309 転移先探索
翌日、マートは早速水都ファクラに向かった。ファクラは魔法のドアノブで巨大アリの巣・ドワーフの集落を経由すればすぐ近くなので気楽なものだ。転移門を開く先を探す目的なので、ジュディには転移門を開くための転移鍵をすぐに作れるように研究所で待っていてもらう。
ファクラの郊外は豊かに麦が実り、古都グランヴェルで以前見たのと同じようにゴブリンたちが収穫に追われていた。マートにすれば目を疑いたくなる光景であるが、大陸東部ではこれが普通になりつつあるのかもしれない。
マートは幻覚呪文で姿を隠したまま空を飛んでファクラに入った。だが、その途端に都市を覆う生臭い悪臭に思わず顔をしかめた。何が原因かと見回すと、都市に張り巡らされている運河沿いの道にはいたるところに緑色の卵と卵の殻が転がっているのに気が付いた。大きさは20~30センチほどだろうか。おそらくリザードマンの卵だ。
リザードマンは生まれたときは身長が30センチほどで、生まれてすぐに水の中に入り、そこで半月ほどで身長1メートルまで育ち、その後は大人のリザードマンに混じり生活をするという。
水の中ということは……恐る恐る都市を縦横に張り巡らされた運河をのぞくと、大量のリザードマンの幼生がうじゃうじゃと水面を覆いつくしていた。あれで食べ物は足りているのかと思うが、共食いなどをしていないところを見ると残飯などを川に撒いているのかもしれない。この卵と幼生が悪臭の原因のようだった。
あまりの悪臭に吐き気を堪えながら、マートは転移先の候補を順番に見て回る。一つ目は倉庫街区だった。大きな倉庫が数多く立ち並んでおり、人通りは少ないだろうというのがギルバ男爵たちの見立てであったが、実際に見るとそこは予想に反して、巨人族でいっぱいだった。彼らは倉庫街の倉庫を寝床として使っていたのだ。巨大な体を持つ彼らが雨露をしのげるところは逆に倉庫ぐらいしかなかったのかもしれない。壁の一部や2階部分を壊して吹き抜けとした状態で住居として使っているようだった。これでは、転移先として使うのは難しそうだった。
マートは続けて繁華街区やその横のスラム街区、住宅街区といった候補の場所を見て回るが、これらはどこもゴブリンやラミアたちが潜り込み占拠していた。これでは市街区内のどこを選んで転移門を開いたとしても、いきなり戦闘になってしまいそうである。ハドリー王国の騎士団がどこまで数を引き付けることができるかにもよるが、蛮族は人間とちがって非戦闘員というのはほとんど居ない。市街区内から戦いを始めるのはかなり苦戦しそうな気がした。
とりあえず市街区で転移鍵を作ってもらうのは一旦諦め、残る候補であるファクラ城の中に入ることにした。魔法感知も含めて遠目で見る限り、城には侵入警戒の魔道具などはないものの、見張りはかなり居た。それもゴブリンメイジが含まれている。彼らには幻覚によって姿をくらましていても見破られる可能性があった。場合によって運河の水の中を抜けようとも考えていたが、それもリザードマンの幼生のせいで無理そうだった。
残る手段としては、変身呪文で蛮族に化けるか身縮めで小さくなるかぐらいか。そう考えたマートはゴブリンの姿を借りることにした。マートは近くを歩いているゴブリンの姿をよく観察してから呪文を行使する。
『変身』
ゴブリンの姿になったマートは何故か身体全体にむず痒さを感じた。身体を擦るが、一向にそれは収まらない。自分自身の体臭もかなりキツイ。ゴブリンというのはずっとこのような痒みを感じているのだろうか。すこし苛々しながら、マートは出来るだけ変身しているのは短い時間にしようと心に誓った。マートはマジックバッグと身縮めの腕輪を再び身につけるとおそらく食料だとおもわれるものを運んでいる一団に紛れ込み、そのまま城の中に入るのに成功したのだった。
中に入ってみると、街区と違ってファクラ城の中は閑散としていた。所々に警備だと思われるホブゴブリンやゴブリンメイジが立っているが、行き交う者はほとんどいない。
「ウギャギャ、ウギャ……(何をぼーっとしているんだ。さっさと運べ!)」
門のところに立っていたホブゴブリンが叫んだ。ゴブリンに変身しているマートにもなぜかその言葉の意味がわかる。彼は驚きで思わず立ち止まった。
「ウギャギャ……(そこ、止まるな)」
マートゴブリンは急いで荷物を担ぎ直し、前のゴブリンの後ろに追いつく。
“変身呪文では蛮族と言葉が通じるというのは、前に言ったじゃろう。忘れておったのか? ゴブリン特有の体臭などもそうじゃが、言葉を理解する耳なども変身することによって切り替わるのじゃ”
