8 魔法宮の弟子達
下位のメイドが立ち入る事ができない禁止区域に足を踏み入れると、宮廷の内装はより一層、厳かになった。人通りも少なくなって、静けさが余計にアリシアを緊張させる。
視界の先に聳える王宮の近くに魔法宮があり、まるで神殿のような形の建物は、宮廷の中でも異質なムードを持っていた。
「魔法宮専属メイドのアリシア様をお連れしました」
ディアナが警備の者に伝えると、アリアシアは魔法宮に通して貰えた。
宮の中に入ると、さらに他の建物とは違う空気に圧倒された。
「う、うわあ、ファンタジー!」
アリシアは思わず、俗っぽい感想を叫んだ。
天井から吊るされた幾何学のオブジェに、不可解な記号が織られたタペストリー。謎の鉱物が彼方此方に点在し、棚の中には無数の小瓶と重厚な本が詰まっていて……。
まさにここは、魔術師の棲家だった。
ディアナは微笑んで説明してくれた。
「魔法宮にはあらゆる魔道具や魔術書、魔法に関する物が集まっています。不用意に触れないよう、お気をつけくださいね」
「は、はいっ!」
「私達王宮のメイドは毎朝こちらに訪れて、室内の清掃やお食事のお世話をしていますが、アリシアさんは魔法宮に住み込みになるので、お部屋がご用意されています」
「は、はあ……」
確かにディアナの言う通り、魔法宮は隅々まで清掃されているようだ。が、あの黒い煤のような、ふわふわした汚れはそこかしこにあった。壁に、床に、そして空中に。むしろ沢山いるように見える。
ディアナは気にしていない様子なので、アリシアは指摘ができなかった。
さらに奥に進むと、ソファやテーブルがあるリビングのような広い部屋があった。
「エーレンフリート様。アリシアさんをお連れしました」
ディアナに声を掛けられて、ソファで本を読んでいたエーレンフリート少年が立ち上がったので、アリシアはビクッと背筋を伸ばして挨拶をした。
「こ、こ、こんにちは!」
凛とした佇まいのエーレンフリートは、やはり猫のような青紫の瞳で、アリシアをじっと見上げた。
「ご苦労様です」
素っ気ない返事の隣で、もう一人。さらに小さい人が……多分、五歳くらいだろうか。ローブのフードを頭に被って顔を隠したまま、エーレンフリートの後ろに隠れている。
アリシアはつい「あらあら」と声を掛けたくなったが、どんな塩対応のお子様かわからないので、グッと我慢をした。もしかしたら、エーレンフリートの弟さんかもしれない。
「では、私はこれで失礼しますね」
ディアナが唐突にお辞儀をして魔法宮を出て行くので、アリシアは思わず呼び止めてしまった。
「ええ!? 行っちゃうの!?」
「はい。昼食の準備をしますので。また後ほど伺いますね」
行ってしまったディアナの背中を見つめるアリシアに、エーレンフリートが声を掛けた。
「バルトロメウス様から魔法宮の案内をするよう、仰せつかっています」
「あ、そ、そうですか」
「僕は先生の一番弟子で、エーレンフリート・ガウス。こっちは二番弟子のベルノルト・フェーンです」
小さい子は紹介されて、エーレンフリートの背中から顔だけ出した。
あまりに可愛いお顔なのでアリシアは美少女かと思ったが、男の子のようだ。銀色の髪が首を傾げた肩の上で揺れて、こちらを見上げる水色の、ほんのり紫がかった瞳がうるうるとしている。
「可愛い」とは不敬だろうからアリシアは言葉を飲み込んで、精一杯の優しい笑顔を繰り出した。が、ベルノルトは貝のように、また引っ込んでしまった。
「あの、私はメイドのアリシア・エアリーです。精一杯、お世話をさせて頂きます!」
アリシアの元気な挨拶にエーレンフリートは即答した。
「ああ。お世話は結構です。アリシアさんの仕事は掃除だけだと、先生は仰っていました。通常の掃除と食事などの世話は王宮のメイドがするので」
「へっ?」
間抜けな返答をするアリシアに、エーレンフリートは顔色を変えずに続けた。
「アリシアさんは特別な掃除……魔祓いをなさいますよね?」
「まばらい?」
エーレンフリートはアリシアが抱えている木箱を指した。
「その魔法具を使って魔を祓うのを、僕は見ました」
アリシアは驚いて、持っていた木箱を手から滑り落とした。
バッシャーン!
と盛大な音を立てて、中に入っていたハタキや布きれやらガラクタが、床に散らばった。
「うわっ、すみません!」
アリシアが慌てて掻き集める間に、エーレンフリートはハタキを拾った。バルトロメウスと同じように、柄の部分を凝視している。
「このスティックは魔道具です。アリシアさんの魔を祓う力を補助していますから」
「魔道具って、それはただの棒っきれをハタキにしただけなんだけど……」
エーレンフリートはさらにそれより長い棒っきれも拾って、アリシアに見せた。
「これも同じ魔道具です。いったい、どこで入手したんですか?」
「そ、それは……」
アリシアは頭が混乱した。母の遺品の、しかも貴重品を抜き取った残骸に入っていた棒っきれは、元々何に使われていたのかわからず、母がどうやって入手したのかもわからなかった。
シリアスな場面のこのタイミングで、アリシアのお腹は再び大きな音を鳴らしていた。
グモ~~、キュルルル……。
「……」
昨晩、夕食を食べられず、さらに朝食にもありつけなかったアリシアのお腹は限界に達して、怪獣の断末魔のようだった。
真っ赤になるアリシアの前で、エーレンフリートは初めて戸惑った顔を見せ、さらに隠れていたベルノルトが再び顔を出して、世にも可愛い声を上げた。
「おなか、すいてるの?」
ベルノルトは泣いてしまいそうな顔をしていて、アリシアは思わず釣られて泣き顔になった。
「う、うん。あはは……」
するとベルノルトは踵を返して走り出し、テーブルから何かを掴むと、アリシアの前に走ってきた。
「これ、たべて! ぼくのあげる!」
ベルノルトのフードが肩に落ちて、輝かしい銀色の髪が露わになった。差し出した小さな手にはしっかりと、焼き菓子が握られていた。
「え、天使?」
アリシアは心の声をそのまま出して、ベルノルトを見上げた。きっと人見知りであろう、幼児の精一杯の勇気と優しさがそこにあって、アリシアは尊さで目が霞んだ。
「ありがとうございます……」
アリシアが焼き菓子を受け取ると、ベルノルトもエーレンフリートもじっとこちらを見ているので、アリシアは菓子を口に含んだ。
ふわっとアーモンドとバターの香りが広がり、柔らかな生地は上質な舌触りで……こんなに美味しいお菓子を食べたのは生まれて初めてで、アリシアは二口、三口とかぶりついて、一気に食べてしまった。
笑顔になるベルノルトを見上げてモグモグしていると、真後ろでドアが開く音がした。
「バルトロメウス様!」
エーレンフリートの声に、アリシアは焼き菓子を喉に詰まらせた。
「ングッ!ククッ!」
アリシアの心の準備がまったくできていない状態で、魔法宮のラスボスが現れていた。




