34 悪夢のお茶会
「あ、はじめまして……」
アリシアは初対面のメイドと挨拶を交わした。
継母に招待された本日のお茶会に、王宮のメイドが同行する事になった。なんでも、バルトロメウスがアリシアのお世話役として手配したらしい。
魔法宮の外で待っていたそのメイドは、ディアナと同じメイド服を着ているが、いつも魔法宮でお世話をしてくれるメンバーではなかった。
涼しげな瞳にキリッとした表情の黒髪の美女だ。アリシアより少し背が高く、大人っぽい。
「王宮付きメイドのエリィと申します。よろしくお願いします」
二人は宮廷の庭園に向かって歩き出した。エリィはアリシアの一歩後ろを、静かに付いて来る。
今日のお茶会のためにアリシアはワンピースを着てお嬢様らしく着飾っているが、佇まいといい品の良さといい、エリィの方がよほど高貴なお嬢様に見えた。
宮廷の途中で別のメイドが迎えに来て、アリシアとエリィは薔薇が咲き誇る庭園に案内された。この先に継母と妹が待ち構えているとは思えない、美しい景色だった。
やがて薔薇園の中に明るいスペースが現れて、白いクロスが掛かったテーブルにティーセットが用意されていた。そこにまるで白昼夢のように、継母と義妹がそっくりな笑顔を浮かべて座っていた。
「ご機嫌よう。お義母様、キャロル」
カーテシーをするアリシアを、継母は機嫌良く席へ促した。宮廷の中だからか、それとも余程嬉しい事があったのか、継母は今までに無いほど上機嫌だった。
着席するアリシアと距離を取りつつ、メイドのエリィはピタリと後ろに立った。継母と義妹の後ろにも宮廷のメイドが付いている。
義妹のキャロルもまた上機嫌で、我慢ができないという勢いで、アリシアが席に着いてすぐに身を乗り出した。
「私、婚約が決まったのよ! すっごいお家柄のお金持ちの相手と!!」
あけすけな報告にアリシアは面食らったが、本当にお祝いの席だったようで、内心安心した。
「それはおめでとうございます」
継母は笑顔でキャロルを嗜めた。
「まあ。まだ秘密だと言ったのに、この子ったらもう」
「だってお母様。婚約パーティーまで我慢できないわ」
継母はニコニコしながら何かの紙を取り出して、テーブルに広げた。
アリシアはそこに「婚前契約書」という文字を見たので、首を捻った。何故ここにキャロルの契約書が?と思ったが、継母はその契約書をズイと前に押し出して、アリシアに向かって祝福の言葉を口にした。
「おめでとう、アリシア」
「……え?」
「おめでたい事に、貴方の婚約も成立したのよ」
「……はい?」という言葉は発せずに喉に詰まった。
理解ができないアリシアに、継母は契約書の文章を見せながら説明した。
「アリシア・エアリーとデズモンド・ガースン子爵様の婚前契約書よ。貴方が13歳の時に婚約の契約をして、17になったら婚姻すると決めていたの」
「え……はぁ……?」
キャロルの婚約の自慢の筈が、話の中心がアリシアになっている。
アリシアは頭が真っ白になったが、一つだけ、思い当たる顔が浮かんでいた。
(デズモンド・ガースン……? ガースン子爵って、あの夜会で会った中年の男……?)
中年太りの髭面で、笑わない目の成金の男だ。いやらしく舐めるような目線を思い出して、アリシアは血の気が下がった。
(どうして私があの中年の男と? 既に婚約してるって……何故?)
