110 討伐行 4
「そろそろマートとアニスは戻ってくるのかな?」
小高い崖の上には、エミリア伯爵と補佐官のメーブ、神官のマシューの3人が立っていた。眼下の茶色い枯れた低木の茂みに3人の騎士が潜んでいるのが上からはよく見える。
しかし、このようなポイントを良く見つけたものだ。エミリア伯爵は改めてそう思った。向こう側からの道は左右から迫る渓谷で細くなっていて一度には少しの人数しか通れず、眼下のちょっとした広場はまるっきり袋小路。普通であればここに逃げ込んだ者にとっては死地だ。だが、そこで騎士が3人も待ち構えているということであれば状況はまるっきり変わる。騎士の力は強大だ。細い通路では蛮族共は少しずつの人数しか入って来れず、来た相手に対してその強大な力を持つ3騎が連携して攻撃できる。そんな地形である。そしてその様子を私達は崖の上から文字通り高みの見物をして、必要があれば神官のマシューが援護の魔法を打つことができるという算段だ。
「北のほうで少し騒ぎが起こっているようです。まもなくでしょう」
メーブがエミリア伯爵の問いにそう答えた。
問題は、囮となっているマートとアニスが相手に捕まらずにここに誘い込めるかという所だ。彼らは馬に乗っていない。オーガナイトが全力疾走すればどれぐらいの速度が出るのだろう。
神官のマシューはじっと北側の道を見つめている。無事に来ればそこから来て、彼女たちの足元から垂らされたロープを使ってここに登ってくる段取りだった。しかし、もし登る時間が稼げなければその場合は隅に潜んでもらって、そこを騎士の1人が庇えばなんとかなるだろうが、最悪の場合、彼にはかなり働いてもらわねばならない。
そんな事を考えているうちに、少しずつ騒ぎの声がはっきりとしてきた。もうすぐ姿が見えてくるのだろう。
「1人、来ました。アニスです」
メーブはそう言った。待ち伏せをしている騎士たちにも念話の魔道具でそう伝えているようだ。エミリア伯爵は道のほうに目を凝らした。たしかに誰かがこっちに向かって走ってきている。服装や髪型からしてマートではない。
「マートのほうがアニスより足が速そうなのにな」
エミリア伯爵の予想では、先に来るのはマートだったのだが、アニスの足もかなり速かった。あっという間に500m程の細い道を通り抜け、騎士たちが潜む藪の前を通り、崖の下にたどり着き、ロープに取り付く。
「マート、来ました。蛮族すぐ後ろに居ます。5体」
メーブが短く言う。袋小路につながる道に視線を移すと、マートがこっちに向かって走ってきていた。ここからだと距離はおおよそ700m。すぐ後ろに赤い肌をしたオーガの巨体が見えた。そっちはマートの二倍以上の身長があるだろう。マートもそうだが、蛮族が走る速度もかなり速く、あっというまに近づいてきている。
アニスのほうはロープをすでに半分ぐらい登っている。彼女は無事上に来れるだろう。だが、マートのほうはロープで登るほどの時間はとれそうもない。というより、騎士たちのいるところまで逃げ込めるのだろうか。巨体のオーガの持つ剣はマートの背中にいまにも刺さりそうだ。
「5体ともオーガナイトです」
マートを助けるために、エミリア伯爵は騎士たちに細い通路のほうに救援に行かせるかと考えた。細い通路では1対1で、それも有効に馬が使えないので騎士は不利になるが、戦えないわけではない。こんなところで彼が殺されるのはいかにも惜しい。
指示をしようとしたエミリア伯爵だったが、次の瞬間に今度はマートの走る速度が上がり、オーガとの距離が少し開いたのに気が付いた。近づいたり、遠ざかったりというのを何度か繰り返している。もしかして、わざと誘うために速度を抑えている?マートとオーガナイトは共に馬の全力疾走とほぼ同じぐらいの速度だ。それも、足元は岩のごろごろした不安定な場所なのだ。あのスピードで余裕があるわけは無い。そう思ったが、マートとオーガナイトは追いつきそうで追いつかないという距離を保ちながら、藪に隠れている騎士の前を通り過ぎた。
