356 村巡視
島にはあの後、蛮族討伐隊から2個小隊を残すことになった。物資を提供することは決めたもののリザードマンがまた転移装置を通じて大量にやってくるかもしれないからだ。物資の対価はすぐにはもらえそうにないが、島全体で数えても人の人数はそれほど多くもないようなので、提供する物資もそれほど多くないので大したことではない。尚、魔空艇は鱗とネストルに御願いして元の飛行場までもどしてもらうことにしたのだった。
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島から帰ってから数日後、マートは久しぶりに領内の村を訪問しようとしていた。
それまではずっとリザードマンの記憶を探っていたのだが進展が得られず今日は気分転換することにしたのだ。それならばとアレクシアには見聞史と呼ばれる領内を見て回る役割を持つ内政官や護衛をつれて行ってほしいと頼まれたが、両者ともに自分についてくる力がないだろうし、魔法のドアノブの力を一般の内政官や護衛に教える気もないので断った。その代わり、移動後にはジュディに一度来てもらい後から転移ができるようにしておくことで納得してもらう事にした。
尚、見聞史というのはマートの領内だけに存在する制度で元々はマート自身が村々を回って彼らの状況を見聞きし不満などを解消していた事に由来して設置された見聞局という部署に所属する内政官だ。見聞局は一般の内政を担当する内務局とは違い、補佐官であるアレクシア配下の部局になる。今ではマートに代り領内のすべての村を巡っていた。彼らの仕事は状況の報告を上げるだけでなく各地の特産物を見つけたり、土地の特性にあわせた農作物を提案するといった発展支援、数か月に1回ではあるが文書の配送、或いは街道の点検をしてパウルたちに補修を進言するといった事まで行っている。
マート・ローレライ侯爵の治める領地は大きく2つに分かれている。1つは男爵として初めて治めることとなったウィードの街と南方の海に面するグラスゴーという港街を中心としたウィード・グラスゴー地方、もう1つは伯爵になった際に新たに与えられたローレライに東ブロンソン州を加えたローレライ地方である。
このうち、ローレライ地方は元々ワイズ聖王国の中でも穀倉地帯と呼ばれる程豊かであり、又、内海に面した海運、漁業も盛んな領地である。だが、ウィード・グラスゴー一帯は元々は蛮族の住む土地で痩せた土地であった。所領として受け取った時にはウィードの街もグラスゴーの港街もそれぞれ人口は1万程度の田舎街に過ぎなかったのだ。
だが、マートが男爵領を拓くにあたって当時野心的な内政官を広く募集し、国へ納める税が免除されていたこともあって国内外の様々な農作物や外海でたくさん採れる小魚を利用した肥料、輪作といった新しい農法といったことを試した事、魔人と呼ばれて差別されていた連中やその協力者や家族を受け入れて蛮族討伐隊を結成し蛮族を倒しどんどんと新しい領地を切り拓いた事、ハドリー王国の侵略によって発生したブロンソン州難民や蛮族の支配地域から救出された難民たちの移民を保護し受け入れた事、蛮族支配地域には金や鉄などの鉱山が残されていた事、そういった様々な理由により状況は大きくかわった。ウィード・グラスゴー地方は、今ではローレライ地方以上に税収のある豊かな土地になりつつあったのだ。
彼が訪れようとしている村もそういったウィード・グラスゴー地方の中の一つであった。そこは最近蛮族討伐隊があたらしく開拓したところで、領地成立時の最南端であったメイスンの街からいうとさらに岬を越えて東側の一帯である。領内の内政官たちからは東グラスゴーとよばれているこの一帯はふつうの船なら2週間ほどかかる。担当の家令であり内政官のケルシーからはこの一帯はウィード・グラスゴー地方から独立させて別の地方として管理して欲しいと歎願されていた。
マートとしてもここに到着するのには北のエルフたちが住む巨大な森林地帯にある中央転移公共地点を経由してリリーの街に近い一般棟まで移動し、そこから真っすぐに飛行という手順を踏まざるを得なかった。飛行距離はかなり長く、朝食を食べてすぐに出発したのだが、到着したのはすでに昼近くとなっていたほどだ。