混乱するアリシアを置いて、継母は一方的に話を進めた。
「ガースン子爵様はね、輸出業で成功して一代で財産を築いた素晴らしい方なの。貴方が13の時に是非婚約をとお申し出頂いて、契約を交わしていたのよ。先日の夜会でご本人にお会いになったでしょう? ガースン子爵様もアリシアをいたく気に入ってくださって、婚姻の準備をすぐに進めたいって……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
アリシアはようやく声を上げて、継母の機関銃のような会話を中断した。
「私、そんなお話は聞いていません!」
「これはね、お父様のご意志で決まった事なのよ?」
「お父様が!?」
継母は駄々っ子を相手にしているような呆れ顔で、「はあ」と溜息を吐いた。
「アリシア。貴方ね、ご自分の立場がわかっているの?」
「そ、それは……」
「伯爵家の長女として相応しい婚約者を選ぶのは、親の義務です。キャロルと違って、貴方のような紫の目を嫁に貰う貴族の家など少ないのですから」
「……」
「ガースン子爵様が貴方と婚姻した暁には、伯爵家への支援金だけでなく、教会へも多額の寄付をしてくださると約束しているの。教団の方々も大変喜ばれて、祝福してくださっているのよ?」
継母の隣で、義妹のキャロルはニヤニヤとしている。
「良かったじゃない、お姉様! ガースン子爵様はお金持ちですもの。もう惨めなメイド仕事なんてしなくていいかもよ?」
アリシアは自分が知らない所で自分の人生が勝手に決められている現実に、目の前が真っ暗になった。
継母はさらに続けて、別の紙をテーブルに置いた。
それには「0」が沢山並んだ数字が書かれていた。
「こ、これは……?」
「エアリー家の借金です。伯爵家は財政悪化が続いて借金は膨らむ一方だったけど、ガースン子爵様と貴方の婚姻でこの借金がチャラになるの」
アリシアはとんでもない数字の桁を何度も見直した。
現実とは思えない悪夢だった。
継母は胸を張って、厳しい口調で続けた。
「お父様と伯爵家を財政難から守り、妹であるキャロルの良縁が無事に運ばれるよう、配慮するのが長女である貴方の責務です。 私はこの婚姻に備えて、貴方のために花嫁修行を長年行っていたと、わかってくれたかしら?」
都合のいい虐待の言い訳と勝手な役割の押し付けに、アリシアは怒りよりも嫌悪が勝って吐き気を催していた。思わず立ち上がった後にふらつく体を、誰かが後ろから支えてくれた。
メイドのエリィだ。アリシアはエリィの気配がまったく無かったので、完全に存在を忘れていた。
「アリシア様。お顔の色が優れません。大丈夫ですか?」
エリィはアリシアを抱えて椅子に座らせてくれた。
絶句しているアリシアの代わりにエリィは前に出てテーブルに近づくと、婚前契約書を手に取った。ザッと目を通して、エリィは継母に言い放った。
「はあ……これは法的な拘束力は無いですね」
「は?」
「正式な方法を踏んで書類を作っていませんし、サインは本人の物ではありません。これはただの紙切れですよ」
継母も義妹もアリシアも、エリィの言動に唖然とした。
淡々と表情を変えずに断言するエリィの圧力に、継母は仰け反った。
「な、な、何です!? メイドの癖に!?」
「それにこの借金の金額。本当であれば、伯爵家の経済事情を宮廷において審議する必要があります。これだけの莫大な金額になると、横領や詐欺が行われていた可能性もあるので」
「な……」
「今ここに、王宮の文官を呼びましょうか?」
継母はエリィの提案に真っ青になって絶句すると、エリィから契約書を引ったくり、テーブルの上を覆うように書類を回収した。
「お、おほほ! た、確かに何かの間違いかもしれないわね。もう一度主人に確認をしてみないと……」
ドタバタと慌てる継母と義妹の後ろにいた宮廷のメイドは、エリィの「お帰りです」の言葉に慌てて、母娘二人を薔薇園の外に案内した。
お日様がポカポカの薔薇園のお茶会には、冷めたお茶と椅子の上で呆然とするアリシアと、その横に立つエリィが残された。
「え……えっと。エリィさん?」
アリシアは悪夢が嵐のように去ったので、訳がわからないままエリィを見上げた。エリィはこちらに目線だけを寄越した。表情は変わらずクールだ。誰かさんのように……。
「エリィさんて……誰なの?」
アリシアの漠然とした疑問に、エリィは初めて笑った。
そして割と大きな声で息を吐いた。
「はあ~、お茶が不味くなる会だったね。お疲れ!」
ドスン!と大胆に椅子に座って脚を組んだエリィの姿は、揺らいで消えた。そこに本当の姿を現したのは、バルトロメウスだった。




