166 リリーの街の自宅
村廻りを続けていたマートだが、その日は、領内で一番北東の村に立ち寄った後、そのまま北東にあるリリーの街に向かった。リリーの街は、彼が冒険者として活動する本拠地であり、自宅もある。彼が所属する冒険者クランである黒い鷲もこの街の所属なのだ。
男爵に叙爵された後、立ち寄る暇も余裕もなかったのだが、今朝になって、今日立ち寄る予定の農村がリリーの街とウィードの街のほぼ中間地点である事に気づき、夜にウィードの街に帰るのではなく、リリーの街に立ち寄る予定としたのだ。もちろん、パウルにも話は済ませてある。
リリーの街についたのは、日が暮れる少し前ぐらいの時間だった。パンを抱えた黒い仔猫のイラストが描かれた看板のあるパン屋 キャットの前には夕方にもかかわらず行列ができており、ティナたち3人が接客で忙しそうに働いている。彼女たちを救出したときのどんよりとした目や思い悩んでいる様子はなさそうで、少しは傷が癒えているように思われた。
「ただいま。久しぶりだな。元気にしてたか」
マートが声をかけると、彼女たちは一瞬強張った顔をしたが、マートだと気づいてすぐに表情は微笑みに変った。
「マート様、おかえりなさいませ」
3人の美女が声をそろえ、元気な声でそう言ったので、行列を作ってパンを買うのを待っていた連中が驚いたような顔をした。その声で、エバとアンジェがマートに気づいたらしく店の奥から飛び出してきた。
「猫、おかえり~」
アンジェは、マートに抱きついた。
「いつも留守で悪いな。みんな元気か?」
「うんうん、元気だよ。最近干し肉と新鮮な野菜を挟んだ猫パンが大人気なの。この時間だと出来上がりの料理とパンをセットで買って帰る人も多いんだよ」
「へぇ、そうなのか」
「ああ、旦那、久しぶりだね。やっと帰ってきたのかい。あんまりほっておくと、嫁さんに虫が付くよ」
アンジェたちと話すマートに声をかけてきたのは、近所に住むコーネリアだった。この職人通りでもよく知られた顔役のおばちゃんだ。
「ああ、ただいま。ずっと忙しくてな」
「冒険者なんだろ?そんなに忙しいものなのかい?」
「ちょっとな、いろいろと呼ばれて大変だったんだ」
マートはそんな事を喋り、そのまま売り子を手伝うことにした。そして、完全に日が沈んだ頃には店の商品は全部無くなったのだった。
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リリーの街の自宅に暮らす人々を1階の奥の部屋に集めて、マートは簡単に叙爵の事、ウィードの街の事を伝えた。
「おめでとう。マート殿。儂らを救出した功績として叙爵とは国もなかなかいい計らいをするもんじゃないか」
「たしかに、鉱山も一時的とはいえ使えなくしたし、いろんな魔道具も分捕ってきたしな。でもすごいじゃないか。冒険者が男爵様になるとはな。今日は祝いだな」
「マート様、この家どうされるのですか?」
アンジェの両親たちが口々に祝ってくれる中、エバは不安そうに最後にそう尋ねた。
「ああ、それを相談しにきたんだ。ここに帰りたいところなんだが、領地としてもらったウィードの街を放っておくわけにもいかないし、王都での仕事もある。そうすると、この家に居れる時間はかなり少なくなる。誰かここで住んでくれるというのなら、貸してもいいんだけど、誰も住まないというのなら、処分も考えないといけない。だれも住まないと家はすぐに傷むらしいからな」
「マート殿が掛け合ってくれて、一時金も出たし、マクギガンの街に戻ることもできるのじゃが、あそこに戻るとどうしても以前の事を思い出してしまいそうでな。せっかく、パン屋も軌道に乗ってきたところじゃ。もしよかったら、このまま、儂らはここで暮らさせてもらえんじゃろうか。我々で買っても良いし、借りるという形でも良い。みんな、どうじゃろうか」
そう言いだしたのはアンジェの両親だった。彼らと一緒に救出されたという食堂の夫婦と肉屋の夫婦も横で頷いた。マートも判ったと答えたが。アンジェが懸命に首を振った。
「私は猫と一緒が良いっ」
「私も、マートさんと一緒に」
アンジェと共にそう言ったのはアレクシアだった。彼女とアニスの2人もすっかりこの家の住人だったのだが、横でアニスが苦笑している。
「猫、ああ、男爵様と言った方が良いかい?」
