし、私らしくいられる」


「そりゃそうだろ。あんなヤツより、俺の――」


 エドガーの言葉は、再び響いた大音量の音楽によって掻き消される。その声を聞き取ろうと、リーリエはエドガーのそばに身体を寄せた。


「な、なんだ?」


「こうした方が、話が出来るかなと思って」


 身体が触れ合うほど近づいて、エドガーの顔を仰ぐ。エドガーはもごもごと口を動かして相槌を打つような仕草をしたあと、口許を覆って視線を彷徨わせた。


「どうかした?」


「……いや、良い風だな」


 湖の方から、穏やかな風が流れてくる。風に靡く髪を押さえて、エドガーの横顔を見つめていたリーリエは、その耳が赤くなっていることに気づいて目を瞬いた。


「あれ? エドガー、それってアルコールじゃないよね?」


「当たり前だろっ」


 リーリエに向き直ったエドガーが、瓶のノンアルコール表記を指差して、リーリエの腕を軽く小突く。


「飲んだら、どうやってお前を送って行くんだよ」


「そっか」


 蒸気バイク(レッド・アロー)で来たことを思い出したリーリエは、納得して頷き、仕返しにエドガーの腕を頭で小突き返した。


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