276 セドリック王子
マートが白亜の城と呼ばれるオランプ城の大広間に通されると、城主の席に座っていたセドリック王子は立ち上がって駆け寄ってきた。
「マート伯爵、久しぶりだ。いろいろと助けてもらっている。ありがとう。君にはいくら感謝の言葉を重ねても足りないな」
彼は親しげに握手を求めた。相手は一国の王子で、周囲にはダービー王国の廷臣も居る。マートは慣れない様子でぎこちなくその手を取り微笑んだのだった。
「セドリック王子、あの時は王族とは存じ上げず失礼いたしました。国土奪還にむけて準備は順調に進んでいると伺っております。よろしゅうございました」
マートの堅苦しい言葉を聞き、セドリックは苦笑を浮かべた。
「そう伝わっているのか。実際のところ準備はまだまだなのだ」
そこでセドリック王子は言葉を切り、周りを見回した。マートの耳元に口を寄せる。
“残念ながらハドリー王国はなかなか本気で軍を動かそうとしてくれぬ。我が国が提供できるものは少ない故な。ラシュピー帝国が羨ましいよ。ハドリーを動かすためには妹のリサをカイン王子に輿入れさせるしかないかもしれぬ”
声を抑えてマートにだけ聞こえるぐらいの声で彼はそう囁いた。カイン王子はそろそろ40歳に近いはずだ。正妃も居るし、子供もたしか何人か居た筈だ。マートが反応できずにいると、セドリック王子は顔を離し、改めてマートの握手したままの手を持ち上げる。
「ワイズ聖王国の英雄、聖剣の救援者として名高いマート・ローレライ伯爵である。私は彼に何度も命を救われた。彼は我が国の救援者でもある。彼の来訪を心より歓迎する」
「マートだ。歓迎を心から感謝する」
セドリック王子の言葉にマートもあわてて大きな声を上げた。大広間に居た廷臣達はみな拍手をした。
「マート様!」
そこに、女性の声がした。リサ姫であった。彼女はすこし息を弾ませながら大広間に入ってきた。淡いピンクのドレスを身にまとい、頬を少し赤く染めている。彼女は2人の近くまでくると、丁寧にお辞儀をした。
「リサ、少し落ち着いたほうがいいよ」
「お兄様、申し訳ありません。マート様に早くお会いしたくて。マート様お久しぶりでございます」
リサ姫の声は少しうわずっていた。
「リサ姫様、ご無沙汰しております。出発されるときは非常に不安そうなご様子でしたので安心いたしました」
マートは礼をし、そのように応えた。リサ姫としてはその口調に少し不満げな様子であったが、廷臣たちがいる場では仕方ないと考えなおしたらしい。軽く微笑む。
「はい、マート様のおかげでお兄様とお会いできました。我が国の騎士たちもうまくこちらの戦線に転戦できワイズ聖王国やハドリー王国との共同戦線により国土奪還の可能性も出てきたと伺っています。ありがとうございます」
マートはさっきセドリック王子に囁かれた話は気になったものの、とりあえず微笑み返した。カイン王子に輿入れさせるというのは本気なのだろうか。たしかに可能性はないとは言えないが……。
「そういえば、我が国の内政官が先月お邪魔させていただいたが、うまく米が育っていると感心していたよ。それも収穫の一部をこちらにも回していただけるという話になっているらしい。本当に良いのか?」
セドリック王子が言う話は、ダービー王国の農夫たちがウィード南部に一時的に退避して耕している田畑の収穫物の事だ。
今春に成立したワイズ聖王国とハドリー王国との間の同盟条約で、白き港都オランプ及びその付近一帯はハドリー王国からダービー王国に復興のための拠点という事で貸与されることとなった。だが、その時点ではセドリック王子の生存は確認されておらず、その領民の存在についてももちろん考慮されていなかった。
オランプの周囲には元から農夫が生活しており、彼らはそのまま留まって、貸与されている間は、税をハドリー王国ではなくダービー王国に納めることになっている。それが、当面の国土回復のための資金となるということだったが、ということは、ダービー王国からセドリック王子が連れてきた農夫たちは行くところがない事になった。
なんとか空き農地を見つけて調整したいが時間はない。それを知ったマートは、ウィード南部で未開拓の土地を開拓する気があるのであればという事で彼らを受け入れることにした。
ウィード南部にやってきた彼らは戦いのない平和な土地を喜び頑張って開拓を始めた。だが数週間が経ち状況に慣れ始めた彼らは望郷の念を感じ始めたようだった。それに気づいたマートは、彼らの愛国心を考慮して、税を納めた場合、そこから2割ほどをダービー王国に贈ることにすると告げたのだ。
税を納めた場合という条件付きなのは、マートの領地では開拓が奨励されていて、新規開拓地は2年の間収穫量が少ない場合、税を納めなくてよいというのが特例として認められているからだった。その時マートはその期間が過ぎた2年後の税収をダービー王国に贈れるように頑張れという程度のつもりだったのだが、この話で半ば見捨てられたようにも感じていた農夫たちが奮い立ったらしい。かれらが植民した土地からは初年度であるにもかかわらず、農夫たちが生きて行くのに必要な量よりはるかに越えた収穫を得たのだ。彼らは誇らしげに税を納めた。それはマートとしても助かる事であったが、税収の少ないセドリック王子にとってはさらにありがたい話であったようだった。
