332 獅子のごとく
ローレライ城へのマートの帰還に一番最初に気が付いたのは女官長であるエバだった。彼女はアレクシアからライラ姫の輿入れの話を聞いてはいたものの、そんなことはなにも表情に出さず、居室にいるマートの許にいつものように顔を出した。
「おかえりなさいませ、マート様」
「ああ、エバ。ただいま。今帰ったところだ。いつもありがとな」
マートは丁度外套を脱ぎ、壁のフックに掛けようとしていたところだった。エバはすっと近づき、マートから外套を受け取る。
「いえ、女官長というお仕事もいただいておりますし当たり前です」
「ちょうど良かった。エバとも話をしたいことがあったんだ」
「えっと、他の方もお呼びしましょうか?」
「いや、まずは2人でのほうがいいな。立ち話もなんだから座ってくれよ
マートはそう言って自分もソファに座り、対面のソファをエバに勧めた。女官という立場から他の客が居るときには座らないエバだが、マートの気質もわかっているので、軽くお辞儀をして座る。
「えっとよ、聞いてるかもしれねぇが、ライラ姫との婚姻の話が出たんだ。ずっと俺は結婚はしないつもりだった。それは、俺みてぇな前世記憶持ちの子供が生まれることについてずっと恐怖感のようなものがあったからだった」
「はい。朧気には存じ上げております」
エバは少し当惑気味に頷いた。
「今までも何度か、もし前世記憶をもった子供が生まれても大丈夫ですと言われてはいたんだ。前のエミリア侯爵から告白されたときもそうだった。だけどよ、いまいち納得できなくてな。今回も海辺の家で1日ずっと考えてた。そして、その後、研究所に行ってバーナードとも話をしてきた」
「バーナード様と……?」
エバはさらに首を傾げる。彼女にとってバーナードは魔道具の研究をしている顔中髭だらけの大きな人というイメージしかなかった。ほとんど話をしたことはない。
「まぁ、いろいろと聞いてな。それで、結婚をする事にしようと決めた。とはいっても 霜の巨人と嵐の巨人をなんとかしてからだがな」
「そ、そうなのですね。えっと、それでは、女官長の方は王城から新たに来ていただかないとですね。わたしのような者ではライラ姫の……」
「ん? 女官長? いや、それより先にだ」
慌てるエバの手をマートがとった。
「エバ、エバはずっと俺についてきてくれた。俺と結婚してくれる気はあるか?」
「えっ……?」
「先に言っとく、俺は酷いやつかもしれない。同じことをエバだけじゃなく何人にも問おうと思ってる。それでも、こうやって尋ねるべきだとおもってな」
エバはすこし俯いた。彼女は自分の手に重なったままのマートの手をじっと見つめている。すこし間が開いて、ゆっくりと顔を上げてマートを見る。
「ありがとうございます。お言葉は嬉しいです。ですが、あの、私は元はと言えば盗賊たちの慰み者になっていた穢れた身です。マート様の妻になれるような身ではありません。こうやって近くにお仕えできるだけでも有り難い話なのです。アンジェに……、そのお言葉はアンジェにおかけいただけませんか」
「アンジェか、あいつはまだ若いんじゃねぇか?」
「いえ、あの子はマート様一筋です」
マートは苦笑を浮かべた。
「わかった。アンジェにも時期を見て聞いてみようとおもってはいた。だが、その前にエバだ。とっくに過ぎた過去の話なんてどうでもいい。そんな事を言ったら、俺も生きるためにはいろんなことをしてきた」
「少し考えさせていただけませんか」
「もちろんいいさ」
「他にはどなたにお尋ねになるつもりですか?」
エバはそのままマートの顔をじっと見上げている。
「そうだな。お嬢、シェリー、姐さん、アレクシア、モーゼル、エミリア侯爵、あとは……」
マートは少し戸惑いながらも順番に名前を上げ始めたが、そこで扉の外に気配を感じた。
「ん? 誰だ?」
「私だよ。猫、入っていいかい?」
「姐さんか。もちろんいいぜ、普通なら気づくんだがな」
扉を開けて入ってきたのは話題の1人、アニスだった。
「エバの手を握って何に必死だったんだい? ちょっと悪い事しちまったかねぇ」
アニスは揶揄うように言う。マートはエバの手を離し頭を掻いた。
「今まで誰とも結婚しないと言ってたのを撤回しようとおもってな。まずはエバを口説いてた。大丈夫、今は大体終わったところだ」
「おやおや、それは大事件だね。みんなが大騒ぎするよ。エバと結婚するのかい? ライラ姫はどうするんだね」
アニスはすこし驚いたような顔をした。
「もちろんライラ姫とも、許してもらえるのなら、あと、お嬢やシェリー、姐さん……」
「おいおい、ちょっと待っておくれよ。私は勘弁しておくれ。まぁ一夜の夢ぐらいならいいかもだけどさ、結婚までは柄じゃないね」
「そうなのか? 俺の両腕が動かない時、あんなに親身になっていろんなことをしてくれたじゃねぇか。俺はてっきり……」
「よく考えなよ。もしそうならその時迫ってたさ。あんたはまぁ弟みたいなもんだね。それもとびっきり世話の焼ける弟さ」
アニスはにやにやして応えた。
「そうか、俺の思い込みか……」
「告白してくれたのに悪いね。ジュディさまとシェリーの他は誰に声をかけようと思ってるんだい?」
「あとは、アレクシア、アンジェ、エミリア侯爵、リサ姫ぐらいには聞いてみようと思ってる」
アニスは肩をすくめた。立ち上がろうとするエバを制してその隣に座る。
「まるで草原にすむ獅子の家族だね。でも、エミリア侯爵とリサ姫はいろいろ問題がでるかもしれないからすぐに声をかけるのは止めておきな」
「そうなのか?」
「私はそう思うけどね。パウルあたりに聞いてみなよ。侯爵家当主同士や別の国の王女との婚姻とか、王家がピリピリしちまうっていうんじゃないかね」
「んー、エミリア侯爵は正式に申し入れしてくれたからな。ちゃんと言っておきたいんだがな」
「その頃とは状況が違うよ。まぁ、彼女ならわかってるだろうから、話をする分にはいいかもだけどね。リサ姫はライラ姫と話をしてからにしたほうが良いと思うよ。どうせ、猫のことだから最後はすきなようにするだろうけどね」
「ありがと、わかった。姐さんは何か用事があってきたのか?」
「猫が帰ってきたみたいだから様子を見に来たのさ。お嬢、シェリー、アレクシア、アンジェの4人は集まってなにかひそひそ話をしてるよ。気になるんだろうね。早く行ってやりな」
「わかった。すぐ行く」
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