この村は拓かれてまだ1年ほどしか経っていない歴史の浅い村であった。村人のほとんどが北の蛮族の支配地から蛮族討伐隊によって救い出されたという経験をもっている。
「よぉ、平和にやってるか?」
「おう、平和だ」
マートは気楽そうに村の入口で柵の修理をしていた男に声をかけた。まだこのあたりは開拓されたばかりの土地で旅人などめったに来ない。男は珍しそうにマートに返事を返した。マートは冒険者風の皮鎧の上にマントをまとい腰には短めの剣を2本左右に差した恰好で、背中の背負い袋もかなり軽そうでせいぜい隣村あたりから来た狩人ぐらいにしか見えない。
「そうか、村に入らせてもらっていいか? ここの内政官と話がしたいんだ」
「ああ、いいとも」
男はあまり警戒をせずに村の入り口を開けてマートを迎え入れ、内政官たちの居る建物を指さして教えてくれた。彼の様子を見てマートも安心した。蛮族の支配から救い出してきた連中にはやたらと攻撃的になっていたり猜疑的になっている者も居る。もちろん過酷な経験によってそうなってしまっているので仕方のないことではあるのだが、そういった場合、村の入口の警戒はぴりぴりしていることが多いのだ。この村はそういった事も少なそうだった。
マートが会いたいと言った村の内政官というのはパウルやケルシーなどの家令配下にある内務局から派遣されており、この村は領主が居ないので代官も内務局所属の内政官である。彼らの仕事は主に農業や漁業、林業といった産業面の手助け、税金の徴収であるが、最近では戸籍の作成や育児所の運営、教育の手伝いも行うようになった。
育児所というのもマートの領内だけに存在する制度だ。この世界では一般的に10才頃になると本格的にそれぞれの家の仕事を手伝いはじめるのが普通で、それまでは年長の子供に世話してもらいながら家業を手伝ったりしている事が多かったのだが、それでは読み書きなどができなかったり、貧しい家庭では子供に食事もさせられない場合が出てくる。
マート領では街の街区や村といった自治単位で育児所というのを設け、3才から10才になる誕生日までの子供を昼間の間だけではあるが無料で預かり、簡単な読み書き計算を教え、昼食を与える事ことにしたのだ。その合間には小さな子でもできる内職や採集といった事もする。育児所の責任者には一線を退いた老人などが手伝いに駆り出され少しではあるが手間賃が支払われることになっていた。読み書き計算の他に国の歴史や礼儀作法なども教えようという計画はあるが、それを教えれる人材が足らず出来ているのは大きな都市の一部の街区に留まっていた。
この制度については概ね好評のようであった。まず、子供だけではあるが行けば無料で昼食を食べさせることが出来るのだ。もちろん貧しい家庭であれば8才、9才になれば畑仕事や水汲みなどをさせたいという親も居ないわけではなかった。だが、まだ幼くそれほどの力になるわけでもないので子供に1食だけでも十分に食べさせてやることが出来るということを選択しない親は少なかった。また少し余裕のある家庭でも無料で読み書き計算を教えてもらうというだけでも十分メリットがあったのである。
ちょうど手が空いていてマートに応対した内政官は、マートの名前を聞いて文字通り飛び上がって驚き、証明として提示されたステータスカードを穴が開くほどじっと見つめたあと、直立不動の姿勢になった。マートがこうやって領内の村を訪れるのは久しぶりの事だ。一般的な話としてその地方を治める領主、それも高位貴族である侯爵が単独で村を訪れるなどあり得ない話である。それも昔のウィード領の村であれば以前マート自身が訪問したこともあるので驚きも少なかったかもしれないが、彼はそうではなかったのだ。
「まぁ、そんなに硬くなるなって。ほんとはもっと早く来たかったんだがここは結構遠いからなかなか時間がとれなくてな」
それほど広くない内政官の執務室をマートは見回した。まだ木の匂いがする綺麗な部屋だ。そのテーブルで彼はピンと背筋を伸ばしマートを見つめている。
「ローレライ侯爵さまに訪問頂けるとは光栄の極みでございます。事前にご連絡いただければ歓迎式典の準備をさせていただきましたのに」
「いやいやいやいや……。俺は元は冒険者だぜ? そんな式とか堅苦しいのは勘弁してくれよ。まぁ、座りなよ」