「礼は領民たちに言ってやるのが良いでしょう。彼らが頑張った結果です。早く自分の土地に戻りたい、そのためにという事なのでしょう」
マートは舌を噛みそうになりながら、そう答えた。
「うむ。わかっている。またカイン王子に陳情に行かねばな。早く水都ファクラ奪還の軍を挙げたいと……」
陳情という言葉を聞いて、マートはヘイクス城塞都市を追われたままのワーモンド侯爵の嫡子、サミュエルを思い出した。東西で事情はかなり違うが、故郷に早く帰りたいという気持ちは同じなのだろう。
「マート殿も長い航海で疲れておられるだろう。いろいろと話も聞きたい。別室に移って一緒に食事でもどうだ?部下の方々にも食事と部屋を用意しよう」
セドリック王子の言葉で大広間の式典はお開きとなり、マートとアレクシア、ハンニバルの3人は別の部屋に案内された。ダービー王国側は、セドリック王子の他、騎士団長のカルヴァン、リサ姫、そしてギルバ男爵と名乗っているギルバード伯爵の4人だけだ。ワイアットとエリオットは蛮族討伐隊の面々や船員たち、そしてハンニバル配下の小隊の騎士たちと一緒に別の部屋に移動していった。
「もう、堅苦しい言葉はつかわなくて良いぞ。マート殿。以前の口調で行こうではないか」
料理が運ばれてきて、酒で軽く乾杯をすると、セドリック王子はそう言った。リサ姫も横で頷いた。
「ああ、助かる。宮廷での言葉は苦手でよ」
マートは大きく息を吐いた。喉が渇いていたのか手に持った酒の杯をくいっと一気に煽る。
「マート殿、そなたには改めて礼を言う。ファクラからの逃亡中、巨大アリの巣に落ちた際には、父上や兄上が命を捨ててまで私を逃がしてくれたのにと血の涙が出る様な思いであった。そなたはいとも簡単そうに助けてくれたがな。あの出来事で私は心を入れ替えた。今ではカルヴァンや多くの者たちに支えられて、このように戦っていられる。本当にありがとう。しかし、その証という気分であのキタラをそなたに譲ったのだが、それが巡り巡って遠いワイズ聖王国でリサの目に留まるとはな」
「ああ、これかい?」
マートはマジックバッグからセドリック王子に貰ったキタラと呼ばれる竪琴を取り出した。片手に抱え、ポロポロリと音を奏でる。
「ああ、久しぶりに聞いた。良い音だ。我が国の伝説とも言える名工がつくったものでな。今となってはもうその1張りしか残っておらぬだろう」
「少し弾いてみるか?」
「いや、止めておく。もう大丈夫だと思うが今は心が揺らいでは困る。もし無事に国土が回復できた折には一度」
「わかったよ。でも、そうなってもこれは返さねぇぜ? うちの精霊たちのお気に入りなんだ」
マートの言葉に、セドリックは苦笑を浮かべた。
「もちろん、それは私の命の代償だ。返してくれとは言わないから安心してくれ」
「マート様、一曲弾いてください」
じっと話を聞いていたリサ姫が、両手をあわせお願いというような仕草をした。マートはこんなところで弾くような曲はないと一度断ったが、セドリック、そしてアレクシアまでもが是非にと言いだして、断り切れずいつも通りの下町の陽気な歌を歌ったのだった。ギルバード伯爵は静かに聞いていたが、カルヴァンとハンニバルは楽しそうに手拍子を打ちはじめた。
「そういえば、マート殿は、冒険者の出身だとか。大広間に居た時より、今の方がイキイキとしておられる」
ギルバ男爵はそう呟いた。
「ああ、そうだな。いろいろ目立っちまってただの冒険者では居られなくなっちまったけどな。こうやってるのが気楽なんだ」
そう言ったマートの目はたしかにイキイキとしていた。
「話は尽きぬが、酔ってしまう前に蛮族の内海での話をしておきたい。領民たちが船で運ばれているとか?」
どんどんと話は盛りあがってゆきそうだったが、セドリック王子がそこで口を挟んだ。彼も抵抗活動の中で、農夫がつれさられたりしている場面は何度も遭遇していたらしい。だが、どこに連れていかれているのかまでは追跡しきれずにいたようだ。
マートも一旦キタラをしまい、改めて古代港湾都市遺跡で分かったことを説明した。そして、この後3隻の船を率いて訓練航海を続けながら内海の蛮族が支配する港を巡ってくる予定だと告げる。
「なんと、そうか。北の荒野に連れ去られているのだな……。かつての王都より北、蛮族の住む北の荒野は冬には雪と氷に閉ざされ凍てつくような寒さだと聞いたことがある。そのようなところに」
セドリック王子は、そう呟くと目を瞑って天を仰いだ。
「ああおそらくはな。でも焦るなよ。少しずつ進んでいくしかねぇ」
「私がその調査行についていくことは可能だろうか?」
マートはあわてて首を振る。セドリックもやはりそうかといった様子で軽く頷いた。
「もし、鹵獲した船とかがあったら、こっちの港に入港させるかもしれねぇ。その時は保護を頼む」
「もちろん、わかった。くれぐれも気をつけてな」
読んで頂いてありがとうございます。
一迅社さまより書籍は絶賛発売中です。できればよろしくお願いします。
エルフの森の異変解決までには少し時間がかかりそうです。
誤字訂正ありがとうございます。いつも助かっています。
評価ポイント、感想などもいただけるとうれしいです。是非よろしくお願いします。