魔剣が念話でそう説明してくれた。そういえば魔剣から変身呪文を使った魔族は人間の言葉を話せると聞かされたことがあった。だが、その時はラミアの使う人間変身やスライムの変形といったスキルとは違って変身呪文で蛮族が人間に変身した場合、言葉も人間と同じように使えるという理解だったので逆に人間が蛮族に変身したら言葉が使えるといった事までは思いついていなかったのだ。
マートはこれでいろんなことがわかるかもしれないと少し興奮したが、とりあえず見張りのいない廊下の角でゴブリンの一団から離れる。ところどころ城内には人間の言葉で案内のようなものが書いてあるが、その文字はただの模様のように感じられ、読めなくなっていた。
ギルバ男爵に見せてもらった城の見取り図を思い出し、一番情報がやりとりされていそうな場所を考える。やはり王座の間か。転移先を見繕うのも必要だが先に情報を得ておいたほうが動きやすいかもしれない。だが、城内に蛮族が少ないというのは予想外だった。諜報を警戒してのことだろうか。これではゴブリンの姿に化けただけでは諜報活動は難しい。
マートはどこからも死角となりそうな物陰に入り込むと一旦変身を解いて、ベルトポーチ型のマジックバッグと身縮めの腕輪を外して地面に置いた。基本的に変身呪文の効果時間内は装備は全て変化に取り込まれて使えなくなる。だが、取り外しておいて変身後に身につければ当然使う事が可能だ。ただし、これらは変身呪文が解ければその場に落ちる事になるので注意が必要である。
王座の間はさらに警戒が厳しいだろう。マートは身体を縮小させて潜み込むことにしたのだ。マートは言葉を理解するために再びゴブリンの姿となり、身縮めの腕輪を使って身長5cm程の最小サイズになると、飛行スキルをつかい天井を這うようにして移動をし始めた。
王座の間には、20体ほどの蛮族が居て何か話し合いを行っていた。小さくなった姿でマートはこっそりと中を覗きこむ。レインボウラミアが王座に座っており、その周りには海巨人や山巨人が1体ずつ、そして、キロリザードマン、ヴィヴィッドラミアといった面々が立っていたが、 霜の巨人や嵐の巨人の姿はなかった。
「ギャギャギャ……(愚かな人間どもが山の集落に兵を集めていやがるぞ)」
「ギャヒギャギャヒ……(山々々の集落では兵が減った。やっちまえ)」
「ギャギャギャ……(山々の集落も兵が減った。やっちまえ)」
「ギャギャギャ……(イクトゥルソ様が山々々の集落に向かうらしいぞ)」
王座の間ではなにやら大きな声で叫ぶようにして会話がおこなわれていた。だが、困ったことに集落の名前やおそらく蛮族の司令官らしき名前が実際に何を指すのかがわからない。兵を集めているということは山の集落というのが白き港都オランプか或はハドリー王国の王都グレンのことである可能性はあるが、また別の所なのかもしれない。マートとしては首を傾げるばかりで、しばらくして蛮族の話し合いは終わったものの、今回の潜入に役立つような情報は得られなかったのだった。
今回立ち聞きした内容の検討は帰ってからだな。マートは王座の間での情報収集はここまでにして、改めて候補先を順番に回ることにした。
食糧庫、衛兵隊詰所、これらはやはりホブゴブリンやゴブリンメイジたちの住み処になっていた。数は少ないので奇襲して占拠することは可能そうではあるが、今それを行うのは無理そうである。
最後に城の船着き場を覗く。ファクラ城には荷物を搬入する船が出入りするための水上門があるのだが、そちらは使われていないのではという予測に基づいたものだった。運河がリザードマンの幼生だらけだったのもあって、マート自身は望み薄ではないかと後回しにしたのだが、予想外な事に水上門は閉まったままで、ここにしばらく誰かが入った様子はなかった。船着き場には数隻のボートが泊まってはいるものの隣接する倉庫も含めて蛮族の姿はない。船を使えば出入りは楽だが、徒歩の場合、倉庫からは一度城の地下に出るしか外に行く方法はない。蛮族で船を使うものは少ないかもしれないというギルバ男爵たちの見立ては当たっているのかもしれない。
念のためしばらく隅に潜んだが誰もこの区画にやってこない。マートは元の人間に戻ると、ジュディを呼んでここに転移門を開くための準備をすることにした。これで、ひとまず依頼された事の下準備は完了だ。
読んで頂いてありがとうございます。
一迅社さまより書籍は絶賛発売中です。そちらもよろしくお願いします。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
見直してはいるのですが、いつまでたっても間違いが無くならない……申し訳ありません。
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