43 眠れぬ夜に
アリシアはベッドの上で横を向いたり、うつ伏せたりと何度も工夫をしたが、一向に眠れる気配がなかった。
「激動の一日すぎて、頭が興奮してるんだなぁ」
アリシアはベッドから降りて、ネグリジェの上にガウンを羽織り、そっと部屋を出た。
深夜の魔法宮は皆寝静まり、静かな時が流れていた。
音を立てないようにバルコニーの窓を開けて、テラスに出るとベンチに腰掛けて星空を見上げた。輝く星々が宮廷の天井を飾っていて、アリシアは見惚れた。
あの星空の舞踏会以降、星を見るとどうしてもあの時のバルトロメウスを思い出してしまう。ロマンチックな回想で口元がにやけたアリシアは、後ろの窓が静かに開いたのを感じた。
「バルトロメウス様!」
妄想が幻として現れたのかと思ったら、本物のバルトロメウスが寝衣の姿で立っていた。
「眠れないのか?」
「は、はいっ」
バルトロメウスはアリシアの隣に腰を下ろすと、星空を見上げた。
アリシアは慌ててガウンの前を引っ張って、中のネグリジェを隠した。いつもは色気のないパジャマワンピースを着ているが、今日はなんとなくディアナが用意してくれた、ちょっとだけ色っぽいネグリジェを着ていた。
「アリシア。君はどうしたい?」
「えっ?」
ネグリジェを気にするアリシアが横を向くと、バルトロメウスは真面目な顔していた。
「伯爵家の事だよ。さっきはいきなり奪爵の話をしてしまって、ショックを受けたんじゃないかと思って」
「あー、それは私も予想してたので大丈夫ですよ。やっぱりな、と言う感じで」
アリシアは笑顔で答えたが、バルトロメウスは深刻に考え込んでいるようだった。
「アリシアが伯爵家の存続を願うならば、長女として相続を主張する手立てもある。アリシアが家督を継いで伯爵になる必要があるが……」
「いやいやいや、私が伯爵とか無理ですよ!」
アリシアは間を置いて、星空をもう一度眺めながら答えた。
「正直、思い出の場所が無くなってしまうのは寂しいです。だけど、母が殺されたあの屋敷に戻るのは、もう無理かなって……」
バルトロメウスがゆっくりと言葉を待ってくれているので、アリシアは自分の気持ちと向き合った。
「伯爵家は継ぎたくないし、お母さまと私を苦しめたエアリー家の苗字も本当は名乗りたくない。……多分、私は自分が帰る場所が無くなってしまった事が悲しいんだと思います」
アリシアはバルトロメウスに顔を向けると、悲しい笑顔で続けた。
「根無し草というか、足元がふわふわしてるっていうか……私、ひとりぼっちだなぁって」
バルトロメウスはアリシアの膝の上の手を握って応えた。
「ずっとここにいればいい。魔法宮で仕事をして、生活をして」
バルトロメウスはさらに強く手を握った。
「俺の側で、ずっと君に笑っていて欲しい」
優しい言葉にアリシアは胸が温かくなったが、バルトロメウスの眼差しが思った以上に熱を帯びていたので、アリシアは照れて目を逸らした。
「えっと……ありがとうございます。私には尊敬する上司が三人もいて、ここにずっといていいなら、部下として凄く嬉しいです」
バルトロメウスがアリシアの肩を抱いて自分に向かせたので、アリシアは緊張してビクゥ!と体が反応してしまった。
「尊敬する上司と部下。それだけ?」
バルトロメウスが切ない顔で迫るので、アリシアはその美麗な顔の近さと言葉の意味不明さにテンパった。
「ええ~っと、尊敬してますし、優しいし、格好いいですし……!」
求められている答えではない気がするが、アリシアは懸命にバルトロメウスの長所を挙げた。さらにもっと喜びそうな言葉を探して続けるうちに、バルトロメウスのもう片方の手はアリシアの頬に触れていた。
(え? ちょっと、これってもしかして……キ、キ……)
いくら恋愛事情に疎いアリシアでも、この雰囲気はキスの流れだとわかってパニックになった。目を見開いたままバルトロメウスの宙色の瞳を凝視していると、さすがにバルトロメウスもそのまま時を止めた。
こういう時は目を瞑るべきだとアリシアもわかっていたが、どうしても聞かねばならない事があった。
「あの……異国のお姫様との婚約は?」
「へ?」
バルトロメウスは間近で見つめ合っていた顔を元の位置に戻すと、アリシアの頬と肩から手を引いた。
「ファティマ姫とは婚約なんてしてないよ。東大陸と犯罪防止条約を結ぶために、懇意にしていただけさ。おかげで条約は無事に結べたし、帰国前に婚約の申し出は丁重にお断りしたよ」
「そ、そうだったんですね」
アリシアはずっと聞きたくて聞けなかった答えが聞けてスッキリしたのと同時に、それならもっと早く聞けばよかったと後悔した。
そして改めてキスのチャンスを自分でふいにしてしまったことに気づいて、己のタイミングの悪さに冷や汗をかいた。
(じゃあ、改めてキスをお願いします! って言うのも変だし、え? どうすればいいんだろう?)
アリシアは自分でも滑稽なほど、次の手が浮かばなかった。頭と顔がカッカと熱くなって、きっと茹で蛸のように真っ赤な筈だ。
バルトロメウスは興が冷めたのか、また星空を見上げている。
アリシアが一人であたふたと考えているうちに、バルトロメウスはこちらを向いて、予想外の要求をしてきた。
「アリシアにお願いがあるんだ」




