220 過去の過ち
王都西側の丘陵に立ち、明け方が近くなって発生した薄いもやの中の王城を遠目に眺めて、マートは大あくびをした。寝入り端を館の周りに集まった騎士たちの足音で起こされ、ライラ姫を連れて馬でフレア湖畔まで往復し、アレン侯爵邸に侵入して、さらにクローディアには逃げられたものの彼女の部下と戦闘した後のこの探索行である。いくらマートが若いとは言え、かなりのオーバーワークであった。
まだようやく白み始めただけの朝の日に辺りはぼんやりと照らされているだけだが、マートの目には西塔ははっきりと見えていた。どこから忍び込むかを考えていたマートは、一つ不思議な事に気が付いた。西塔の上部にある胸壁に囲まれた建物部分の青いスレートの屋根に窓があるのだ。もちろん窓の形が変わっているというわけでもなく、おそらく30センチ四方ぐらいのありふれた窓である。だが、以前警備状況の確認をした際に、西塔も回ったが、窓がある部屋は一つもなかったはずだった。
隠し部屋だろうか?マートはまだ完全に明けきっていない朝靄の中を物陰に身体を隠しながら飛行してその窓に向かうことを決めた。監視の衛兵たちが居る位置や人数は大体把握している。死角を狙って移動し、どうしても難しいところは警戒用の魔道具の隙間で幻覚呪文を使ったりして慎重に進む。マートの知らない所にも、警戒用の魔道具があって魔法感知呪文にたまに反応したりするので、あまり早くは進めない。それでもなんとか1時間後、完全に日が昇った頃には、塔の窓の位置にまでたどり着くことができたのだった。
窓から中を覗いてみると、そこは石造りの三メートル四方ほどの棚などもない小部屋だった。床には唯一ハッチ式の扉がある。全体的に埃が積もっていて誰も出入りした様子はなかった。窓の大きさはマートが入れるほどのサイズではないが、魔法感知に引っかかるものはなかったので、一時的に変身呪文で例によって幼い頃のアンジェに化けて窓枠を抜けてするりと中に入ったのだった。
この部屋はピール王国の魔法使いが出入りしていた聖剣庫への入口なのだろうか、それとも聖王国の昔の王がつくった隠し部屋なのか。マートはそんなことを考えながら、魔法感知の呪文をかけ直すと、注意深く床のハッチを持ち上げた。黴臭い臭いがふわっと立ち昇る。ハッチの先は一メートル角の深い竪穴になっていて、ハシゴ代わりと思われる石の出っ張りが規則的にあった。
マートは飛行スキルを使い、頭からその竪穴に入り込んだ。中は当然真っ暗だが、マートにとっては問題ではない。竪穴はおよそ百メートルほど続き、塔の地上での高さはとっくに越え地中深くに相当する位置にまで続いていた。マートが調べた限りでは、途中に隠し扉などがある様子は全くなかった。そして、そこからたどり着いた先は両辺が10メートルほどの部屋だったが、竪穴からの出口には感知用の魔道具が隠されて仕掛けられていた。
マートは魔法無効化の魔道具を使ってその感知用の魔道具を無効化し、取り外してマジックバッグに放り込んだ。そして魔法無効化の魔道具は有効なまま、部屋の中に降り立つ。部屋には扉が一つあるきりで、家具の類は見当たらない。だが、壁にはいくつか魔道具が仕掛けられており、マートが部屋の中に降り立つや否やそこから魔法の矢呪文による魔法攻撃が無効化の魔道具の効果に守られたマートに降り注いだ。だが、当然その魔法の矢は魔法無効化の効果範囲に入った時点で立ち消え、いずれもダメージを与えることはなかった。マートは感知用の魔道具と同様に、その魔道具も一つずつ回収していったのだった。
部屋が安全になると、マートは魔法無効化の魔道具を停止し、唯一存在する扉を開けた。その先は両辺が30メートルほどの広い部屋になっていた。壁一面に画が彫られており、マートが入った扉は隠し扉となっていた。その真ん中に聖剣二本と盾が飾られ、隠し扉とは別に一つ出入り口が存在した。
壁画はドラゴンが街を襲うところやにげまどう人々、戦う騎士たちといったものだった。積もっている埃などからすれば、おそらく作られてからかなり年月が経っていると思われた。そして、所々にマートはきちんと読めないが、ピール王国で使われていた言語で何か彫られている。
“魔剣よ、何が書いてあるんだ?”