アニスはようやく崖をロープを使って登り終わり、なんとロープを引き上げ始めた。は?マートはどうするのだ?そう思うか思わないかのうちに、彼は、ほぼ垂直の、それも入念に油をたらした崖の壁面を蹴り、エミリア伯爵が見物している崖の上まで飛び上がってきた。
「到着っ。オーガナイト5体。御案内!」
マートはにやっと笑って、軽く拳を握って親指を立てポーズをしてみせた。
「ご……ご苦労」
エミリア伯爵はマートの鮮やかな動きに少し息を呑みながら、ようやくそう応える。
「こっちは大丈夫か?」
崖の下での戦いにふと目をやる。オーガナイトの背中に、藪から伸びた騎士たちの槍が突き刺さったのが見えた。マートが去った後を見上げていたオーガナイトたちに、潜んでいた騎士たちが襲いかかったのだ。以前ラシュピー帝国のヘイクス城塞都市近くで女騎士のシェリーとオーガナイトが戦った時はほぼ互角だったと聞いたが、さすがに騎士の突撃にはオーガナイトでも耐えられないらしい。
「ああ、大丈夫だろう」
エミリア伯爵がそう答えると、マートは軽く頷き返す。
「じゃぁ、俺は後ろの奴を処理してくる。姐さんここは任せた」
「あいよ」
彼は騎士とオーガナイトが戦っている場所を迂回し、半ば壁を走るようにしながら、もと来た方角に向かって走り始めた。
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-時間は少し交差して、ほぼ同じ時間-
マートたちが敵を誘導してくるのを、ビル、ハンニバル、マイクの3人の騎士は藪の中に身をひそめずっと待っていた。
「メーブから連絡。アニス到着」
念話の魔道具からの通信をハンニバルはビルとマイクに伝えた。これも100m程度という有効範囲の短さでなければマートに持たせたほうが効率は良かったのだが…とハンニバルは考えた。
「もうすぐだぞ。よろしく頼むな」
マイクが自分の愛馬の鼻面を撫で、いつでもまたがれるように鞍の近くにまで移動した。
「ああ、上位種が居たらいいんだが」
そう言っている間に、アニスらしき人影が前を通り過ぎる。
「連絡。オーガナイト 5体 その後ろは今のところ見えないそうだ」
ハンニバルは口早に伝えた。
「よし、5体は多いが、それだけならなんとかなるだろ」
ビルは頷きながらそれに答える。
「ああ、うまく引き離せたんだな。理想的だ。血が騒ぐぜ」
マイクは盾の柄を握りなおした。
蛮族の怒号と足跡が近づいてくる。マートが彼らが潜む鼻先を通り過ぎた。そのすぐ後ろを赤い肌をした巨体のオーガナイトが通り過ぎていく。
「よし、いくぞ」
3人はすらりと馬に飛び乗り盾と馬上槍を構える。オーガナイトはマートに気をとられ、3人の存在にはまだ気付いていない。手綱を引き、鐙を踏み馬を奮い立たせる。
ヒヒンッ
馬は小さく嘶いた。気合は十分だ。3騎は拍車をかけた。崖の下で上を見上げているオーガナイトとの距離はおよそ50m。一気に駆ける。馬の速度は急速に上がっていく。衝撃に耐えられるように馬と騎士は徐々に体重を前にかけていく。
ザクッ
手ごたえは十分だった。オーガナイトたちは振り向くので精一杯で、彼らの突進を避ける事はおろか、踏ん張る事すらできなかった。3騎の馬上槍はそれぞれ、3体のオーガナイトの身体に深く突き刺さり、衝撃で崖までその巨体を弾き飛ばした。彼らは槍の柄を手放し、崖の手前で左右に分かれて走り抜けると長剣を抜いて身構える。
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