マートはあわてて手を振り、にっこり笑って椅子を指す。内政官は緊張しながら椅子についた。そこに内政官の補佐を行っているのだろう若い事務官がお茶を運んできた。20才前後と思われる若い男性だ。マートと同じ黒髪である。上司である内政官の緊張ぶりに驚きながらもマートの前にお茶を置く。
「ご苦労さん。ありがとな。どうだ? この村は順調か?」
いきなり話しかけられた事務官は、マートの正体も解らず、どう返答すべきか戸惑ったようだが、内政官がコクコクと何度も頷いたのを見て話しても大丈夫そうだと判断したらしい。
「作柄もよく芋も麦も順調に収穫できましたし、届いた肥料についても派遣していただいた内政官、事務官の方々から教えていただいた通りの方法で施し作業をしている途中です。これからは冬に向けて大根などの根菜を育てる予定となっていて、順調に冬を越すだけの食料は確保できそうです。水路の整備が進みましたので来年は米も作れそうだと皆楽しみにしています」
若い男性の本当にうれしそうな顔をみて、マートも少しうれしくなった。
「あんたはダービー王国出身か? みんな米好きだなぁ」
「はいっ、私もローレライ侯爵様に救出していただいた者の一人です。米を食べれたのはほんの子供の時で、その後蛮族に連れていかれてずっと麦を育てさせられておりました。収穫祭でお米を頂いて食べた時はその時の事を思い出し、救出されたということがしみじみと感じられてあまりの幸せに涙が出そうになりました。ローレライ侯爵様や蛮族討伐隊の方々には返しきれない恩を感じております」
彼は中空をまるでなにか崇拝するものが見えているかのように篤く見つめながらそう言った。マートが照れたように頭を掻く。
「コンスタンス君、君の目の前の人がそのローレライ侯爵様、伝説の聖剣の救護者だよ。この村の様子を見に来て下さったんだ」
内政官は誇らしそうにそう若い事務官に告げた。彼の名前はコンスタンスというらしい。彼は内政官と同じように飛び上がって驚き、そのままその場に膝をつき、マートにむかって地面に顔を擦り付けた。
「ローレライ侯爵様!!!」
「いや、ちょっと待った、そんなことをしなくてもいい。俺は出来ることをしただけだ。それも実際にあんたたちを救ったのは蛮族討伐隊の面々だし、王国に払う金を安くしてもらってるからその分を使えてるだけなんだぜ」
「いえ、皆ローレライ侯爵様の配慮があってこそのおかげです。蛮族に奴隷とされていた我々に安全に住めるところ、食べるもの、着るもの、そして生きていくための農機具や種、新しい肥料というものまで提供して頂きました」
「そいつについてもたぶん内務局から通達が行ってるだろうから知ってるだろ? 来年か再来年、十分に食料が採れるようになったら、次の村を開拓するための手助けをしてもらうことになるって。あんたたちを受け入れた村もそうやって準備されたもの。俺はその仕組みを用意してるだけさ」
若い事務官はマートの言葉が耳に入っていたかどうか怪しい。そして何かに思い至ったらしく、急に立ち上がる。
「! み、皆を連れてまいります。みんなローレライ侯爵様には一言でも礼を……」
彼はそう言って部屋を飛び出していった。
「まいったな。だけどまぁ、みんな助かったのならよかったさ」
マートはせわしなく大声を上げて皆を呼びながら走っていく事務官の背中を見つつ自分の頭をくしゃくしゃと掻いた。そしてその顔にはすごく嬉しそうな微笑みが浮かんでいた。
読んで頂いてありがとうございます。
説明が多くて今回は長くなってしまいましたが、マートは侯爵になってもたまに村を回っていますということで……。
教育については、読み書き計算、簡単な仕事経験を10才になるまでに行いたいというのと、それまでは飯をとりあえず食わせ、生きていけるようにしたいというのが孤児であったマートの願いでそれを実現しようとこんな制度を始めています。まだ数年というところなので今後いろいろと変わっていくかもしれません。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
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