214 夜の訪問者 【魔龍王国再侵攻後の地図あり】
マートがワーモンド侯爵嫡子サミュエル、リオーダン伯爵らを救出して半年程が経った。
懸念されていた魔龍王国に合流した巨人たちによるラシュピー帝国への再侵攻はサミュエルたちの救出のほぼ直後から始まり、今現在も続いていた。かれらの攻勢はすさまじく、ラシュピー帝国は極めて苦しい状況に置かれていた。ラシュピー帝国はワイズ聖王国の助けを借りて辛うじて帝都及びワイズ聖王国領である碧都ライマンと繋がる街道の街であるマースディン、セイア近郊を維持しているに過ぎず、そのワイズ聖王国も、碧都ライマンの防衛とラシュピー帝国の支援のために、常駐していた第一騎士団に加えて、第三騎士団、宰相であるワーナー侯爵を筆頭とする王国南部諸侯の騎士団までも動員して、辛うじて戦線を維持している状況で、王都も重苦しい雰囲気に包まれていた。
そうした年末の或る日、年始のパーティの日程に合わせて王都を訪れ、自分の邸宅で寝ていたマートは、家のすぐ外を駆け回る鎧を着た騎士たちの歩き回る音で目を覚ましたのだった。不審に思って窓から外を覗くと、彼らは隣接するライラ姫の別宅の周囲に物々しい騎士たちが松明を灯し警戒を行っていた。かれらの持っている旗は王城に掛かっていた諸侯の旗の一本と同じであったような気がしたが、誰のものかは思い出せなかった。その緊迫した様子にマートは急いで服と革鎧、武器を身に着けはじめた。そして、その時、ライラ姫から念話が届いたのだった。
“マート様、秘密の通路の扉の鍵を開けてください。私を助けて”
秘密の通路というと、この邸宅とライラ姫との邸宅を結ぶ秘密の通路の事だろう。それが隠された更衣室の壁に目をやると、たしかにマートの目にはその薄い隠し扉の向こうに人影がみえた。マートは急いで更衣室の壁に仕掛けた魔法無効化の魔道具を切ると内側のカギを開ける。
勢いよく扉が開き、おそらく寝間着であろう薄くて白いワンピース姿のライラ姫がマートの部屋に飛び込んできた。
「ありがとうございます。マート様。アレン侯爵家の騎士団ですわ。国王陛下の命令書を持っていると言っておりました。私の外出を禁じる命令書だそうです」
息せき切ってライラ姫は、マートにすがりつくようにして早口でそう言った。だが、マートは事態を飲み込めなかった。アレン侯爵といえば、アレクサンダー伯爵家のすぐ西、王国東部に領地を持つワイズ聖王国の中では、1、2を争う大きな領地を持つ侯爵家だ。そして、ライラ姫は国王陛下の一番のお気に入り。何が起こったというのだろう。
「以前から、アレン侯爵は、宰相であるワーナー侯爵と事あるごとに対立されておりました。ウォレス侯爵が失脚されてからはそれが一層顕著だったのです。ハドリー王国との戦いにおいても、常に彼は和平を主張しておられました。国王陛下の命令書が本物とは信じたくありませんが、もしそうだとすれば、それらの主張を国王陛下が認められ、和平に舵を切ったという事かもしれません」
マートは首を傾げた。それが、どうしてライラ姫の外出禁止命令に結びつくというのか彼にとってはよくわからなかったのだ。
「もし、そうであれば、ワーナー侯爵が失脚し、アレン侯爵を宰相にということになるのでしょう。それに私を関わらせたくないのかもしれません。或は、私もキャサリンお姉さまのように修道院に送られてしまう可能性もあります。ですが、そのような事は問題ではないのです。一番の問題はハドリー王国が単純にワイズ聖王国と和平を結ぶとは思えないという点です。今回のアレン侯爵の動きも、ハドリー王国の謀略である可能性が多分にあります。なんとか国王陛下とお会いし、その点を説明しなければなりません。ああ、父と極力会わないようにしていたことが、このような事につながるとは……」
ライラ姫は膝をつき、両手で顔を覆った。ライラ姫は国王と極力会わないようにしていた?不思議そうなマートの様子を見て、ライラ姫は話し難そうにしていたが、少しためらった後、意を決したのか顔を上げ、話し始めた。
「私の前世記憶がサキュバスであったことは以前お話したことがあったかと思います。実はサキュバスには呪術の他に、異性支配、魅了、悪夢という3つのスキルがあるのです。これらのスキルは私にとっては非常に呪わしいものでした。スキルの存在を知ってからは、強く封印し使わないようにしていましたが、物ごころもつかぬ幼い頃、もしかしたら、意識せずに父や他の誰かにそのスキルを使ったかもしれない。私はずっとそのような不安を胸に抱えておりました。そのため、父だけではなく、全ての男性とは極力会わないように意識していたのです」
「いや、それにしては、俺には会いに来てるじゃねぇか」
マートは思わずそう口にしてしまった。ライラ姫はその言葉に顔を歪め、ふたたび顔を掌で覆った。
「初めて二人きりになった時の事を憶えていらっしゃいますか?あの時、私は前世記憶をもつかどうかをどうしても確かめたくて、マート様に嘘をつけないように呪い呪文を使おうとしました。その呪い呪文を試した後で、マート様はその呪文に気づかれて、私を責められました」
「ああ、あったな」
「私の呪文が通じなかったのはそれが初めてでした。その時、マート様にはこれらのスキルをもし無意識に使ったとしてもおそらく通じないだろうと感じました。それ以来、私にとってマート様は唯一、自分のこのサキュバスとしての能力から引け目を感じずにすむ異性なのです」
涙を流しながら、ライラ姫は何度もマートに謝った。マートは慰めるように軽くその肩を抱く。
「そんな事を思っていたのか。悪かった、ライラ姫。もうその事は良い。変な事を聞いてしまった。許してくれ」
そう言いながら、マートは外の様子を伺った。いつの間にか包囲網はマートの邸宅の出入り口にも広がっている。外ではライラ姫の別宅を包囲している騎士団の連中が話しているのが聞こえてきた。
『ライラ姫様は部屋に籠られたまま、出て来られない。どうしたらよいか、アレン侯爵様にお伺いの使者を立てよ』
『隣のマート子爵は決して刺激をするなという厳命だ、ただし、誰かが邸宅を出ようとするのであれば、外には出ることのないように丁重に説得するのだ』
「ライラ姫、部屋はどうしてある?」
マートはライラ姫に尋ねた。
「信頼する侍女に決して誰にも部屋には入らせないようにとお願いして抜け出してきました。部屋には魔術師の目で覗かれたり、転移してきたりしないように魔法無効化の魔道具も置いてあるので、私が居ない事はしばらくは誰にも判らないはずです」
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