“うむ、読むぞ。龍の記憶に目覚めた邪悪な存在が、街を襲い、人々を苦しめた。このような事が二度と起こらぬように我々は誓う とあるの”
誓いの言葉か。何か教訓にすることがあったという事だろうか。
“ピール王国暦 645年 使役していたオークが反乱を起こした。簡単に鎮圧できると思われたが、その者はドラゴンの前世記憶を持っていた。その者は、ドラゴンの力を用いて街を焼き払い、人々を殺した。反乱は抑える事ができず、瞬く間に全世界に広がり、前世記憶をもつ蛮族たちが世界を破壊した。これは、輪廻転生の理に手を加え、前世記憶を使って安易に魔法の力を手に入れようとした我々の過ちである。今後、蛮族たちが持つ前世記憶については慎重に注視せねばならぬ。辛うじて、そのオークは倒すことができたが、我らがピール王国は復興できぬほどに破壊され、世界は分断され、人間は危うく滅亡するところであった。これらの教訓について、新しい国を築き、その王となった者に伝える。前世記憶をもつ蛮族には注意せよ。彼らは我等が思いもつかぬ事をおこなう。人間は一致団結し、すべての力を用いて人々を守らねばならぬ。ドラゴンなど危険な前世記憶を持つ蛮族が生まれた場合には念のため聖剣に警告がなされるべく準備は整えたが、あくまでそれは安全装置でしかない。蛮族の動向には常に注意するのだ”
すべてのパーツがかみ合った気がした。安全装置。たしかにあの聖剣への神託を行うための魔道装置について、ピール王国の魔法使いは安全装置だとエルフの長老に告げていた。一度は滅亡の危機に瀕して、これらの仕組みを用意したということか。ということは、ステータスカードは蛮族側でも普及するような仕組みを用意したのだろう。ステータスカードというものを作って前世記憶を持つ蛮族を監視し、それに対抗しうる人間側の戦士を選んでいたのだ。だが、ステータスカードがなければ力に気付かない蛮族や人間も居ただろう。それでも、監視のために必要だと古代の魔法使いは考えたのか。
研究棟にあった魔道装置、そして研究資料について、ずっと目的は解らなかった。ゴブリンを実験台にして、何かの能力の発現を調査しているようだったが、これは前世記憶について研究したのだろう。ゴブリンは誕生サイクルが短い。彼らの中で前世記憶があるものを調べたに違いない。それが、輪廻転生の理に手を加え、前世記憶を得ることによって魔法スキルを簡単に得るための工夫ということか。
ステータスカードには人間が前世記憶で人間である場合、前世記憶としては表記されないというのは、この半年の解析作業によってわかっていたが、その理由はわかっていなかった。だが、今ならわかる。現れないが生まれた時から得られるスキルというのは、すべて前世記憶なのだ。魂が前世記憶を引き継ぎ、音楽が得意だったものが死んで生まれ変わった場合、その相手も音楽が得意になる。それが生まれたときから得られるスキル。
人間が人間に、蛮族が蛮族に輪廻転生しない場合、魔獣や蛮族から人間に、あるいは魔獣や人間から蛮族に転生した場合、異質なスキルが引き継がれる。それがわかるのが前世記憶というステータスカードの記述なのだろう。人間は簡単に力を引き継げるようになった。だが、それによって、人間や魔獣の記憶を蛮族が前世記憶として得ることも出来るようになってしまった。それによって、人間にとって脅威的な蛮族の誕生につながり、それを監視する必要が出来たのだろう。それが邪悪なる龍ということか。
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