148 庁内での一日
翌朝、マートはドアをノックする音で目を覚ました。ノックをしているのは、クララだった。部屋着を羽織ると、ドアを開ける。
「よう、クララ、おはよう」
「猫さん、おはようございます。ジュディ様が新しい魔法装置のテストを手伝ってほしいと仰っているのです。来ていただけますか?」
「ああ、わかった。着替えてすぐ行く。30分待ってくれとお嬢に伝えておいてくれ」
マートは一旦部屋に戻ると、精霊達を呼び出して、出かける準備をした。
“ウェイヴィ、そこの金たらいに水をいれてくれよ”
“いいわよ、ねこ、今日は起きるの早いのね”
“ああ、しばらくはこの時間に起こされそうだ。ヴレイズ、その金たらいの水をあたためてくれ”
“いいとも。軽くだな”
“ああ、沸騰したら火傷しちまうから軽くで頼む。あと、そこのパンと干し肉も軽く炙ってくれると嬉しいな”
マートは精霊たちとこういう会話をするのも楽しんでいた。相性というのは、日頃のつきあいというのも大事なのだ。話をしなければ、お互いの考えはわかり難い。
“また、そろそろ音楽を聞きたいな。あのキタラの音が心地よい”
炎の精霊のヴレイズがそう言った。ヴレイズは音楽が大好きだ。彼らはたまに召喚していなくても音楽を聴いていることがあるようだ。だが、ニーナのように外の会話に耳をそばだてたりといったことはしない。
“じゃあ、2人共戻ってくれ。出かけないといけない。また呼び出すからな。2人共愛してるぜ”
“私もよ、ねこ”
“ああ、我もだ”
マートは、そうやって朝の用意を終えると自分の部屋を出て、上機嫌でジュディの研究室に向かったのだが、途中で見知らぬ宮廷魔術師のローブを着た男に呼び止められた。
「君は誰だね?見知らぬ顔だな。魔術師ではないようだが」
「ん?俺はマートだが、あんたこそ誰だ?」
「マート?ああ、ライラ姫様が何故か肩入れされているという冒険者か。私は宮廷魔術師のエドガー・ラフ男爵だ。君は実験台として呼び出されたのだろう?」
「残念ながら実験台じゃないな。魔道具のテストに協力するというだけだ」
「おかしいな。私はそう聞いたのだが。冒険者風情ならそんな扱いで十分だろう。魔術庁に冒険者が来るなど元から似合わぬのだ」
「くくくっ、言ってることが、子供と一緒だな。誰かは判っただろう。俺は忙しいんで、またな」
マートは少し嘲笑うようにそう言って、立ち去ろうとした。
『麻痺』
『水生成』
エドガー男爵の麻痺呪文は全く効果がなく、マートの呪文で頭からずぶぬれになった。
「魔法勝負をしたいのなら、相手をよく見るんだな。もうすこし頭を冷やしたほうがいいぜ。次は手加減なしだ。乾かしてやるから、そこに立ちな」
「なんだと?!」
『眠・・・・・・』
『氷結』
「二人とも止めよ!」
エドガー男爵が続けて呪文を唱えようとしたところで、マートの知っている男の声がした。ブライトン・マジソン男爵だ。エドガー男爵は呪文の詠唱を途中で止めた。だが、マートは呪文を止めなかった。エドガー男爵の頭が氷で覆われる。
「マート、呪文を解いてくれ」
「どうしてだ?俺は警告した。警告を聞かなかったのはこいつだぜ?」
エドガー男爵は地面に倒れこみ、呼吸ができないようで頭をおおう氷を抱えて暴れている。
「それでもだ。早く!」
“ウェイヴィ、解除だ”
マートは指を鳴らしてそう念話を伝えた。エドガー男爵の頭を覆っていた氷の塊が消える。はぁはぁと荒い息をし、地面に伏せて何もできない様子だ。
「マート、どうして呪文を止めなかった?なぜエドガー男爵を殺そうとしたのだ?」
「エドガー男爵が唱えようとしたのは、最初は麻痺呪文、次は眠り呪文だ。即死を招く呪文ではないとは言え、どちらも抵抗に失敗すれば、その後殺される可能性もある危険な呪文であることには変わりない。1度は許した。そして警告したにもかかわらず2度目を唱えようとした。殺そうとしたというのならエドガー男爵と名乗るこいつのほうだ。俺はエドガー男爵と名乗るこいつに会うのは初めてだし、ハドリー王国や魔龍同盟の間諜が化けている可能性もある。逆にこいつを許す根拠を教えて頂きたい」
マートはブライトン男爵に逆にそう訊ねた。
「それは……」
そう言われてブライトン男爵は言葉に詰まった。
「少なくとも、2度目に呪文を唱え始めたのはこのエドガー男爵と名乗る男の方なのは、ブライトン男爵も判っておられるだろう。この男は拘束し、意図をはっきりさせるべきではないのか。今は戦争の真っ最中。油断しておられるのではないですか?」
マートは徐々に口調を変えた。廊下にたくさんの人間が集まってきたからだ。
「マート、君の言う事は正しい。この魔術庁もまだ侵入者を防げる体制が出来ているとは言えないのは指摘の通りだ。僕はエドガー男爵は間者などではなく本人だと思うが、魔法を使ったことは軽率であり、この状況で殺されても仕方ない事だったかもしれない。だが、お互い協力しあうべき時なんだ。許してやってくれないか」
「2回も殺されかけて、本人の謝罪もなく許してやってほしいと言われてもどうしようもないですね」
マートの言葉に、ブライトン男爵は頭を掻きむしった。
「わかった。わかった。くそっ、まとまらんな。衛兵、エドガー男爵を自室に運び監禁せよ。私の指示があるまで外に出るのは許すな。マートそれでよいか?」
「良いかどうかを判断するのは私ではありません。ブライトン様、落ち着いてください」
ブライトン男爵は息を整え、じっとマートを見た。マートはにっこりと微笑む。
「わかった。そういう事か」
ブライトン男爵は小さくそう呟いた後、声を張り上げた。
「魔術庁内でつまらない争いをしている余裕はない。エドガー男爵は謹慎とする。マート殿は斥候スキルが高く、また精霊魔術の素養も見ての通り、エドガー男爵の呪文に対しても抵抗できるほどである。真理魔術のみに拘っていては、ハドリー王国にも、また魔龍同盟にも太刀打ちできないというライラ姫の判断で参加されているのだ。魔術庁の同志として受け入れよ」
マートは頷き、無言のまま、人垣をかき分けるとジュディの部屋に向かったのだった。
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