アニスがそう訊ねたが、マートは首を振った。
「じゃぁ、こういう場では今まで通りにさせてもらうよ。さっき、新しい領地の事を話してくれたけど、猫のところは衛兵が足りなくて冒険者を募集するんだろ?私とアレクシアを雇ってくれる気はあるのかい?」
「姐さんとアレクシアが来てくれるならもちろん大歓迎さ。あと、募集については、姐さんと相談しようと思ってたんだ。年を食った冒険者とかでさ、冒険に行くのはもうしんどいけど、定職につくのは難しいって困ってる連中って結構居るだろ?」
「ああ、居るね。とはいってもそんなに腕は立たないのが多いよ?ランクDとかEとかが多いんじゃないかね。ランクCまで行くと、馴染みの商人とかに門番代わりに雇ってもらったりするのも結構あるよ」
「腕はそこそこでもいいんだ。衛兵だからな。信用できそうな連中を雇いたい。そりゃ、腕が立つならそれにこしたことはねぇけどさ」
「わかった、ショウたちに相談しておくよ。いまのうちのクランの場合、お前さんの水の救護人って名前に憧れて入ってきてる連中も結構居るからね。若いのでも、お前さんの下で働けるのなら嬉しいっていうのもたぶん居ると思うよ」
「一応、こっちでもテストさせてもらうことになるけど、そういうのを集めて連れて来てくれねぇかな?」
「ああ、わかったよ。任せておきな」
「私も一緒にーっ」
アンジェもそう言ったが、マートは首を振った。
「アンジェはまだ11だろ?衛兵として働くには若すぎる。それに、親父さんたちを置いてくのかよ」
涙目でアンジェはマートの顔をじっと見つめた。
「じっと見てもダメなものはダメだ」
アンジェはそのまま、周囲を見回した。アニスとアレクシアは首を振り、彼女の視線はエバの顔で止まった。
「エバ、お願いっ」
エバはじっと考え込んでいたが、おちついて喋り出した。
「マート様、男爵となられて、身の回りの世話をする者が必要ではないのでしょうか?いままでのように衣服に無頓着というわけにもいかないと思うのです。私とアンジェをお連れ頂けませんか?」
「ああ、確かに洗濯とかは誰かに頼めるとありがたいのは確かだが、エバとアンジェは、アンジェの親父さん、お袋さんとよく話し合ってくれ。特にアンジェはさっき言ったようにまだ11才だ。せっかく親も居るんだから、パン屋を手伝ってやったらどうだ?来るにしてももうちょっと後でも良いだろう」
「ううん、マートの所が良い。小間使いでいい」
その様子を見て、アンジェの両親が、まるで嫁に出した気分ですと思わずつぶやいた。
「ティナたち3人は帰らなくていいのか?」
マートは尋ねたが、三人とも首を振った。
「実は家とは連絡を取ったのですが、3人とも家が貧しくて戻っても結局またどこかに働きに行かされることになりそうなのです。それならここで暮らしているのが楽しい。迷惑じゃなければ、ここでずっと居させていただければと思っています」
「わかった。とりあえず、この家は親父さんたちに貸すよ。改装とかも好きにしてくれていい。三階の部屋を一つだけ俺用に残しておいて欲しいな。リリーの街は俺の原点みたいなものだ。いつでも帰ってこれる場所があるとなんとなく安心できる気がする。家賃は払わなくていい。そういう事だから、ティナたちは親父さんたちと相談するといい」
「有り難い。じゃが、家賃が無料っていうのは申し訳ない」
「うむ、干し肉のやり方も教えてもらったしの」
「そうじゃな、月金貨3枚ぐらいでどうじゃ?それぐらいなら払えそうじゃ」
「わかった、だが3枚は多いな、2枚だな」
アンジェの両親たちは、マートの言葉に頷いた。
その後はマートの叙爵を祝い、夜遅くまで祝いの会は続いたのだった。
読んで頂いてありがとうございます。
コーネリアの事を何と評していいのか悩んだのですが思いつかず、“有名なおばちゃん”としました。何か良い言い方はないでしょうか?(笑)
→2021.1.13 顔役、よく知られたという御意見を頂きましたので以下のように変更しました。御意見を頂いた皆さんありがとうございました。
この職人通りでも有名なおばちゃんだ。 → この職人通りでもよく知られた顔役のおばちゃんだ。
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